学園の日常―登下校―⑫
寮に向かう途中、遠目から門が見えた。ジェファーの大きい体で見えないが、咲と愛衣が話しているようだ。
(大丈夫そうだな)
寮は、学院の生徒全員が入れるように出来ている。かなり広く、毎年増築がされているのだ。腕利きの職人を集めているから、設計図から漏れている部屋があるというのは、愛衣にしても驚きだったのだろう。半信半疑といった様子だった。
「こ、こんばんわ」
「こんばんは」
私が寮側に居るのが珍しいのだろう。挨拶がたどたどしくも飛んで来る。愛葉と知り合う前は、一度もこちらに来た事がないから当然か。
愛葉の部屋が何処なのかは、数日前に見ている。迷う事無く向かう事が出来るが、気になる者が居ればその限りではない。
(じっと私を見ているな)
挨拶をいくつか交わしたが、その後私を尾行している子が居るようだ。
(誰だろうか。冴条の次は正院? いや、正院の性格なら出てくるか。勘違いだろうか)
次の角で待ってみるか。勘違いなら、それで終わりだ。
(何処行ってるのかしら。やっぱり愛葉さんの所でしょうか! ただの友人と言っていましたが、絶対そうは見えませんもの!)
角で待つ私に気付かず、尾行者は顔を出した。
「っ!?」
吃驚した顔で慌てて隠れたが、確定だ。
「何か用かな」
「い、いえ。九条様が此処に居るのは、珍しいものですから、どうしたのかと」
単純な好奇心か。だが、それにしては明確な目的を感じた。もし私が何処に行くか知らないのであれば、あそこまで簡単に顔を出しただろうか。素人の尾行であっても、そこまで不用意とは思えない。つまり――私の行き先を予想していたのだろう。
「招待を受けていてね」
(やっぱり愛葉さんの所ですのね!)
微妙な変化だったが、「やっぱり」といった表情をした気がする。
(何処かで見た事があるな)
「申し遅れました。香月深雪です。将棋部に所属しております」
香月はカーテシーで挨拶をしてくれた。そうか、香月家だったか。将棋部という事は愛葉が言っていた友人だ。
香月家は所謂、没落貴族だった。確か友人の連帯保証人となって騙されたんだったか。しかし今は、香月の父に当たる現当主が一代で立て直した事で有名だったはずだ。水産関係の仕事と聞いている。
「九条桜。乗馬・馬術部だが、半分幽霊部員だな」
余り九条と名乗りたくないが、仕方ない。相手の挨拶に対し礼を失する事は出来ない。九条の忌み子でも、その辺りは弁えている。
それにしても、元気な子だな。そして人懐っこい。愛葉がうさぎなら、この子は犬かな。元気の方向性が少し違うが、どちらも小動物的な可愛さといえる。私には少し眩しすぎる真っ直ぐさだ。
「悪いね、そろそろ行かないといけないから」
「はい。お引止めして申し訳ございませんでした!」
(部屋に呼ぶなんて、愛葉さんも隅におけませんわ! 明日が楽しみです!)
