学園の日常―登下校―⑨
愛葉さんは、優しすぎます。今朝言ったばかりなのに、まだ私を気にかけて……。
(それが桜ちゃんの為というのは分かっています。しかしその中に、私への叱咤激励が含まれていました。それに、友情も)
何れ、愛葉さんとも友情を結べると思います。今ではありませんが、遠くない将来、三人で遊べる未来があるでしょう。
片桐も九条もなく、女の子三人でのお茶会。楽しみであると同時に、『片桐』が重く圧し掛かってしまいます。確かに私は『愛衣』であり、桜ちゃんは『桜』です。ですが……愛葉さん。それでも私達は、『片桐』と『九条』なのです。
(でも、関係ないのも事実です)
朝、ちゃんと心を入れ替えたはずでした。桜ちゃんとの関係も元通りです。しかし……元通りなだけでした。私は昔からずっと、逃げていたのです。『片桐』による、桜ちゃんへの暴虐の数々から……絶望から逃げていたのです。
お母様が動き出した以上、今まで通りでは無理が来るでしょう。だからこそ私は、数日迷ったのです。気持ちを入れ替え元に戻っても、また迷うでしょう。ならば私は、一歩を踏み出すところに来たのかもしれません。
愛葉さんというライバルが出来たのです。私も変わらなければいけません。桜ちゃんが変わったように、私も……。
ですから今日、変わる為にも――お茶会を成功させます。
(それにしても、愛葉さんは思っていたよりも……押しが強かったのですね)
ライバルの私を叱咤する姿を思い出します。私の自覚が許す限りで考えるに、私という人間に忌憚の無い意見が言えるのは――家族以外では桜ちゃんだけです。教師であっても、どこかに遠慮があります。
しかし愛葉さんは私を、愛衣として見てくれているのです。きっと、桜ちゃんも朧気に感じ取ったのでしょう。愛葉さんの純粋さを。この学院において、最も純粋な人なのかもしれません。
(愛葉さんが、私達の全てを知ったらどう言うのでしょう。やはり、純粋な視点で解決案を提示してくれるのでしょうか)
でも、これだけは貴女には言えません。貴女に私達の関係を知られても構わないと思っています。多少ならば、こちらの事情を話しても良いです。
(でも……片桐と九条の事だけは、私だけの秘密です)
解決するまで……いいえ、解決しても……伝えません。誰にも。
「私にとっては、九条さんは桜ちゃん……」
愛葉さん。貴女がこちらに踏み込む覚悟が出来ましたら、少しだけお教えしましょう。しかし、本当の覚悟をしてください。伝えるつもりがない物を教える事になるのですから……桜ちゃんを幸せにする、絶対の覚悟を持ってきてください。
「今の――ただの憧れでしかない恋愛感情では、お教え出来ません」
私の、桜ちゃんへの想いを越えてみせてください。きっとその先に……幸せが――。
部活の時間が待ち遠しいのは久方ぶりだ。片桐と同じ部活に入ったものの、部活では二人きりになんてなれなかった。今だけかもしれないが、片桐とのプライベートレッスンは楽しみだ。
(楽しみなのは部活前の会議だけ、だけどね)
ジェファーしか懐かないものだから、練習にやる気が出ないというのもあるだろう。
やる気がないから懐かないのだろうか。まるで卵が先か鶏が先か、だ。答えが出ない。どちらにしろ、私もジェファー以外の馬を信頼出来そうにないのだから、ビジネスパートナーになりえる馬を探すしかない。
「大方、そんな事を考えているのでしょう。九条さん」
「バレた?」
「バレないとお思いですか?」
部室に入るなり、片桐が会議の準備をして待っていた。会議の準備だ。決して、お茶会ではない。
そして私の考えも筒抜けだ。今日の部活メニューはきっと、ジェファー以外の馬探し、かな。
「馬は賢い生き物です。九条さんから心を開く必要があります」
「そうは言ってもね」
「……馬は、人とは違います。安心して下さい」
「え……?」
「私がサポートします」
どうしたのだろうか。裏で支えてくれていたのは知っている。でもそれを、私に伝える事はなかった。なのに今日は、サポートをすると……しかも、人とは違う、か。
「何かあった? さっきの授業で」
「少し、愛葉さんと話しました」
「そう、か。仲直り出来たのかな?」
「お互い譲れない物があるので、仲直りはまだまだ先です」
「難しいな。全く」
何があったのかは気になるが、喧嘩ではないようだ。何にしても、愛葉のお陰で片桐は前に進めたらしい。
愛葉は、私と片桐の事を気にしてくれている。私達が難しい立場に居る事を、あの子は何となく分かっているからだろう。
「さ……さく……」
「うん?」
「…………九条さんに、渡したい物があります」
(桜ちゃんが、名前で呼んで欲しいと思っているのは知っているのです。一歩、踏み出すのでしょう、私……)
片桐から受け取ったのは、マカロンだ。さっき、家庭科の授業で作ったのだろう。料理が出来ない私にとっては、こんなにも綺麗な物が作れる事自体凄いと思える。
「そういえば、片桐の手料理を食べるのは初めてだ」
「そう、でしたね。中々機会が、なかったものですから」
マカロンか。咲も作っていたな。ことお菓子作りに関していえば、料理長よりも上手だったっけ。
「食べて良いかな?」
「はい。紅茶も用意しています」
咲の物と遜色がない程に綺麗な出来栄えだ。香りからして、イチゴだろう。私がイチゴ好きなのを知ってるから、選んでくれたのかもしれない。
