学園の日常―登下校―③
あの時……少等部五年になったばかりの時もそうだったが、もっと上手く声を掛けてあげられれば良いのに、と思ってしまう。自身の口下手がこんなにも恨めしい。
(ああ。正院達が私を嫌ってるのって、あの時の事が――まぁ、今は良いか)
私は知っている。片桐はあれで十分分かってくれるし、立ち直ってくれる。
「ふぅ……」
しかし、問題は山積みだ。片桐母の思惑、秋敷楓の思惑、どちらも訳が分からない。
それは私が何も知らないからだし、知ろうと努力していないからだろう。明らかな面倒なのだ。あの二人に係わり合いになるくらいなら、片桐と愛葉との日常を楽しみたい。
「そうとも、言ってられなくなったが」
片桐はかなり追い詰められていた。片桐母が来た日の放課後でギリギリだったのだろう。家に帰ってから何かあったのか、それとも――私が何か選択を間違えたのか、だ。
そのどちらであっても、あの片桐が私を遠ざけるという選択を取ったのは初めての事だ。それ程の事態と思って、私もやる気を出すしかない。でないと……私はここに居られないだろうから。
片桐母の登場という事件。それは九条にも届いているはずだ。秋敷さんが居るのだから、父に伝わっているのは確かだろう。しかし父は何も言ってこない。普段から無干渉で私に対しての関心がない父だが、片桐母が関わった時は特に無言だった。今回もそのはずだ。
そんな父と懇意にしている秋敷さんが、何故片桐母と一緒に居たのか。しかもあんなにも怯えたような、憎悪を向けているような表情だったのか。今は想像しか出来ないが、両親達の間でも何か起きているのかもしれない。
(いや。元々……両親だけのいざこざだったのだろう。そこに私という要素が加わって――加速した)
だったら私は、今の日常を守る為にだけ努力を向けよう。まずは――。
(留年は避けないといけない)
片桐先輩、愛葉先輩、か。悪くはないのだろうが、少しばかり恥ずかしいな。
「あ……」
「愛葉さん……」
ま、まさかこんな所で片桐様と……いえ、この場合考えるべきは……ここに、屋上へと続く階段に片桐様が居たという事は、桜さんも居たという事だろうか……。
「桜さんとは」
「っ……」
この反応……少し、頬を染めてる?
最近桜さんを避けているように感じた片桐様に、桜さんの名前を出した場合……顔を背けたり、良い顔はしないはず。なのにこの反応を示すという事は、片桐様と桜さんは今さっきまで逢っていて……桜さんに何か、してもらった?
「仲直り、出来たんですか?」
「……最初から、仲違いなんてしていません。貴女は知っているはずですよね」
「最近の話です。私は噂、嫌いなんです」
(そう……。自分で見て、私と桜ちゃんの不仲説を払拭したという事ですね……。そして今回の事も、薄々……)
片桐様も桜さんも、敏感に反応する。それでも二人にとって私はもう、隠すべき対象ではないという事。それは、諦念から来てるのかもしれないけれど……私になら知られても問題ないと思ってくれたという事、と前向きに考える。
片桐様が何故私にこんなにも強く当たるのか、それは分かっている。片桐様は知っているのだと思う。何故桜さんが私を気に入っているのか。
お互い桜さんの知らない所で、桜さんを取り合ってる。私達は桜さんにとって特別な存在なのだという自覚がある。でも私達は……まだ上が欲しい。
「もう、悲しませないで下さい」
「え……?」
「桜さん、ずっと上の空でした」
「……っ」
ここ数日、私は桜さんを独占出来た。だけど……心は片桐様に向いていた……。私と居る事で楽しんでくれていたと、思う。でも桜さんは片桐様をずっと気にかけていた……。
「何故、貴女が私に、それを?」
お互い、桜さんの特別になりたがってる。だからこそ、私達はお互いをライバル視している。そんな私から、まるでアドバイスするかのように叱責されれば、片桐様であっても疑問が浮ぶというのは分かってる。
