学園の日常―登下校―④
さて、自分の教室に戻って来たのだが――。
「……」
「……」
この教室はいち早く、片桐母ショックから抜け出せたようだ。その理由は簡単。この教室には私が居る。私が居るから何だという話だが、それも簡単だ。最近は良好に見えた私と片桐の仲が、再び離れたように見えたからだろう。
些細な理由であってもこの教室に来ていた片桐が一切来ない。私が話しかけても反応しなかった所を数日前に見られた事も原因か。
何にしても、再び不仲説が囁かれている。本当に、逞しいご令嬢達だ。いや、推薦組も興味津々か。つまり、逞しい少女達というべきか。
片桐が取り払った、エスカレーター組と推薦組の確執。冴条と正院は片桐の一番近くに居たのに勘違いしたままだったが、取り巻きが居なくなるとしっかり浸透していたのだと感じる。
この確執は長年――いや、今後も続くと言われていた。それもそうだろう。ご令嬢達は骨の髄までご令嬢なのだ。生きている世界が違うという覆らない事実がある。どんなに相手の頭が良かろうが、使う側という意識があるのだろう。
推薦組は推薦組で、勉強が出来る事が強みだ。自分達を下に見ている令嬢達より頭が良い。これは潜在的な侮蔑を生んでいた。頭が悪いのに威張っている令嬢を、滑稽だと嘲っている子達が居たのだ。
これが、私達が入学した当初の学院だ。五歳という右も左も分からぬ年齢であったが、この学院に澱んでいた黒い部分を私と片桐だけは鋭敏に感じ取っていた。
片桐は王者としての才から、私は生まれ育った環境から。
この怨念のような確執を、片桐は取っ払った。どうやったか、その詳細は分からない。分かっている事は、今の学院に互いを馬鹿にする人間は殆ど居ないという事だ。
冴条達は推薦組も令嬢も関係なく噛み付いていたから例外にしても良いだろう。あの子達も親の犠牲者だ。片桐の邪魔をしていたのは気に入らなかったが、同情していた部分もある。
と、話が脱線してしまった。長々と思考してしまったが、言いたい事は単純明快だ。今この教室に居るのは、ゴシップを楽しむ少女しか居ないという話だ。
(さて、今このタイミングで片桐が来てくれるのが一番だが)
仮にも授業中。片桐が他の教室に来る事はない。まぁ、気にすることではないか。昔の状態に戻っただけだ。私と片桐の仲に影響は無い。私の容姿と性格が変わらない限りは、この意識は変わらないのだから。
授業も三限まで終わった。ふと窓の外を見ると――。
「――スゥー……スゥー……」
愛葉がいつもの場所で眠っていた。久しぶりの光景に、ふっと笑みが零れる。あの頃と違って私は愛葉を知っている。知ってから見ると、その姿の愛らしさが増した気がするのは現金すぎるかな。
私が上げたヘアピンのお陰か、顔が見えている。今日は少し陽射しが強い。日除けがあった方が良いかもしれない。
「――ん」
「うん?」
「はぁ……九条さん。今よろしいですか?」
「あぁ、ごめん。来てくれていたのか」
「えぇ、お昼か放課後、お時間いただけますか」
(考え事、してたんですね。あの癖は出ていませんでしたが……。てっきり愛葉さんに見惚れているものと……)
愛葉との約束はしていなかったはずだ。片桐があの調子だったら愛葉と一緒に過ごしたのだろうが。
「良いよ。どっちが良いかな」
「では、どちらも予約しておきます」
「分かった。時間を空けておくよ」
漸く何時もの調子に戻ってくれたようだ。お陰で、噂も払拭された。日常が戻って来た気がする。
(起きて、戻ってきたけど……やられた! すでに片桐様が約束を取り付けていた! しかも、お昼と放課後……!)
「ごめんよ。良かったら一緒に――」
「い、いえ……今日は将棋部の方に、顔を出してみます」
(確かにもう、お二人の仲を私に隠す必要はないんだろうけど……ライバル……だから!)
