学園の日常―部活動―④
桜さんの肌は、凄く透き通ってる。思わず手が伸び、触ってしまった。良く、白玉みたいな感触とか言う人達が居るけど……これは、それ以外に例え様が無いくらい、だと思う。
「ん……そこ、だね」
「はっはい!」
どうやら触れた場所が丁度、痛めたところだったらしい。桜さんが悩ましい声を出して、意識が急速に戻された。
「何で、痛めたんですか?」
「うん? ああ、さっきのいざこざでね」
「ま、まさか不良に――」
「ジェファー……馬を、乗りこなせなくて」
どうやら私の早とちりだったらしい。乗馬で痛めた、という事だろうか。いざこざと馬が結びつかないけど……。
このまま桜さんを上半身裸のまま放置する訳にはいかないので、塗っていく。
指に適量取り、桜さんの腰に再び触れる。ぴくんと跳ねるように反応を示した桜さんに、私は心臓が高鳴るのを自覚した。
ただの治療行為なのに、何故かドキドキする。俗な喩えになるけど、ビーチでサンオイルを塗っている男性達は、こんな気分なのかもしれない。
「塗り終わりました」
少し名残惜しさを感じながら、手早く塗り終える。余り触り続けるのも、失礼と思ったから。
「ありがとう」
「あ」
蓋を閉める時に用法を読んだけど、この薬……。
「桜さん、これ……塗ってから暫くは、服とか着ないほうが良いみたいです」
「ん……本当だね。はぁ……面倒な薬を買ったものだよ」
普通保健室に、こんな本格的な物がある方がおかしいと思う。先生の趣味、というと語弊があるだろうけど、こだわりなのだろうか。
(いくら私でも、上半身裸で歩き回る趣味はない)
「もう暫くここに居るよ」
「そうした方が、良いです」
(その姿で、授業に出るつもりだったのかな……)
女子校とはいえ、男性の先生は居る。それとは関係なしに、桜さんの裸を見られるのは、ちょっと嫌だった。片桐様だって、こんなにまじまじと見た事はないと思う。
もうしばらく、この姿を見られるという事に、私は少し喜んで――。
「さ、愛葉はもう寝た方が良い」
「あ、はい……」
そういえば、眠るために此処に居るのだった。浮かれすぎて頭から抜け落ちてしまっていた……。
「三十分、か。間に合わないね」
「そうです、ね」
遅刻扱いになるのは、授業を半分以上受けられる場合だけ。授業が開始して既に十分経っているし、今から三十分となると、もう殆ど終わりかけになってしまう。
皆勤であったはずの桜さんに、欠席が一つ付いてしまった。
(今回に限っていえば、片桐に怒られる事はないだろうけど、軽伊さんに理由を説明してもらうしかないか)
桜さんが、ヘアピン近くの髪を指で玩んでる。この仕草は良く見る。何かの癖なのだろうか。桜さんと二人きり、しかも桜さんはベッドの上で……。この非日常的にすら思える状況が、私のちょっとした好奇心を刺激する。
癖だろうから自覚があるとは思えないけど、何か思い当たる事が――。
「ふぁぁぁ…………偶に食べるコンビニ弁当は結構美味し…………」
保健室の扉が開き、白衣の人が入ってきた。確かこの人が、先生だったはず。
「九条ちゃん? やっほー。お久ー」
「お久しぶりです」
「お邪魔だった?」
「何を想像したのかは知りませんが、問題ありません」
何と言うか、軽い人だと思ってしまった。思わず失礼な事が過ぎってしまった。せっかくの状況を崩された事に苛立ちでも覚えてしまったのだろうか。自分の俗な部分に、自己嫌悪を感じずにはいられない。
「何で裸?」
「腰を痛めまして」
「やっぱりお邪」
「湿布を張ろうとしたのに、軽伊さん、使いきっていたでしょう」
まだ何かを言おうとしたのを断ち切り、桜さんが少し毒を吐いてる。一体どんな勘繰りだったのだろう、なんて事は思わない。出来るなら入室をもう三十分は遅らせて欲しかったと思っているから。
「あー、そういえば切らしてたかも。じゃああっち使ったんだ?」