「私は……桜さんに、笑顔で居て欲しいだけです」
「貴女と居る時も、笑顔――」
(ああ、そうでした……。桜ちゃんは、私が居ないといけないとも、言ってくれたんでした……)
言いかけた言葉を呑み込み、片桐様が視線を逸らしました。その仕草は、自分に後ろめたさを感じた証拠。
自分の言葉が間違っていると理解し、訂正しようとしています。私はそれを、待つ。
「……お互い、さく……九条さんに、振り回されっぱなしですね」
(さく……桜? 二人きりの時は、桜って名前呼びなのかな……。呼んでくれないって、桜さんは言ってたけど……)
「私達が勝手に、踊ってるだけかと思いますが」
「踊る、ですか……ふふっ……」
踊る、という言葉で力の無い笑みを浮かべて、肩を竦めています。もしかして、桜さんと踊った事があるのかな。
色々と、家庭の問題があるようだけど……高等部から参加出来る『夜会』に、片桐様は少等部から出ていたそうですし、桜さんも……。
片桐様の笑みの意味は分かりませんでしたが、「私は桜と本当に踊った事がある」といった、勝ち誇った笑みとは違ったように感じた。
どこか、自嘲的な……? 私の「踊る」という言葉が、片桐様の記憶にある何かを刺激したのかな。
「愛葉さん」
「はい、何でしょう」
「貴女の言うとおり、です。私達が勝手に、落ち込んでいるだけ……ですね」
落ち込んでいるのは片桐様だけ、って言いたいけど……私も桜さんが悲しんでいる姿を見て落ち込んだのは事実。落ち込んだ理由が、利己的だったから、私は正々堂々居たいだけ。
「私は……桜さんの目が、目の前の私じゃなくて……片桐様に向いていたのが、嫌だっただけ、です」
片桐様が普段通りだったら、そうならないのに、と……。
「私も、貴女を叱ったのは……利己的でしたから、お互い様です」
「それって、桜さんが私を気に入っている事と関係が……」
「それは、言えません。私と貴女はライバル。これ以上は貸しになってしまいますから」
私の貸しは、すぐに返されてしまった。確かに、ライバルで居るなら貸し借りがあってはいけない。
「平民の私と、ライバルですか?」
「この学院に、お嬢様も平民も居ません。学年一位と二位、同じ方の特別になりたい、女の子が二人居るだけです」
最初から分かっていた事だ。片桐様に選民意識はない。
私は普通の中学校に通っていた。高校からこの学院に入ったけれど、この学院の雰囲気は本当にお嬢様学校だった。
そんな中で片桐様は普通の学校生活を送ろうとしていた。名前と、隠しきれない威光に邪魔されているけれど……ただの生徒会長。
少し自嘲が過ぎたと思い、私は肩を落としてしまう。
「私は失礼します。そろそろ平均点で貴女に勝ちたいと思っているので」
「生徒会長と部活で忙しい片桐様の方が……」
「王者とは言い訳をしない者です」
私達にはない、王者の風格。突き放すように私の前を去ったのは、お互いの弱味を見せない為。
(愛葉さん。私達は対等です)
(片桐様の方が数歩も先に居る)
(桜ちゃんはどちらかを特別扱いなんてしません。でも、私達は特別でありたいと願います)
(桜さんの特別になりたいなら、自分を高める以外に道はない。蹴落とす行動、貶す行動は、桜さんの顔を曇らせる……。私はまず、俗な精神を叩き直すしかない……)
桜さんの一番にはなれないのかもしれない。私達はお互い、そう思ってる。でも、望む。
どうしても私は、片桐様と自分を比べてしまう。生まれは関係ないけれど……精神だったり、生き様だったり……。何よりも、過ごした時間を……。
片桐様が見えなくなったあたりで、私は座り込んでしまう。
私は片桐様の上にいけるだろうか。私と片桐様だけの、恋戦。勝利条件も不明だし、勝って何をしたいのかも不明、そもそも桜さんが望んでいない戦い……。
「ですが」
「負けない」
私達は桜さんの――愛が欲しいのだから。