「まさか今も、イチゴだけで生活していたりしませんよね?」
「流石に改めてるよ。イチゴを買って来てくれなくなったんだ」
「どれ程食べましたの……?」
「冷蔵庫のイチゴがなくなるくらい。毎日」
「咲さんの苦労が窺えます……はぁ……」
食に拘りはないが、イチゴは別だ。甘さを重視したイチゴよりも、酸味の強いイチゴが良い。あまおうよりとちおとめ派。私がイチゴ好きなのは使用人達の共通認識だから、イチゴだけは冷蔵庫に常備されていた。でも私がイチゴしか食べないものだから、咲がイチゴを禁止にしてしまった。
(まぁ、週に二回か三回は買って来てくれるんだけど)
「しっかりとちおとめを選びましたから、安心してください」
「ありがとう、片桐」
咲も片桐も、私に甘すぎるよ。全く。
「その代わり、今日は野菜をしっかり食べてくださいよ」
「仕方ないか」
今日の晩御飯はこれだけで良いと思ったのだが、野菜なら良いか。
「意地悪だなぁ」
「せっかく好き嫌いが無いのですから、色々食べるべきです」
愛葉も、色々と作ってくれていたな。私の昼食を見て、心配になったのだろう。出来の悪いおにぎりばかりだから。私の食生活は、追々で良い。早速片桐のマカロンを食べるとしよう。
「どうですか?」
外側はサクサクだが、ほろほろと崩れる。しっとり感があるようだ。クリームがねっとりして良く絡む。口の中で調和されている、のだろうか。イチゴのクリームだけど、本当にイチゴを食べているような感じだ。
(要するに、良く分からないけど美味しい)
マカロンなんて咲のしか食べた事はないが、片桐のはプロの物と同じかそれ以上に美味しい。
「生地に何か工夫があるのかな」
「ローズを少々。後、キルシュヴァッサーを使ったソースを生地に塗っています」
「お酒か」
キルシュヴァッサーは確か、サクランボだったか。それを最後の仕上げに塗ったようだ。濃厚な酸味の正体は、一工夫を重ねた厚みだったか。
「うん。いくら調理実習とはいえ、お酒も完備しているとはね」
「調理酒の一種です。気にしてはいけませんよ」
それはそうだが。気になっただけだし、突っ込む事ではないな。
「美味しいよ。料理が上手なのは知っていたが」
「ありがとうございます」
「お礼をしたいが、私の料理下手も知られているしなぁ」
「構いません。また、食べていただければそれで」
(その笑顔が見れただけで、満足ですわ)
また、か。片桐の手料理がまた食べられるのは嬉しいな。今度はお菓子以外も食べてみたいが、今日の片桐ならいつか、作ってくれそうという気分になれるな。
昔は――どこか一歩、引いていたから。
(それが、私に対する負い目というのは分かっている)
片桐母の事を、片桐はずっと気にしていたのだから。でもそれを感じさせない。気にしたままだけど、一歩前に進んでくれた、という所だろうか。
じゃあ、私もそろそろ。
「楽しみにしているよ――愛衣」
「ええ。楽しみにしていて下さ…………?」
「うん?」
(今、なんと?)
突然すぎただろうか。でも、私はもっと早く、こう呼びたかったんだけどね。
「……いつも、突然です。桜ちゃんは」
「私がこうなったのは多分、愛衣の所為だよ。ククク」
私はきみの前でだけ笑顔になれていた。今は、愛葉もだけど。でも私と愛衣はどこか、過去を気にしすぎていたのだろう。
「きみに手を引っ張ってもらって、鳥かごから出してもらった。学校の中だけだけど、私は自由を感じている」
「ええ。私も、そうですわ」
「少し籠が狭くなったが、私達は鳥じゃないからね。十分広いさ」
この狭い世界でだけ、私達は桜と愛衣だ。気にしなければいけない事に変わりはないが、もっと仲良くなりたかった。私から引いていた過去もあるが、それこそ過去だ。
「籠が狭くなった事で、少し焦っていた。お陰で愛衣が進む決断をしてくれたけど」
「決断したのは、桜ちゃんでしょう?」
「お互い、さ。もう離れようなんて考えないで欲しいな」
「私の台詞です。桜ちゃんの方が回数は多いと記憶していますよ」
「そうだったかな?」
小等部四年の時と、中等部二年の時に二回、だったか。愛衣も同じくらい離れようとしていたような。まぁ……お互い様か。離れたくない癖に、家の柵に囚われた挙句、勝手にあたふたして。
「さ。その紅茶を飲んで、練習を始めますよ」
「もう少し楽しみたいんだけど。愛衣のいれてくれたセイロンが美味しくてね」
「ウバですから。シャキっとしたでしょう?」
「そうだね。ミントっぽくて」
「シャキっとしたところで、やりますよ」
良いね。愛衣っぽくなってきた。年を取れば、人は変わる。だけど私達のは、変わったのではない。変わるしかなかったんだ。だから、今が心地良い。
「おかわりはなしかな?」
「おかわりは、愛葉さんの部屋でお願いします。部活後、部屋に行って上げて下さい」
「うん? 愛葉の部屋に?」
「ええ。渡したい物があるそうです」
渡したい物、か。おかわりって言ってるし、状況から考えればマカロン、だよなぁ。
「私の残りは包んでおきますから、咲さんと一緒に食べて下さい」
「分かった。その時にそれとなく、昼の事を話しておくよ」
「お願いします。こちらの準備はもう出来ていますから」
包みに入った愛衣のマカロンは本当に、宝石みたいだな。咲も喜ぶだろう。
さて……馬探しといくかな。ジェファーから他の馬にお願いしてくれないものだろうか。




