学園の日常―登下校―⑭
「馬術部の方はどうですか?」
「漸くパートナーが決まったよ。これから本格的な練習が始まると思う」
「桜さんは、ジャンピングに出るんでしたね」
「そうだね。ドレッサージュは時間が足りないから」
愛葉との会話も結構重ねた。お昼と、同じ授業の時くらいだが、それでもお互いを知る時間は結構取れている。これでも足りないという先人達の我侭で『夜会』が用意されているが、愛葉も参加するのだろうか。
「そういえば」
「桜さんは」
「おっと。愛葉から良いよ。私のは話が変わるから」
「はいっ。桜さんが馬術部を選んだのは、何でかなって気になっちゃいまして」
選んだ理由か。愛衣と二人になれる時間を多く取れるかもと思ったからだが、愛葉が知りたいのはもっと根本的な物だろう。
「昔、愛衣が乗馬をしていた時に、後ろに乗せて貰った事があってね。その時の景色とか風とかが良かったんだ」
「わぁ。馬に乗った事ないので、気になりますっ」
愛葉が、草原を走る馬に乗った自分を想像しているようだ。風を切り、大地を跳ねるように進み、空が流れていく。空を見上げながら走ると、空を飛んでるようにも感じるはずだ。その感覚を、愛葉にも楽しんで欲しいとは思う。
(ただ、私は人に教えられるほど上手くないし、後ろに人を乗せるなんて以ての外だ)
怪我をさせる訳にはいかない。かといって、愛衣に頼むのは……二人の関係性を除いても違うと感じる。
「大会後、人を乗せれるようになったら一緒に走ろうか」
「良いんですかっ?」
「ああ。私はまだ練習中だし、人を乗せるにはちょっと実力不足だ。でも大会後なら何とかなると思う」
「わぁ! 楽しみにしてます!」
(やった! 桜さんの後ろに乗って走れるなんてっ)
喜んで貰えて良かった。約束した以上、しっかり練習しないといけないな。
「桜さんのは、何だったんですか?」
「夜会の事だけどね。愛葉はどうするのかと思って」
「それって、推薦組も出て良いんです?」
「四年前から無制限になったからね。最近だと楽しくやってるらしいよ」
この学院に入れる者というのは限られている。そんな優秀な人材と仲良くしないのは勿体無い、というのがお嬢様達の建前だ。でも、愛衣から聞いた夜会の様子から考えるに、結構普通に楽しんでいる。
家の事なんて、私達の年齢では息苦しい物だ。親の目がない夜会くらい、普通を楽しみたいのだろう。
「香月とも上手くやっていけてるようだし、一緒に行ってみるのも悪くないかもしれないよ」
「香月さんですか?」
「実はさっき廊下で会ってね」
「えっ」
(ああ……明日絶対根掘り葉掘り聞かれるっ)
同じ部活なんだ。次の大会も共に頑張る訳だから、もっと交流を重ねるのも良いと思っている。
「桜さんは、出ないんですか……?」
「私は、どうしようかな」
尋ねておいてなんだが、私はパーティが嫌いだ。
夜会は、世間一般でいうパーティのように騒ぐ訳ではない。立食しながら会話を楽しむ程度の物だ。大学の先輩も、毎年何人か参加するらしい。そういった所から話を聞ける場でもある。
だが、どうしてもチラつくのだ。母と片桐母の顔が。
母は顔が良い。だから、パーティと聞けば参加するような人間であっても煙たがられない。ただ、私から見れば……という話だ。社交パーティ狂いという言葉に偽りはない。
普段なら、どんな行事にも積極的に参加すべきと言う愛衣だが、私を夜会に誘った事はない。それくらい、私は夜会を良い物として見れないのだ。
(でも、この学院の夜会か)
その日だけは、深夜まで学院に居られる。望めば泊まる事も出来るだろう。
「考えておこうかな」
「私ももう少し調べてから決めるつもりです」
「香月が知ってると思うから、聞くと良い」
「はいっ」
(桜さんは、夜会に出た事ないんだ。じゃあ片桐様と踊ったかもっていうのは、別の? でも今回は出てくれそうだし、ダンスの練習とかした方が、良いのかな)
夜会については私も良く分かっていない。立食パーティで、ダンスもするが、基本的にはお喋りという話だ。大きなモニターで映画もやっていて、鑑賞会も出来るらしい。
つまり、自由だ。かといって、その場に居ないと分からない雰囲気はあるだろう。その点を私は答えられないのだ。
