学園の日常―登下校―⑩
ジェファーも一緒に来てくれているから、少しだけ期待していた。だが、ジェファーはやはり愛衣に似ている。
「ヒヒン」
「自分のパートナーですから、自分で探せと言っております」
「みたいだね。二人共スパルタだなぁ」
パートナー探しか。騎手の決まっていない馬は全部で五頭程だ。部員一人一人が参加時に一頭選び、所属中ずっとその馬と活動していく事になる。私はその時既に、ジェファー以外の馬から嫌われてしまっている。数回乗せられた後はそっぽを向かれた。もう七,八年程経っているが、覚えている事だろう。
「あの時とは状況が違いますから、大丈夫でしょう」
「そこそこやる気はあるけど」
「そのやる気を見せてあげてください」
ジェファーの時みたいに出来れば良いのだが、出来るだろうか。
(何でジェファーが心を開いてくれてるのか、私自身分からないからどうしようもないんだけど)
遠くでは、練習をしている部員達が見える。私達が部室で話し合うという事で出ていた子達だ。追い出したりはしていない。まだ、片桐と私の事を勘違いしている者達も多いという事だ。それに、乗馬・馬術部から見た私は――嘘偽りなく不良なのだから。
「そういえば、部屋を見つけたという事でしたが」
「お茶会も出来るよ。愛葉の所に行くついでに、見に行こうか」
「……いえ。明日にしましょう」
「ん? 分かった。愛衣の方で、改修とか区画整理の話が出てこないか気を配っておいてくれ」
「今の所、寮側でそういった話はありませんが、校舎の方では将棋部と囲碁部の問題が起きた際に行われました」
部屋は逃げない。もう見つけているし、報告しない限りはあのままだろう。昼の間に話すつもりだったが、将棋部の事で一杯一杯だった。
その将棋部と囲碁部の部室問題の際、校舎側で空き教室と使用していない部屋探しが行われたそうだ。その結果、部活が出来そうな空きはなかったのだろう。
「そうそう、話さないといけないのがもう一つ」
「何でしょう」
「体育の時間に冴条に会ってね」
愛衣の顔が少し強張ってしまう。丁度部活仲間達がこちらを見ている時だった。また勘違いが加速しそうだな。
愛衣と冴条はまだ和解出来ていない訳だから、この名前で眉間に皺を寄せるのも無理は無い。何しろこの一件に関しては、私よりも愛衣の方が怒っている。
「反省しているようだったよ」
「そう、ですか」
(それは知っていますが……冴条家と正院家、そして片桐と秋敷氏……何かが起きているのは間違いありません。冴条さんと正院さんが私の傍に戻るのは、まだ様子見で居たいです)
やはり、赦せないか。冴条には悪いが、まだ少し様子見で居てもらおう。自分を見つめ返す良い機会と思って、遠目から愛衣を見れば良い。
これは冴条に言ったが、冴条の為に私が行動する事はない。あくまで、愛衣の今後を考えて手を貸しているだけだ。冴条達に問題があったのは間違いないのだから、同情はしないよ。
「……まだ何か、隠していませんか?」
「いいや。今は気にしなくて良いよ」
「分かりました……。しかし何れ話してもらいますからね」
冴条は私の家庭事情を、更に詳しく知っていた。その事は話すつもりはない。無用な緊張感と猜疑心は、更なる疑問となり興味へと変わっていく。私達に注目する目は少ない方が良い。
「ヒヒン」
「いたっ」
ジェファーに背中を小突かれてしまった。いい加減選べという事だろうか。
(どちらかといえば、鈍感ちゃんへの叱責に見えますが)
「とりあえず、仲良くなりましょうか。ジェファーの時と同様に触れ合ってみてください」
既に私を見ている馬達に少し苦笑いが出てしまう。愛衣はどの馬にも好かれているから、牧舎に入るといつも挨拶にやってくる。しかし今日は私が一緒だから、私を警戒――いや、見定めているようだ。近づいて来ない。
「久しぶり、覚えてるかな?」
あの頃よりは、表情も雰囲気も柔らかくなったと思う。柔らかくというよりは、無くなったというべきか。
「ブルル」
昔は近づく事すらしてくれなかったが、今回は私の傍に寄ってくれた。私の周りを歩き、見ている。見定めるというより品定めみたいだな。
「乗る事は出来そうですね。であれば問題はないでしょう」
「ジェファーとは勝手が違いそうだが、何とかなるか」
練習出来るようにはなったが、大会に間に合うかは私のやる気次第だな。馬に見限られないように頑張るしかないな。
「その子の名前はルージュです。今後も共に活動するのですから、仲良くしてください」
「分かった。よろしく頼むよ、ルージュ」
「ブルル」
挨拶を終えたルージュは、ジェファーと何やら話しているようだ。大方、私をよろしく頼むといった内容だろう。私は乗馬が上手いという訳ではない。少しルージュに負担をかけるだろうから。
「ジェファー、ルージュと少しウォームアップを。二周程で戻ってきて下さい」
ジェファーは頷いて、ルージュを連れて走り出した。こんな指示で動き出せる馬が、他に居るだろうか。馬術大会でも、愛衣とジェファーの優勝は確実だろう。
