学園の日常―登下校―⑦
テストの事もあるから。そう愛葉に言われて、体育館に戻ってきたのだが。
「九条さん。愛葉さんはどうですか?」
「手当てを終え、保健室で少し寝ています」
「分かりました。ではテストを始めましょう」
どうやら私が最後のようだ。テストをする事に問題は無い。しかし、相手が問題だ。
「来ていたのか」
「……貴女には関係のない事です、九条さん」
「関係ないって事もないんじゃないかな。君が暫く休むきっかけなんだから」
同情も反省も後悔もないが。私個人への糾弾ならば片桐は出てこなかった。もしかしたら、私に攻撃を加えても出てこなかったかもしれない。片桐の前で家庭の話題を出した事が、全ての始まりだ。
「私は確かにネグレクトを受けている。メイドや使用人が居なければまともな生活を送れていなかっただろう」
ただの事実だ。私は特に気にしていない。そういう家に生まれたが、どんな因果かまともな生活を送れて、掛替えの無い友人まで出来た。私は、今以上の幸せを望むつもりはない。
「事実だからといって、言って良い事ではありませんでしたわ」
完全に和解するつもりはないようだが、少なくとも前の様に突っかかってくるという訳ではなさそうだ。それだけでも安心出来る。今の――片桐母や秋敷さんが企んでいる状況で片桐から守られたり、愛葉の心配事が増えるのは避けたい。
「まだ愛葉さんと付き合っているんですか?」
「前から気になっていたが、何故そんなにも愛葉を嫌っているの」
最初は片桐の為に徹底的に叩いているのだと思っていたが、冴条と正院にも理由がありそうだ。片桐を理由に愛葉を虐めようとしていたのは、目に見えて明らかだろう。
「……能力がある癖に、堕落した生活を送っているからです。それなのに、成績は誰よりも良い……そんなの、ズルいではありませんか」
嫉妬か。授業の大半――いいや、家でも殆ど眠っているであろう愛葉の成績は、この学院始まって以来の衝撃だ。片桐一強と思っていた教師陣たちも、愛葉に注目しているようだし。
「家柄しかない私達とは違う道があるのに……親の言う事を聞くしかない私達とは、違うのに……」
冴条と正院も、親に振り回されているのは分かっている。だからといって、愛葉への嫉妬を許してはいけない。
(家柄だけでもあれば、マシだと思うがね)
同じ宿命に見えて、私と冴条達は違う。冴条達は家柄に縛られているが、私は所詮、道具なのだから。
「そんな下らない妬みは捨てた方が良い。家柄しかないというのなら、格を落とす行為は避けるべきだろう」
「ええ……そう、思いますわ」
親に絞られたのかもしれないな。あくまで片桐との不和を招いた事についてだろうけど、反省しているのなら良いか。
「……九条さん」
「何かな。そろそろテストを始めないと、視線が痛いんだけど」
「貴女……どうして、そんなにも……普通でいられますの?」
「私が、普通?」
驚いたな。私は色々と普通ではないと言っていた冴条が、普通と言ってくれるとは。
「普通じゃないよ。色々な所が壊れてる」
「……」
私の何を知ったのかは分からない。冴条家や正院家に伝えられる人なんて、片桐母くらいだろう。だけど、それは私ですら知らない事実のはずだ。片桐が昔から知りながらも、隠し続けている何かだ。
私の為に隠し続け、私の為に戦い続けている片桐の為に、私は普通を演じるだけだ。片桐の前でだけ、自然で居られれば良い。
「今の君なら問題ないだろうが、言い触らさないでくれると助かるんだけど。私は結構繊細なんだ」
「……分かりました」
ふぅ……冗談に真面目な返しがくると、少し恥ずかしいな。私が繊細だなんて、笑い話でしかないというのに。
とにかく、テストを開始しよう。愛葉への当たりが強い理由も分かったし、もう問題はないだろう。
(嫉妬か。私も片桐にした事があったな)
嫉妬で少し膨れた記憶がある。片桐を困らせてしまった。それからだったか、中学からの行動を決めたのは。
(今思えば、あれの所為で……片桐とギクシャクしてしまったんだろうね)
漸く昔くらいの距離感に戻れたんだ。冴条と正院の気持ちは痛いほど分かるが、邪魔されたくない。
「九条さん、片桐様は……その……」
「どうだろうね。真摯に謝れば赦してくれるんじゃないかな。私からはまぁ、それとなく伝えておくよ。知っての通り、私から言った所で効果は無いと思うが」
「それでも……。ありがとう、ございます……」
また取り巻きなんて出来たら困るのは私だが、片桐の将来を考えるとしよう。
テストを適当に終えたが、冴条とは良い勝負だった。片桐と良い勝負をする為に、もう一度頑張ってみるのも良いかもしれない。
授業後に保健室を訪ねて、愛葉が熟睡しているのを確認した。軽伊さんが居るから問題ないと思うが、部活終わりにも寄ってみよう。着替えを置いて、保健室を後にする。
「九条さん、どうして保健室に……怪我でもなされたのですか?」
「ん。いや、愛葉が足首を挫いてね。今眠ってるんだ」
保健室を出たところで、片桐と出会った。私が保健室から出てきた事で、怪我をしたと思われたようだ。怪我する程頑張らないのは知っているだろうけど、それでもという事かな。
「愛葉さんが……大事には至っていないんですね?」
(九条さんも体育だった、という事は……つまり、また抱えて……?)