「と、時間か」
鐘が鳴り、門限十分前を知らせている。そろそろ出ないと閉じ込められてしまう。
(時間なっちゃった……)
「また来ても良いかな」
「は、はいっ。是非来てください!」
紅茶もマカロンも美味しかった。もっと話したい事があったのだが、時間だから仕方ない。普通の学校のあれこれは、またの機会か。
「マカロン美味しかったよ。残りも貰って良いかな?」
「はいっ。桜さんの為に、作りましたから」
「ん、そうだったのか。ありがとう、愛葉」
調理実習で作ったんだったか。私は自分の料理の腕前を知っているから、いつも傍観している。なのでどういうルールの下作られたのか知らなかった。人に食べてもらう前提だったようだ。
マカロンを包んでもらって、玄関まで一緒に歩く。お見送りをしてくれるそうだ。
「愛衣から部活の事聞いてるかな」
「明日教えて貰えることになっています」
「部活動は再開になってるから、準備だけしておいて」
「はい。香月さん達にも伝えておきますね」
「頼むよ」
玄関が見えてきたが、こんなにも後ろ髪を引く帰宅は余り経験がない。それだけ、愛葉と居た時間が心地良かったのだろう。
「あの、桜さん。夜会の話ですけど」
「ん?」
「私、ダンス出来なくて、その」
踊る人も居ると愛衣は言っていたが、強制ではない。しかし、愛葉はダンスに興味があるのかもしれない。
「私も上手い訳じゃないけど、練習する?」
「良い、んですか?」
「ああ、時間がある時にやろう」
「ありがとうございますっ」
(よ、よしっ)
私とだと少しばかり身長差がありすぎるかもしれないが、同じ身長よりは踊りやすいはずだ。
「私も、咲から一応教えられただけだから、余り期待しないでね」
「い、いえ……桜さんと踊りたいですっ」
「私も、愛葉とのダンスには興味があるな」
(それ、って――)
ん、寮監が来たな。出ないといけない。
「それじゃ、愛葉。また明日」
「はい。また、明日」
愛葉の頭を一撫でし、私は正門に向かう。チラと見た愛葉は、私をじっと見詰めていたが、寮監に促されて中に戻って行った。
正門に着いたが、困ったな。帰る前に逢えたら話そうと思っていたのだが――。
「お嬢様、荷物を」
「ありがとうございます。竹中さん」
愛衣はちょうど、車に乗り込む所だった。今出て行く事は出来ない。車の中に居るはずなのに、片桐母の眩い金髪が光って見えていると感じてしまう。学校に入って毎日、か。執念だな。
(咲も居ないから、校舎の中で談笑中か)
乗馬場で待っていよう。愛衣には明日話すしかないようだ。
「さて、ルージュのブラッシングでもしようかな」
コミュニケーションを取って、少しでもお互いを知る事にしよう。
「……」
「愛衣」
「はい」
余り見すぎると、お母様に気付かれます、ね。桜ちゃんが乗馬場に向かうのが見えました。ルージュとの交流に向かったのでしょう。やる気を出してくれたのは嬉しいですが、そのやる気に――大会への熱意以外の物を感じます。愛葉さんと何か約束したのかもしれませんね。
(例えば、後ろに乗せる、とか)
私も一度だけ桜ちゃんを乗せた事がありますが――私だって、桜ちゃんの後ろに乗ってみたいです。
(……今後、そういった事もあるでしょう。お母様の考えを振り切る事が出来れば、何度でも)
車に乗り込み、帰路に着きます。生徒会長から『片桐』愛衣に戻る時です。
「聞いたわよ、愛衣」
「送迎の件ですか」
「ええ。片桐の運転手じゃなくて、九条のメイドに頼むそうね」
「お母様が学校に入ってしまったので、変に注目度が上がっています。これ以上『片桐』を使う事は、サンマルテの信条に反すると考えての事です」
「……そういう事にしておいて上げる。でも、ただの部活動の送迎よ」
「理解しています」
その送迎バスを使って桜ちゃんと出掛けない様に、という事でしょう。あくまで送迎なので、そのバスに乗れるのは将棋、囲碁部所属の生徒と、九条である桜ちゃんのみ。私が乗る事は許されません。
そのバスを使って桜ちゃんと、駅前のカフェテラスでお茶とか、考えなかった訳ではありません。ですが、私的利用はしません。そこは『片桐』愛衣としても、”生徒会長の愛衣”としてもやるつもりはありませんでした。