「はい。三十分はこのままです」
「あー、じゃー、書いたほうが良い?」
「お願いします」
「はいはい」
桜さんの言いたい事が分かったようで、先生が何かを書いている。多分、授業を休む事になった理由を認めているのだと思う。
「片桐ちゃんに怒られたくないしー」
「先生はどっちにしろ怒られますよ。備品を使いこんでますから」
「……内緒にして?」
「これを提出したら否応無く片桐は気付きますよ」
「だよねー。はぁ……」
片桐様とも仲が良いのか、桜さんと軽口を言い合ってる。ちょっと、羨ましい。同い年の学生達よりも、先生達の方が桜さんを理解しているみたい。
私が知っているのは、九条家のお嬢様という事。片桐様との仲は、本当は良いって事。後は、噂程度の事しか知らない。 噂は余り好きではないから、桜さんから直接聞きたい、なぁ。
今日は良い天気で、少し陽気だから……ぽかぽかする……。こんな日は、何時もの場所で……桜さんと…………。
「んと、愛葉ちゃんだっけ。九条ちゃんの付き添い? ……うん?」
「ベッドをお借り出来ますか。軽伊さん」
こくりこくりと、愛葉は目を閉じ椅子に座ったまま眠っている。まるでビスクドールのようにベンチで寝ていた姿は今でも鮮明に思い出せるが、この可愛らしい姿も良い物だと笑みが零れてしまう。
「あー、寝に来たんだ」
「はい」
「そっかそっか。ご両親から聞かされてたからねー」
軽伊さんは愛葉の事を知っているようだ。成績は常に上位だし、ネムリヒメは有名だろう。しかし、そういうのを抜きにして知っているらしい。
「ご両親から?」
「そ。寝に来たら寝かせて上げて欲しいってさー」
両親が心配してお願いする程という事は、私はやはり無茶をさせていたという事だろう。今後は気をつけておく必要が出てきた。何故か愛葉は、私が言うならと授業に出席してくれている。自身の体調に関係なくだ。
愛葉を抱え上げ、ベッドに横にする。相変わらず軽い。お弁当も私の掌に納まるくらいの大きさだった。実際私もそれくらいで事足りるのだが、愛葉はあれでも多いと思っているようだった。
「この学校に入ったのも、成績上位維持出来るなら授業に出なくても良いからだからねー」
多様性の時代になったとはいえ、授業を丸々休んで良いという学校は他にはない。成績を維持出来るなら良いというのも、世間一般的な感性からいえば眉を顰めたくなるだろう。
ただしそれは世間一般の感性だ。私達は然程気にしない。私が授業に出た方が良いと言ったのは、片桐の元取り巻きにちょっかいをかけられるのを避ける為でしかない。片桐は私情を少し挟んだものの、生徒会長という責任感から注意していた。元取り巻き達にしても、片桐が叱っていたから良い所を見せようとしていただけだ。
この学校の中でいえば、授業に出なくても成績上位なら問題ない。そういう校則になっている。
まぁそれは、推薦組に限られるが。私達エスカレーター組は、生活態度の重要度が跳ね上がっている。卒業時には何処に出しても恥ずかしくない淑女となるべく、普段から心がけなければいけない。
授業態度も良い方が好ましいだろう。授業に出る事の意味は十二分にあるが――神経をすり減らしてまで出ないといけないものでもないのだ。
「ちょっと心配だったけど、倒れる前で良かったよー」
「倒れる、ですか?」
おかしいな。愛葉は病気ではないと言っていたはずだが。
「中学の時一回倒れたらしくてねー。それが階段だったから、さ」
「……」
私を心配させたくなかったのか、私に負い目を背負わせたくなかったのか、多分どちらもだろうが、私は頭を押さえてしまう。やはり、睡眠を邪魔するべきではなかった。
「まー、九条ちゃんと仲良いみたいだし、気にかけて上げてね」
「はい」
言われずともそのつもりだ。責任を感じてないといえば嘘になるが、それ以上に愛葉が傷つくのは見たくない。




