学園の日常―登下校―②
少等部三年生の時に、「片桐として皆の上に立つ様に」という母からの命令に沿って、少等部生徒会長になったのです。
順調に、命令通りに活動しました。最初こそ反発はあったものの、言葉と行動でもって地位を確立していったのです。
全ては、あの日交わした誓いを果たす為。その為に、母の命令に従っているのです。その為に、母の命令を完璧に遂行するのです。
でも……五年生になってすぐの頃だったと思います。あの時、私は――。
「――片桐様!」
つい先日まで純粋な、私への憧れを携えた目で「片桐ちゃん!」と呼んでくれていた正院さんと冴条さん、その他の学友達の目が……畏れと敬意に染まっていました。
その理由は簡単な事なので、すぐに分かりました。
私は二年間の生徒会活動により、この学院の全生徒を導ける立場となっていたからです。これは学院始まって以来の快挙であると、先生たちが言っていたのを覚えています。
二年間で我侭なお嬢様達を纏め上げ、導ける存在となった。それが保護者達の、私への評価です。問題児は殆ど居ませんけれど、多くの子供達が自分の家柄を誇り、自惚れていました。自分は世界で一番偉いのだと。
そんな者達を纏め上げた私に、保護者達は『片桐』の先を見たのでしょう。何れ私が『片桐』の長となると、直感的に感じ取ったのです。
だから……。
「片桐様! 本日はどのような活動をなさるのでしょう!」
「片桐様、お荷物お持ちいたします!」
「日傘をお持ちしました!」
だから子供達を使って、パイプを結ぼうとしているのです。少しでも良い関係を早くから結べるように、少しでも深く……お互いを知れるように。
私の周りから、友達が居なくなった瞬間でした。
子供達にとって、親の思惑なんて関係ありません。ですから、「親に言われているから」という気持ちでやっているのなら、私は諭す事も出来たでしょう。
でも冴条さん達は本気で私を、友人ではなく……将来的なビジネスパートナーとして見ていたのです。冴条さん達は優秀でした。だからこそ、父親達の言い分を深く理解し、私という『片桐』を強く意識してしまったのでしょう。
そして同時に、片桐との深く太いパイプの為に……他者を蹴落とす事も始めたのです。
「片桐ちゃん、えっと」
「ちょっと! 片桐様でしょう!?」
「わざわざ呼び止めるなんて、大事な用事なのよね?」
「構いません。どうなさいました?」
「い、いえ……」
私に話しかけようとしていたはずの子達が、離れていってしまいました。
最初こそ、その振舞いを止めました。他者を威圧するなと。しかし……もう遅かったのです。
たった一度のやり取りで、片桐愛衣には取り巻きが出来、本当に大事な用事以外で話しかける人が居なくなってしまったのです。
私の周りには常に人が居て、私を讃えてくれます。きっと誇らしい事なのでしょう。なのに――私は、そう思えませんでした。
しっかりと生徒会長の仕事は出来ています。取り巻きの子以外の方達も、私を生徒会長として敬ってくれていますし、お願いを聞いてくれます。会話が全く出来ない状況ではないという事です。
でもその度に、取り巻きから何かを言われてしまう。やれ、出来が悪い。やれ、仕事が遅い。その全てに、「片桐様が困る」がつく。私はその場で訂正をしていました。「そうではない」と。ですがそれも……効果はありませんでした……。
「……」
遣り甲斐を感じていた生徒会長という仕事が、こんなにも空虚になりました。友達と呼べる子が周りに居なくて、頼み事が命令になってしまう。次第に私は口数が少なくなり、必要な事以外を話さなくなりました。
そんな、時です。
「片桐様」
びくりっと、私の肩が跳ねました。一番、そう呼んで欲しくない子が、そう呼んだからです。
「……九条、さん」
「少々、時間をいただけないでしょうか。再来月に開催される夜会についてです」
「ちょっと、貴女みたいな――」
「急ぎなのです」
私の頭は、今行われている会話の殆どを受け入れ難い物として、拒否していました。
あの日、敬語ではなくため口になってくれた。片桐様だった呼び名は片桐となり、まるで部下のような無表情は笑顔になってくれたはずでした。なのに、あの頃の顔が、そこにあるのです。
「片桐様、お時間を」
「嫌、です」
私の口は何故か、拒否を告げていました。いえ、自分がどうしてそうなったかを、私は分かっています。九条さんまでそうなって欲しくなかったのです。
私は学校では、生徒会長愛衣でいたかったのです。決して、『片桐愛衣』で居たい訳ではなかったのです。
「そういう事だから、九条さん。片桐様は今忙し」
取り巻きが、九条さんを突き飛ばしました。それを見て、私がやった事がどのような結果を生んだかを、理解したのです。
私はただ単に、嫌と言いました。つまり私は、用事ではなく、九条さんを拒否して――。
「急ぎなので、失礼します」
なのに、九条さんは私の手を無理矢理掴むと、強引に引っ張って行ったのです。
「ちょっと! 何やって!?」
「急ぎ、と何度も申しております。それとも貴女方は、片桐様の仕事の邪魔をしたいのでしょうか」