(プロにも、居ないんじゃないかな)
ジェファーの年齢は十八歳だ。片桐家で生まれ、二歳の時生まれた愛衣と共に育った。赤子の時から知っているジェファーにとって愛衣は、妹みたいなものなのかもしれないな。
「ジェファーとルージュが戻ってきたら少し二人で乗りましょうか。ジェファーが一緒なら、少しはルージュの緊張も解れるでしょう」
「頼むよ。今日中に走れるくらいにはなっておきたい」
団体戦にしか出ないが、多少は意欲を持って活動しないといけない。愛衣も団体に出る訳だから、無様は曝せない。
愛衣が出るからという訳ではなく、愛衣が私と付きっ切りで特訓したというのに無様を曝せば、片桐母はそこを突っ込むからだ。「部活ではなく、別の事にやる気を出していたのでは?」くらいは言うだろう。
だから、愛衣の体裁話というだけではない。決してね。
部活動に励んでいる生徒と並走するように、ジェファーとルージュは走っている。人も乗せずに、コースをしっかりと走っている様は中々面白い姿だ。
(人とは違う、か)
確かにそうだ。どんなに昔の話でも、人ならば柵に囚われる。私がそうだからだ。だけどルージュは、私のやる気を感じ取ると乗せてくれるようになった。
きっと私がまた不貞腐れると、乗せてはくれないだろう。好き嫌いがはっきりしているのが良い。何故嫌いなのか、何故好きなのか。それが分かっているのが良いのだ。
人は、そうじゃない。秋敷楓のように、嫌いな人間相手にも突っかかる者。嫌いな癖に利用出来ると分かれば干渉してくる男。嫌いだから、遠ざける為に多干渉する女性。嫌いになればなる程、突っかかってくる。
母のように、完全に放っておいてくれれば――あれはあれで、良く分からないのだが。
「さく――九条さん。一応言っておきますが、将棋部と囲碁部の活動は、サンマルテ女学院駅前にある公民館兼カフェです」
駅までなら、車でも一時間は掛かるな。駅前だが、学園都市だけに車通りは然程多くはない。夕刻ともなれば多くなるが、咲の送迎に支障はないだろう。
「秋敷さんは何て言ってた?」
「最初こそ渋っていましたが、最後は折れてくれました。どうやら咲さんに苦手意識を持っているようでしたよ」
「ああ、そういえば昔から苦手にしてたな。元々母の専属だったからだと思うんだけど」
咲は母の専属から私の専属になったメイドだ。雇用主は父だが、権利は母が握っている。
一番古い記憶から辿ってみても、咲と秋敷が話している姿は見ていない。母と秋敷自体仲が良いとは言えなかったから、咲とも仲が悪いのだろう。
(愛菜さんと、秋敷氏の仲が悪い……。秋敷氏は九条の出ですから、当然といえば当然ですか、ね)
「業務連絡くらいならしてくれると思うが」
あの人は私の事が嫌いだが、玩具にするくらいには絡んでくる。正直言って、一番面倒なタイプなのだ。つまり、ここぞとばかりに私の所に来る可能性も。
「噂をすれば、ですね。九条さん」
「分かってる」
秋敷さんがこちらに向かって来ている。私に連絡させる気だ。業務連絡すらしたくないって事か。
(秋敷氏とお母様、九条と愛菜さん……)
愛衣が私を見ている。不穏な視線だな。睨む事で仲の悪さをアピール? いいやこれは――心配、といったところかな。
「桜。今良いかしら」
「構いませんが」
「もしかしてお邪魔だった?」
ああ、下卑た笑みだな。一体どんな想像をして私を煽っているのだろうか。
「見てたなら分かるでしょう。一向に上手くならない私に業を煮やして怒られていたところですよ」
「私がそのような些事で怒るはずないでしょう」
(……仲、悪そうね。雄吉も愛香さんも、何をあんなに必死に)
よく分からないが、愛衣は片桐母と秋敷が繋がっていると考えているのか。確かに、何かの繋がりがあるようには見えたが――姓が変わったとはいえ、元九条の秋敷楓と片桐母が、どんな繋がりを。
「それで、何の用ですか。秋敷さん」
「咲に連絡してくれないかしら。将棋部と囲碁部の送迎をしてくれって」
「送迎?」
「聞いてないの?」
「聞いてる訳ないでしょう。私がそういうの嫌いなの知ってると思いますが」
愛衣がほっとした表情でジェファー達に視線を戻した。
(ボロは出さないよ)
愛葉と私の仲は知っているのだろう。だが、まだ愛葉が知らない事を私が知っていれば怪しまれる。それを知るには、愛衣から聞くしかないのだから。
「囲碁部と将棋部の部室がなくなったのは知ってるわよね」
「まぁ、それくらいは」
「代わりの場所が決まったから、送迎して欲しいって頼まれたのよ」
「それで咲ですか。少し連絡しますから、待っててください」
「理由は聞かないの?」
「どうでも良いですし」
私の性格はこういう時便利だな。興味無いの一言で良いのだから。
さて、携帯は部室だ。愛衣と秋敷を二人きりか、させたくないが仕方ない。それに愛衣は何処か、二人きりを求めているように見える。




