学園の日常―部活動―⑤
「あ、そうそう。授業出てないなら知らないよね」
「何がでしょう」
「英語の特別講師の話」
(秋敷さんの事か。知ってるけど、あの人と親類というのは知られたくないな)
「何でも、放課後に希望者だけ募るんだってさー。良いよねー。楽出来て」
「希望者だけ、ですか」
それは朗報だ。絶対に希望しない。
「秋敷ってあの秋敷なのかな?」
「さぁ。もしそうなら、何でこんな場所にってなりますけど」
「だよねー」
軽伊さんから秋敷さんに尋ねてくれないだろうか。多分、無理だろうな。ゴシップ好きな人だが、直接他人に聞くような人間ではない。一人でひっそりと楽しむタイプなのだ。
何より軽伊さんが職員室に行く事は少ない。職員室に篭る気満々の秋敷さんとは、まず会わないだろう。
「この学院で特別講師とか無茶通せるんだから、やっぱりあの秋敷かな」
「環境大臣は人格者と聞いていますが」
「まーねー。でもさ、奥さんには黒い噂が多いらしいよー。詳しくは週刊ゴシップ見てね」
私はそういった噂は好きではないが、見聞きする事に抵抗はない。しかし、所詮はゴシップだ。九条の人間が、ゴシップ雑誌に撮られるなんて不手際をするはずがない。想像が殆どだろう。
「今日は良い天気だけど、まだ肌寒いよねー。暖房つけてあげよっか」
「いえ、乾燥しますから」
「ん? あー、愛葉ちゃんの方の心配?」
「まぁ、そうですね」
ズボラで適当な言動が多い人だけど、やっぱり鋭い人だと思う。保健医としては優秀だし、当然か。
「加湿器はつけてるけど、九条ちゃんが大丈夫っていうなら大丈夫かー」
軽伊さんが珈琲を入れてくれている。せめて、温かい物でも飲めという事だろう。
「今両親居ないんだっけー」
「居ませんね」
「ちゃんと食べてる?」
保健医としてか、色々と事情を知っているからか、私の健康状態が気になるようだ。
保健医の軽伊さんと教頭の羽間さん、美術教師の小鞠さんは私の家庭事情を知っている。相手が九条だから遠目から見守ってくれるだけだが、気にかけて貰えるだけありがたい。
「果物だけで済ませようとしたら、咲から止められました」
「果物だけも悪くないけど、どうせリンゴだけとかでしょー」
当たり。適当に洗って丸齧りしようとしたところで止められた。
「九条ちゃんズボラだもんねー」
「軽伊さんにだけは言われたくないです」
ズボラ仲間なんて、面倒くさがりの私からしても不名誉すぎる。でも、まぁ――食事にだらしない分、私の方がズボラ度数は高そうだ。
授業が終わりました。今日は五限だけですから、すぐにでも九条さんの所に向かいましょう。余り、共に居る所を見られるのは得策ではありませんが、部活関係ならば問題ありません。
「片桐様、その……」
「どうなさいました?」
クラスメイトの一人が、言い難そうに私の元にやってきました。九条さんは放課後も参加すると言ってくれたのです。少しくらいならば、クラスメイトとの語らいをする事に異論はありません。
「遠慮なさらず、話してみてください」
「はい。あの……片桐様を呼んで欲しいと、頼まれまして……」
教員からの呼び出しであれば、ここまで躊躇する必要がありません。生徒からの呼び出しでしょうか。九条さんとの一分一秒は惜しいですが……私は生徒会長です。
「案内していただけますか?」
余り良い予感はしませんが……致し方ありません。
どうせ欠席になるから、という訳ではないが、結局保健室で過ごしてしまった。
「愛葉ちゃんはこっちで見ておくから、行っていいよー。片桐ちゃんと放課後練習あるんでしょ?」
「そうなんですが、愛葉と帰る約束もあるものですから」
場合によっては待ってもらう必要があるし、時間によっては約束を破る事になってしまうかもしれない。今日はジェファーに無理をさせてしまったから、ケアに時間を掛けたいと思っている。
「愛葉ちゃんって部活なんだっけ?」
「将棋だったはずですが」
「あー、じゃあ今日は無理かな。気にせず行って良いよ。愛葉ちゃんには、乗馬場に行くよう言うから」
「無理?」
「昼、九条ちゃんも関わってるけど、不良来たでしょー」
唐突だが、関係があるのだろう。しかし、不良と将棋が結びつかない。
「将棋部って今部室なくてねー。近場のカフェを借りて、そこのボードゲーム好き達と一緒にやるっていう運びだったんだけどー」
「なんと言うか、結構無茶してますね」
「でしょ? 顧問の久氏ちゃんがどうしてもってねー。まぁ、カフェは借りられたんだけど、一階と二階で客層違ったらしいんだよね」
何となく読めてきた。
「つまり、どっちかの客が不良だったと」