「ああ、少し腫れているが問題ないそうだよ。そういう片桐も、保健室に用が?」
「いえ……私はこれから、家庭科室へ向かうところです」
家庭科か。淑女ならば、料理の一つくらい出来て当たり前、だったか。耳が痛い話だ。当然、私と違って片桐の料理は上手だ。
「愛葉も上手だったが、どうすれば料理が上手になるのだろう」
(普段ならば……やる気がないから不得手となっている、と伝える所ですが……九条さんは料理に関しては本当に苦手で…………愛葉、さん?)
「えっと、どうして愛葉さんの料理の腕前を……」
「ああ、何度か作ってもらったんだ。私が普段お握りだけなのは知ってると思うけど、それで」
しっかりと分量通り作っても、どうしても味がバラける。偶に苦味が強かったりするが、それは焦がしているのだろう。ちゃんと見ていても焦がすのだ。フライパンを二枚駄目にしてからは、火を使わなくなった。ただ握るだけのお握りですらあの様なのだ。きっと、不器用なんだろう。
「……」
「そういえばさっき冴条が――片桐?」
(授業の一環で食べてもらった事はありましたが……お昼に交換なんてした事ありません……。第一私のお昼は家の……余り突発的な行動を取るとお母様に――ああっ……私もお昼を交換とか、普通の事が――)
どうしたのだろう。やはりまだ引き摺っているのだろうか。冴条の事はまた今度で良いか。
「っ……何か、仰いましたか?」
「いや。放課後は部室に一回行った方が良いかな?」
「はい。それでお願いします」
「分かった。それじゃ、また後で」
片桐と一旦別れ、私も教室へ戻っていく。 次は――ああ、英語か。少し憂鬱だな。
「ん……」
「んー? 起きた?」
「はい、お世話になりました」
「いいよいいよ。またおいでー」
どうやら、テストに向かう桜さんを見送ってから、眠ってしまったらしい。
「着替え、九条ちゃんが置いていったからね」
「あ……」
せっかく、桜さんと運動出来るチャンスだったのに、やってしまった。良い所を見せようとしたのが間違いだったのかもしれない。相手の方にも迷惑をかけてしまった。
(お姫様抱っこで浮かれちゃったけど、慣れない事はするものじゃないなぁ……)
今度から、分相応に頑張ろう。
とりあえず着替えて、今からでも授業に出よう。確か次は、家庭科だったかな。
主要科目以外は合同授業だっけ。教師が四,五人就いて、纏めてやる。推薦組には余り関係ない事だけど、エスカレーター組にとっては重要な事らしい。
学校生活は長いようで短い。卒業後の方が永く生きるんだから当然だ。そんな短い学校生活で、一年間同じクラスの人間だけとの交流では勿体無い、という趣旨のようだ。
人脈、とでもいうのか、卒業後確実にお世話したりされたりの関係になるのだから、文化系の授業で交流を深めるという意味合いが強い。同じ趣味だからと盛り上がったり、仲良くなった事を機に趣味にしたり、色々だ。
片桐様級の家柄になると、生徒どころか親からお近づきになるらしいけど、他の人は違う。学生生活の中で、地道に交流の場を利用して、広げていく。
(私には余り関係ないけど、頭の隅に置いておくと役に立つ事もあるかな)
ただ――次の合同相手は何処なのか、最近授業に出始めた私は把握してなかったり。
だからこうやって……。
「よろしくお願いします。愛葉さん」
「はい。片桐様」
変な状況になったりする。朝の事もあるから、少し気恥ずかしい。片桐様も同じ気持ちっぽいけど……。
家庭科室に入ると、丁度始まるところだった。ギリギリ間に合ったけど、既に班分けが終わってしまっていたようだ。三人一組だったけど、四人グループになっていた片桐様が気を使ってくれた。
さっきも言ったように、文化系の授業は交流の場だ。片桐様と一緒の班なんて、中々なれるものじゃない。
そんな事、片桐様だって知っているはずなのに、どうして私と組むといったのだろう……。四人グループが可能なら、私に声をかけようとしてくれていた、将棋部の香月さんの所でも良かったと思うんだけど……。
(やっぱり、見られるなぁ)
「気にしなくて良いのですよ。私情ですから」
「私情……」
(桜さん関係、って事かな)
私情を強調してくれたから、睨むような視線も少し減った気がする。逆にヒソヒソ話が盛り上がってしまったけど、睨まれるよりは良い。どんな噂が流れようとも、桜さんは気にしない。何より私は、片桐様と一緒で良かったと思っているらしい。
「はい、静かにしてください。今日はマカロンを作って貰います。初日ですから、まずは自分で作ってみてくださいね。制限時間は四十五分。持ち帰って友人等に食べてもらってください。その感想を後日提出してもらいます。来週も同じクラスで行いますので、お忘れなく」
今週は自分で作らせて、来週先生に習うらしい。授業というより、実践向きの講習みたいに感じる。淑女としての教育。料理は特に力を入れている事の一つと聞いた事がある。これもそうなのかな。
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