「ご安心下さい。私は私的な理由で家名を使うつもりはありません」
「……」
学院内の事を全部知っていると、隠しもしなくなったお母様に私は初めて、皮肉を告げました。ですが、皮肉の一つも言いたくなるのも当然でしょう。片桐の名を使い、桜ちゃんを追い詰めているのですから。
(私は、赦しません。絶対に)
お母様が桜ちゃんに頭を下げても、絶対に赦しません。償って貰います。
「明日は、雨ですね」
「……ええ。天気予報もそうなっているわ」
それでしたら、屋内で体幹トレーニングですね。桜ちゃんも運動不足気味ですし、丁度良いでしょう。
(スタイルは良いですけど、食べる量が少ないからという、痩せでしかありませんし)
筋力をもう少しつけてもらいましょう。
(夜会の調整もしなければいけませんね)
「明日のお迎えは、一時間程遅らせて下さい。夜会の調整をしなければいけませんから」
「竹中さん、そうして上げて」
「畏まりました。奥様、お嬢様」
今年くらいは……桜ちゃんと出たいですね。
ルージュは中々心を開いてくれないが、ブラッシングは快く受けてくれているようだ。ジェファーが少しこちらを見ているから、ルージュの次はジェファーにもしよう。
「痒い所はないかな」
パカラパカラと蹄を鳴らし、ルージュは「無い」事を伝えてくれる。何度か撫でられた後ルージュは、自分の寝所まで帰って行った。ここの馬達は、賢すぎると思う。
「君のお陰かな」
「ヒヒン」
ジェファーのブラッシングに移る。ただ、ついさっきブラッシングを受けたらしい。咲の案内と会議を終えた愛衣は、一度こちらに来てブラッシングをしたのだろう。
「撫でるだけにしておこうか」
それで良いと、ジェファーは私に頭を寄せてくる。甘えるような仕草だが、ジェファーが私にやるとなるとそうは見えない。友人と肩を組むような、そんな仕草だ。
「ん?」
ジェファーが牧舎の入り口に目をやっている。誰か来たようだ。
「お嬢様」
「ああ、もう良いのかな」
「はい」
咲が、スカートを摘み上げて礼をする。母仕込みの所作だけに、堂に入っている。
「それじゃ、明日も頼むよ」
「お嬢様。明日は雨との予報が出ております」
「ん。そうだっけ」
「はい」
となると、屋内でトレーニングになるか。運動不足という事を痛感したし丁度良い。
「顔見せにだけは来るよ」
「ヒヒン」
ジェファーが嘶き、自分の場所に帰っていく。愛衣と一緒で、彼女も優雅だな。
「行こうか。もう良いのかな?」
「はい。お時間を頂き、ありがとうございます」
「いいよ。中々会う機会がないんだ。会えた時くらいおおいに時間を使うと良い」
(それは、お嬢様もですが……今はまだ、言えませんね……)
咲と一緒に正門に戻る。片桐の車はそこに無く、代わりに九条の車が止まっていた。
「おかえりなさいませ。お嬢様、咲さん」
「ありがとう」
「咲さん、こちらを」
「承ります」
運転手の蓮さんが開けたドアに、二人で乗り込む。咲が封筒を受け取っていたが、咲が居ない間に入った業務連絡だろう。
「今日もあるのかな」
「はい。陳情書と招待状です」
それらは、いつも通りの対処をするとして。
「他にもあるみたいだね」
「お嬢様に来るようにと、メールが届いていたそうです」
「また?」
珍しくしつこいな。
「秋敷さんが学院に入った事と関係あるのかな」
「無いとは、断言出来ませんね。この一件は私に任せて下さい」
「ありがとう。頼むよ」
「畏まりました。お嬢様が学院に残れるよう尽力します」
「うん」
咲に任せておけば大丈夫だろう。何度も助けられている。
「お嬢様、帰りのルートを少し変えてもよろしいですか?」
「ん――――ああ、送迎のルート確認か。良いよ。蓮さん、お願い」
「畏まりました」
車を走らせ、家とは逆だが駅へと向かう。安全運転を心がけるなら、ルートを一度見ておくのも必要だろう。
「頼んだよ。咲」
「はい。お任せ下さい」
(愛衣様のお気持ちを考えると複雑ですが……お嬢様の大切な方をお乗せするのですから、こちらも全力で頑張ります)
私もどんなカフェなのか気になるし、一度入っておくか。