「っ」
九条さんがこんなにも強引に、私を引っ張って行く事はありません。私がする事は多々ありましたけど……。でもそれも、人気がない所だけの話です……。
何より九条さんは、私が生徒会長になった時に……「私とは暫く、隠れて会おう」と言っていたのです。
「九条さん!?」
「片桐様も、我侭を言わずについてきて下さい。お疲れなのはご理解しておりますが」
本当に淡々と、執事のような、部下の様な物良いで私を叱責しています。他の方達とは違う物言いです。私はその時点で気付くべきでした。でも私は……九条さんの他人行儀な物言いが、嫌でした。
「……」
自分の体ではないかのように、足取りが重くなります。でも九条さんは関係なく私を……立ち入り禁止のはずの屋上に、連れ出したのです。
「ふぅ……」
疲れたのか、九条さんが短く息を吐いています。思えば、九条さんと二人きりは久しぶりです……。会う機会がとことん減って、このまま中等部に入ると、本当に離れるんじゃないかってくらい……。
あの時九条さんが言っていた事を思い出します。「自分は不良っぽいって思われてるらしいから、片桐と大っぴらに仲良くするのは得策ではない」でしたか。
私は当然怒りました。それはもう、人生で一、二を争う程に、怒りました。でも九条さんも頑なでした。
だから私は……その意識を変えるために頑張るとだけ、告げました。
私の生徒会活動の中に、”いらぬ勘違いで起こっているいじめや差別、忌避を止める様にする”という物があります。
これは主に、推薦組に対しての活動と思われています。実際、それもあるのです。でも一番は……見た目だけで不良といわれている九条さんを守りたいからです。
一向に意識改善されなくて、私の活動唯一の……失敗となっています。
それとは裏腹に、推薦組みへの意識改善は進んでいます。まだまだ遠巻きに見たり、平民と蔑む人間は少なからず居ますけれど、すぐにでも改善出来る下地は出来ています。でも、九条さんだけが……孤立していくのです……。
「……」
「片桐」
「……?」
先ほどまでの無機質さは一切なく、九条さんは私をいつものようにやさしく、片桐と呼んでくれました。
「随分、苦しそうだ」
「っ……」
そうか、九条さんは私を助け出してくれたんだ……。そう、強く感じました。
「親の考えを丸呑みにして行動するのは楽だけど、あの子達は自分の考えも持ってるから性質が悪いね」
昔よりずっと感情が豊かになりましたけれど、九条さんは少し擦れてしまったようです。でもそれも全ては……あの人達の……っ!!
「九条さん……私は……」
きっと、全部分かっているのです。何故私がこんなにも落ち込んでいるのかを。
友達が友達ではなくなった。元友達の所為で、私は高嶺の花になってしまった。私の活動、その一部は思惑から外れ……大事な事が、進んでいない……。その、どんな事よりも……九条さんと逢えないのが……辛い……っ!
私は今、無力感に苛まれています。どうしようもなく『片桐』に、踊らされています。そしてきっとこれが……母の思惑通りなのです。
「昼」
「……?」
「ここに来ると良い。ここは普段立ち入り禁止だから、誰も来ない」
「えっ、と」
「じゃあね。また後で」
それだけ言うと九条さんは、屋上から出て行ってしまいました。
有無を言わせない、とはこの事です。私は置き去りにされてしまったので、屋上から空を見ました。
(空を眺めるなんて……久しぶり、ですね)
ここは、学校の死角です。回りを校舎に囲まれ、空しか見えません。屋上というより中庭のような場所です。でも、ここは凄く静かです。ここには私しか、居ません。私達しか、入れないのです。
九条さんがどうしてここを知っているのか、何故入れるのか、気になる事は多々あります。でも、私が一番に考えたのは……九条さんがくれた安息の意味でした。
(思惑通り。そう、ですね)
母はきっと今を望んでいるのでしょう。
子供達、その親達、先生。全てが何処かで『片桐』を意識する。そして私が将来確実に、女帝となれるように下地を作る。それが、母の想い描いた生徒会長。
私とは、違います。私は生徒の皆と、友達とまではいかなくとも……仲良くしたい。
「……もう少し、抗ってみよう」
取り巻きはどうしようもない。だから、私も傲慢に頑張ってみましょう。取り巻きが私を『片桐』として扱うなら、私は”『片桐』の愛衣”として振舞おう。
私の考える『片桐』で居ようと思います。”ただの愛衣”は……貴女だけが見てくれれば、良いのです。
「桜ちゃん、強引だなぁ」
こんなにも強引な一面があるとは、思いませんでした。強引なのは、嫌いではありません。その相手が桜ちゃんなら、嬉しいとさえ思えます。でも、強引なら強引で、もっと慰めるとかあったんじゃないかとも思ってしまいます。
それが贅沢なお願いなのは分かっています。私達の複雑な関係を考えれば、桜ちゃんは最善を尽くしてくれたのだと、思っています。でもやっぱり、もっと一緒に居て欲しかったのです。
だから……ちょっとだけ文句を言ってみようと思います。
お昼ここに来れば、逢えるのですから――。