「そそ。一階ね。でも、うちの子が行くからって追い出してー、キレた不良がさっき襲いに来たって話ー」
つまり、カフェと学校側の杜撰な管理の所為で割を食ったという訳か。将棋部も可哀相だ。他人事ではないか。愛葉が将棋にどれ程熱を入れているか分からないが、困る事だろう。
「確認不足だった学校側が全面的に悪いんだけどー、カフェを借りるって話はおじゃん」
「でしょうね」
そんな危険な場所に、学院の生徒を入れる訳にはいかない。何より愛葉が行くのは私が止めるだろう。
「だから、将棋部の新しい活動場所が決まるまで、部活は事実上の休部ー」
部活の管理も片桐に任せているんだったか。あの片桐に限って、そんなミスをするとは思えない。計画書を持って来た人が掴まされたのだろう。
「そういう事なら、愛葉は任せました」
「はいはい」
もう少し寝顔を見るのも悪くないが、片桐との約束をすっぽかす訳にはいかない。体操着のままだし、そのまま乗馬場まで行くとしよう。
保健室の外に出るなり、目的の人物を見つけた。何故か空き教室に向かっている。生徒会の仕事でも入ったのだろうか。それか、朝約束していた勉強会の話だろうか。
(ふむ)
私はどうするべきか迷って、乗馬場へと向かった。私に連絡しないのだから、すぐに終わる用事だろう。先にジェファーの様子でも見るとしよう。
空き教室に入るなり、私は少し後悔しました。
「お母様と――冴条さんと正院さんの」
「ご無沙汰しております。愛衣様」
「挨拶は結構です。愛衣、座りなさい」
何故ここに居るのか、という疑問はあります。この顔ぶれを見て察せられない程鈍感ではありませんから、どうして学校に入れているのか、という意味ですが。
「お二人から謝罪をしたいと連絡を頂きました」
「謝罪は必要ありません。冴条様、正院様」
「いえ、しかし……」
お二人には悪いと思っております。しかし、母は謝罪等どうでも良いと思っているのです。ただ単に娘の様子を見るという理由で、この学院に入る事は出来ません。先日の謝罪の場を設けたいという尤もな理由で入ってきたのでしょう。
私と――九条さんの様子を見に来たのです。
「失礼します」
私の後ろ、入り口から声がしました。この声には、聞き覚えがあります。
「秋敷さん、でしたね」
「先程ぶりです。片桐愛衣様」
教員が生徒を様付けする必要はありません。なのに秋敷氏は私を様と呼びました。その一言で、私はもう――母の関与を疑わずにはいられなかったのです。
「監視、という訳ではございませんが、無闇に校内を歩き回らないようにと、私が付く事になりました。秋敷楓と申します」
「まさか、秋敷大臣の……」
「はい。冴条様と正院様、そして片桐様にはお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ……先日も、会合にお招き頂き、ありがとうございます」
社交辞令の間も、母は特に反応を見せません。秋敷氏と父は先日もテレビにて懇談会をしたばかりです。なので、母は秋敷氏とその事を挨拶する必要があります。なのに、しないのです。
つまりもう、挨拶は済ませているという事でしょう。それに……九条が、関わっているとなれば……。
「愛衣。座りなさい」
「……部活がありますので、手短にお願いします」
「手短に終わります。愛衣、冴条さんと正院さんの娘さんと仲直りなさい」
「仲直りも何も、お二人が一番分かっていると思いますが」
先程から一言も発する事無く、涙目でこちらを見ている冴条さんと正院さんが一番知っている事です。
何故私があんなにも怒ったのか。それを理解していれば、両親からの手打ちの相談等意味はないという事も解っているはずです。昨日の今日で、良く私の前に出られたと思っているのですよ。
「本当の事を言っただけでしょう」
お母様は全てを知った上で、手打ちをしろと言っているのですね。
貴女の事を私は尊敬していました。自慢の母でした。なのに、九条さんの事になるとこんなにも――。
「謝る相手が違うと思います」
「桜は気にしていません。あの子は本当の事を言われたくらいで傷ついたりしませんから」
一教員ではなく、九条さんの親類としてここに立つという事ですか。母と秋敷氏の関係が見えません。下手な事は言えないと、分かっています。しかし私の心は先程から、絶叫を上げております。
これ以上刺激しないで頂きたく思っているのですが、やはり悪い事は重なるもの、なのですね。
「片桐、ちょっと良いかな」
扉の向こうから、今一番聞こえてはいけない声が……聞こえてしまいました。