何だろう。片桐と同じ頑なさを感じる。将棋部の方に顔を出すという事だが、同じ部活の者とコミュニケーションを取るのは良い事だ。まぁ、私には出来ていないが。
「将棋部の問題はどうなったかな?」
「駄目ですね……。部室も空きませんし、外の方も……」
(部活を利用するみたいで嫌だったけど、やっぱりお茶には誘いたかったなぁ……)
将棋部だけでなく囲碁部もそうだったか。軽伊さんの話だと、成績不振による経費削減、だったな。片桐にも聞いてみるとしよう。
「片桐にちょっと聞いてみるよ」
「え?」
「愛葉が将棋にやる気を出してくれたんだから、こっちでも突いてみよう」
「い、いえそれは……」
(うぐ……)
流石に、越権行為がすぎると思われたかもしれない。いくらなんでも、愛葉を贔屓しすぎか。でも、まぁ……全員部活制のこの学校で、いくつかの部活動が滞っている。その現状は片桐も問題視しているはずだ。少し尋ねるくらいなら問題ないだろう。
「五限と六限目の間にもう一回来てくれるかな」
「は、はい」
(罪悪感……)
愛葉は可愛いなぁ。ネムリヒメだった時と印象は違うが、こっちの方が好きかもしれない。元気な足取りで私に駆け寄ってくる姿は本当に、愛でたくなるのだ。
「それじゃ、また後で」
「はい。また後程、来ます」
(はぁ……もっと余裕が欲しいなぁ……。片桐様はどうやって、精神的余裕を手に入れてるんだろ……)
少し肩が落ちているように見える愛葉が遠ざかって行く。流石に、早急すぎただろうか。
出来るなら……片桐と愛葉にも仲良くなって欲しいのだけど。私は今でも思っているのだ。三人で楽しく、と。
まぁ、片桐と愛葉の間にも譲れない物があるのは知っている。無理をするつもりはない。
二人と私は仲が良く、何だかんだで学校を楽しんでいるという実感が私達にはある。今はそれで、良いのだ。
今日は部室ではなく、屋上で食べるらしい。少し天気は悪くなった気がするが、雨は降らないだろう。
「今まで通りで良いのかな?」
「当然です」
人生で一番取り乱していたと思われる片桐と、今の片桐とのギャップは私を笑わせるには十分すぎた。
「もう……笑わないで下さい」
「ごめんよ。今日は、少等部の時を良く思い出すものだから……ふふ、ははっ」
(そういう貴女も、今日はまるで……)
っと。片桐の笑みが生暖かくなってしまった。流石に気恥ずかしいから、笑うのはこの辺りにしよう。しかし、腹が痛くなるくらいの笑いだ。止めようと思って止められる物でもない。もう暫く、笑い合うのも良いだろう――。
落ち着いてきたところで、食事を始める。部活の話は食後からだから、先に将棋部と囲碁部の事を聴いておこう。
「ところで、将棋部と囲碁部の事。軽伊さんから聞いたんだけど」
「愛葉さんからではありませんの?」
「あー、愛葉からも聞いたけど、軽伊さんから聞いたのが最初だよ」
愛葉と片桐は色々とあるみたいだから名前を出さなかったのだが、特に気にして居ない様だ。というより、私からその話が出るのは予想出来ていたらしい。
「軽伊さんからでしたら、詳細も知っているのですよね?」
「ああ、門で暴れてた不良が関係してるっていうのは知ってるよ」
「不良グループのボス、とでも言うのでしょうか。主要人物は未だに拘留中です。しかし、その他の者達は今も予定していた喫茶店に滞在しているようです」
「そうなると、追い出しは無理だったって事かな」
「というより、学校側からお断りを入れたのです。客を追い出してまで用意する事はありませんから」
まぁ、そうだろう。喫茶店は誰でも入っていいのだ。ご令嬢とはいえ、一学生でしかない部活の為に客を追い出すのは商売として破綻している。
それに、部活にかこつけて不良を追い出そうという魂胆もあるのだから、余計に性質が悪い。そんな理由が後々不良にバレれば、門襲撃どころの事件ではなくなる。
「じゃあ、部活はまだまだ休止か」
「その事ですが、次の成績次第では将棋部と囲碁部の経費を更に落とす案も出ています」
「そんなにこの学校の経営はギリギリなのかな?」
「どちらかといえば、両部活参加者のやる気を確かめるという物のようです。私も賛成しております」
やる気のない部活に留まるより、もっと良い部活を探すきっかけになろうとしている訳か。
成績だけで全ては決められないが、部活がなくなると言われてやる気を見せなければ、将棋部と囲碁部は廃部となるだろう。そこに容赦はない。片桐も参加している以上、確実に通る。
愛葉がやる気を出しているようだから、将棋部は安泰――と、考えるのは甘いか。全員の成績が見られるからだ。廃部を迫られる程という事は、それ程ひどいのだろう。
昔の貴族を踏襲しているというより、憧れもあるのか。お嬢様達はチェス部に集まる。そんな中で将棋や囲碁を選んだ子達は、それなりに興味があって入ったはずだ。しかし結果が伴っていない為、真面な活動が出来ていなかったのだと思われる。
「片桐は、出来るなら?」
「はい。存続の道を探ってはいます。しかし、現状では難しいです」
生徒だけの対局では、実力は上がらない。だからこそ、近所にあるボードゲーム同好会のような場所で腕を磨かせようとしたのだ。でもそれすら失敗に終わっている。
「遠くにはあるのです。そこの下見は終わっているのですが、送迎しなければいけません」
「成程。バスはあるはずだから、運転手の確保が問題って事か」
確か、囲碁と将棋の顧問は免許を持っていなかったはずだ。
「仕方ないか」
「まさか、九条さん……」
普段の私なら静観するが、今回は特別だ。片桐と愛葉との日常を守る為なら、少しくらい無茶もしよう。