愛葉から私の事を聞いていたのかもしれない。いや、香月が愛葉に、か。どちらにしろ、明日には噂になってそうだな。
(私は慣れてるが)
愛葉が変に目立つ事に、少し申し訳ない気持ちになってしまう。大勢居る寮生の中で出会ったのが香月だったのは、愛葉にとっての不運か、幸運か。
香月のあの様子から察するに、言い触らすような事はなさそうだし、幸運かな。
桜ちゃんは、寮に入った辺りでしょうか。
「直接会話をするのは初めてですね。片桐愛衣です」
「五月七日咲と申します。お嬢様がいつもお世話になっております。愛衣様」
周囲に人は居ません。監視カメラはありますが、片桐と九条家のメイドが話しているようにしか見えないでしょう。
深々と最敬礼でお辞儀をしてくれた咲さんに、戻るように促します。直接会話をするのは初めてですし、まともに視線が合ったのも、あの時以来です。
「むしろ、桜ちゃんには助けられてばかりです」
「お嬢様はいつも愛衣様に感謝されています。良き親友に恵まれ、嬉しく思います」
咲さんは本当に、桜ちゃんの事を大切にしています。まるで母のように、桜ちゃんの学校生活を按じているのです。私は、桜ちゃんが自宅で、少しでも安らげている事に安堵しています。それも全ては、咲さんのお陰ですから。
「私共としましても、愛衣様にはなんとお礼を言えば良いのか」
「お礼なんて、気にしないで下さい。私は……桜ちゃんと……。あの時は、無理矢理連れて行ってしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ、それこそお気になさらないで下さい。少々驚きましたが、お嬢様は喜んでいましたよ。あの日帰宅後、ずっとあれを見ていました。素敵なプレゼントを頂けて、嬉しかったのだと思います」
「そ、それは……初耳です、ね。大切にしてくれているのは、先日知る機会がありましたが」
私と桜ちゃんの関係が、少しだけ進んだ事には気付いてもらえました。もう少し咲さんと話していたかったのですが、ジェファーが私の袖を食んで報せてくれます。
(秋敷氏、見てますね)
声が聞こえる距離ではなさそうですが、用件を優先させた方が良さそうです。頬、染まってないでしょうか。思わぬ出来事を知ってしまい、体が少々熱を持ってしまっています。
「それでは、こちらへ。羽間さんも交えて話しましょう」
「畏まりました」
「ジェファー、一度戻っておいて下さい」
報せてくれた事の感謝も込め、ジェファーを撫でます。
「愛衣様」
「どうやら、監視されているようです」
「そうですか……」
(旦那様の命令、という訳ではなさそうです。後程確認を取りましょう)
目に見えて、咲さんが不機嫌になりました。咲さんが秋敷氏を、というのは本当のようです。
「お嬢様は、愛葉様の所でしょうか」
「はい。ですから、用件が早く済んでしまった場合は、羽間さんと待っていただく事になるかもしれません」
「畏まりました。ご配慮ありがとうございます、愛衣様」
(お嬢様の鈍感にも困ったものです。ですがそれも全ては、秋敷様と旦那様の――いけません。愛菜様の夫でしかないとしても、主の悪口は……)
秋敷氏の性格上、咲さんがここまで露骨な嫌悪感を示していたら、責めそうなものですが……秋敷氏が言い返せない何かがあるのでしょう。
(ただの監視というのであれば、特に問題はありません。今この場面をお母様に見られる事の方が問題ですから、急いだ方が良さそうです)
「詳しくは羽間さんを交えて話しますが、軽く説明しておきます」
「はい」
応接室に向かう道すがら、何故咲さんを呼んだのかを説明します。その間秋敷氏が着いて来ていましたが、尾行は得意ではないようです。やる気が見えませんし、嫌々監視しているのかもしれませんね。
「――将棋部と囲碁部の方々を、サンマルテ学院駅前のボードゲームカフェまで送迎すればよろしいのですね?」
「はい。お願い出来ますか?」
「羽間先ぱ……羽間様のお願いですし、お嬢様の許可さえ出れば可能です」
「九条さんには、秋敷先生から説明がありました。その上で咲さんを呼んで頂きましたので、許可は得たものと思っております」
「承りました。一応、後程お嬢様に確認を取ります」
「よろしくお願いします」
本当はもう、送迎の件は決まっているようなものですが――秋敷氏の監視内容が分からない以上、形式的なやり取りは必要でしょう。お母様の耳にこの会話が入ったとしても、羽間さんを経由したお願いという印象を与えられます。
「羽間先生の後輩だったのですか?」
「一つ下になります」
羽間さんはサンマルテの推薦組ですが、咲さんもサンマルテに在籍していたのでしょうか。秋敷氏を調べる過程で見た時には、見つけられませんでしたが。
「羽間様は高校からの推薦組ですが、私は大学からの推薦組なのです。その時に羽間様と愛菜様と知り合う機会に恵まれました」
「九条さんのお母様とも、その時に」
愛菜さんがサンマルテに在籍していたのは、縁あって知っています。お母様の一年下という事も、その後何があったのかも。
「そうなりますと、お母様とも?」
「私は愛香様を知っておりますが、愛香様は私の事は知らないのではないかと。私は羽間様と同じく、教育学部でしたから」
「そうでしたか。お母様は、有名だったのでしょうね」
「はい。学部に限らず、愛香様とご一緒する為に時間割を決める者も居たくらいです」
複雑な心境です。黄金期を知っているだけに、今のお母様との違いに、哀しくなってしまいます。
お母様はサンマルテの法学部です。片桐の長となり、片桐グループの総帥になるものと確実視されていました。ですが結婚後、実務を完全にお父様に任せ、自身は裏方に徹しています。リスクマネジメント含め、しっかりしている時のお母様に間違いはありません。結果的には、現状が最良だったのでしょう。
「サンマルテの教育学部で、羽間先生の一つ下となると」
「軽伊様と小鞠様の同級生です」
保健医の軽伊さんと美術担当の小鞠さん、そして羽間さんは、私と桜ちゃんの関係と、桜ちゃんの家庭環境を知る教師達です。私達が良くお世話になっている人達と咲さんが同級生というのは、出来すぎた偶然、ですね。
「それでしたら、軽伊先生と小鞠先生もお呼びしましょう」
「しかし、お二人も忙しいのではないでしょうか」
「部活動も終わりが近いですし、会議後ならば時間を作れるのではないかと」
「重ね重ね、お気遣いありがとうございます。御言葉に甘えさせていただきます、愛衣様」
職員室に向かう途中にある事務室にて、咲さんの入場許可が取れているか確認します。咲さんの送迎が決まった時点で許可は出ているはずですが。
「片桐です。先日決まった、部活動の送迎についての確認に参りました」
「承っております。五月七日、咲様一名の入場許可証です」
(珍しい名字だなー。これでつゆりって読むのか)
入場許可証と、資料ですね。使うバスは三号、往復二時間前後、随伴教師一名、活動時間は二時間以内。超過厳禁、施設内の移動に限り半自由ですか。
「それでは、職員室に向かいましょう」
「畏まりました」
羽間さんを連れて、応接室を借りましょう。監視カメラがありませんし、秋敷氏が入れるスペースもありません。
将棋、囲碁部のスケジュールを作っていた羽間さんに同行してもらい、応接室内の確認を少々行ってから、私達は席につきました。お茶は、不甲斐ない事に咲さんが入れてしまいました。
「申し訳ございません、咲さん」
「いえ、お気になさらず。癖みたいなものですから」
「変わらないわね。愛菜も、そんな貴女が――ごめんなさい」
「羽間先輩も、気にしないで下さい」
愛菜さんとも、何かあるのでしょうか。咲さんと愛菜さんの関係は、”愛菜さんの雇ったメイドが咲さん”という事しか知りません。桜ちゃんの専属になってから、愛菜さんとの間に何かがあったのは、想像に難くありませんが……。
「先にいくつか質問をしてもよろしいでしょうか」
「ええ」
「はい、お聞きします」
「この、半自由というのは――」
咲さんの中で解決している事項のようですし、桜ちゃんも知らない事のようです。無理矢理聞く事もないでしょう。桜ちゃんにとって不利になるような物では、ないはずですから。
愛衣は、咲と会議を始めた頃だろうか。
愛葉の部屋に近づいたのだが、中から慌しい音が聞こえる。私が来る事は、愛衣の言動から考えるに知っているはずだが、少し早く来すぎただろうか。
「――何で――――落ち――――」
愛葉は起きているようだし、問題は問題でも、致命的なものではなさそうだ。
私はとりあえず、愛葉の部屋をノックした。




