学園の日常―部活動―②
事情聴取は思いの外早く終わった。片桐の名前である程度予想していたのだろうが、警官達は片桐の言を良く聞き、私に対し理解を示してくれた。
もし片桐が居なければ、両親を呼ばれていただろう。まぁ、両親は来れないから、咲が来るだろうけど。どちらにしろ、私だけでは不良同士の抗争になってしまう。
「あの様子ですと、ドレッサージュも出来そうですが」
片桐がそんな事を言うが、ジェファーは片桐と組むんだ。私が乗るのは他の馬となる。ジェファーでの練習を経て、私は別の馬で練習する事になる訳だが――比較的練習の簡単なジャンピングならまだしも、ドレッサージュは無理だ。
「ジェファー相手ですら腰を痛めたんだ。他の馬だと落ちてたよ」
「腰、痛めているのですか……?」
しまったな。言うつもりはなかったのだが。
「まぁ、大丈夫だよ。保健室で湿布でも張ってもらうさ」
「そうですか……では、私も」
「桜、やっと見つけた」
片桐と話していると、後ろから声を掛けられた。ああ、聞き覚えがある。そして聞きたくなかった。この高圧的かつ、慇懃無礼、更に上から声を掛けてくるかのような気安さを含んだ声は――。
「秋敷さん、お久しぶりです」
「呼んだと思うんだけど?」
「申し訳ございません。片桐様との用事がありましたので」
まさか本当に、あの秋敷さんとは思わなかった。私の表情はちゃんと無表情で居られているだろうか。私が嫌な顔をしたところでこの人が傷つく事はないが。
「片桐……」
いくらこの人でも、片桐の名前が出れば言葉に詰まるのか。この人が恐れる人がまだ居たとは、思わなかった。
「九条さん、こちらは?」
片桐が社交パーティで見た笑みを作っている。私の反応から、良い関係ではないと悟ったのだろう。
「父の従姉妹、秋敷楓さんだよ」
「秋敷は、あの秋敷でよろしいのかしら」
「ああ」
秋敷は、環境大臣の名字だ。秋敷楓は環境大臣の妻。旧姓は当然九条。父の従姉妹で、二歳年上だ。父の髪を伸ばせば、そのまま秋敷楓になる事だろう。一応付け足すと、美人だ。
「お初にお目にかかります。片桐愛衣です。先日は父がお世話になりました」
何だったか。あー、そうか。マイクロプラスチック関係の対応策を、片桐の父と話していたか。テレビでやっていた気がする。
「えぇ……こちらこそ。良い話が出来たと、主人も仰ってました」
片桐の完璧なカーテシーに面食らったのだろう。私と同じ歳の少女と侮らない方が良い。今秋敷大臣の前に片桐が出て行っても、実りのある会話が出来るだろう。片桐家の跡継ぎは既に決まっているのだ。
本来なら挨拶も終わった事だし、私から「用事がお有りだったのではないですか?」と言うべきなのだろうが、私はこの人が苦手だ。助け舟を出してあげる義理は無い。
大体、何故ここに居るのだろう。まさか本当に英語教師にでもなったのだろうか。私が覚えている限り、英語を話している姿を見た事がないが。
「桜。来なさい」
「申し訳ございません。今から保健室に行く所です」
「良いから来なさい」
片桐に視線を送るが、縋るのは間違いだろう。仕方ないので着いて行く。
「ごめんよ、片桐。ここまでだ」
「九条さん。放課後の練習は」
「参加は出来るはずだよ」
帰りは愛葉と会う事になってはいるが、向こうも部活があるだろうし、愛葉の予定を聞くまで未定だ。
「では、後程」
「分かった」
秋敷さんと二人きりは少し、気が重いな。父や母よりは会話した記憶があるが、むしろ放っておいてくれと何度思った事か――。
連れて来られたのは資料室だ。普段は教員しか入れないし、その教員も余り入らない。内緒の話には打って付け、という訳だ。
「英語教師になったと聞きましたが」
「何? 疑っているの?」
「いえ」
あの父の従姉妹だ。勉強は出来るかもしれない。それに、私が知らないだけで英語が得意かもしれない。良く回る舌なのは知っている。
「さっきの」
「片桐がどうかしましたか」
「お嬢様と仲が良いのね」
「学友ってだけですよ。同じ部活の」
「……まぁ良いわ。愛菜にも困ったものね」
どうして母の名が出てきたのか。疑問が増えたけれど、会話をする気がないので聞き流す事にした。
「用件はなんでしょう」
「別に。教師になったから、これから会う事も多くなるって言いたかっただけよ」
これだ。私と両親がどういう関係か。私が秋敷さんをどう思っているか。全部知っている癖にわざわざこれをやってくる。
「授業には真面目に出てるらしいじゃない。実を結んではいないようだけど」
やる気がないだけ、何て常套句でも欲しいのだろうか。私は決して優秀ではない。片桐や愛葉から見れば、凡も凡だろう。あの両親から何故私のような出来損ないが生まれたのか。秋敷楓も不思議に思っているはずだ。
「縁談、また断ったんですって?」
「ええ、まぁ」
「さっさと結婚すれば、九条とか関係ない人生を歩めるわよ」
素直に言葉だけ見れば、私の苦悩を知って九条から脱するようにというお節介とも取れる。だが、秋敷楓の言葉となれば話は別だ。
「愛菜と雄吉の悪い所しか貰わなかったみたいだけど、評判は良いのよ。黒染めすれば、だけど」
無駄な抵抗はやめて、さっさと九条の人脈作りの生贄となれ。いつだったか、電話口にそう言われたのを覚えている。
自分の息子の嫁に私が欲しいか? と尋ねると断った癖に、他人には勧める。私をどう扱おうがどうでも良い事だが、九条の傀儡だけは御免だ。
「死ぬまで九条。昔そう言われた事がありますが」
これも、この人からの言葉だったか。いや、別だったか。どちらにしろ、九条の血筋はまともなのが居ないのかもしれない。私含めて、だろうけど。
「もしかして、それを伝えるためだけにこの学園に入ったとでも?」
「ええ、そうだけど」
環境大臣は人格者と聞いている。しかし、この人の何処に惹かれたのか。それだけは尋ねたいとずっと思っている。
もしかしたら私の事が嫌いなだけで、他の人にとっては良妻なのかもしれない。流石に自虐が過ぎるかと思うが、こんな親戚に囲まれていては人間不信になっても仕方ないと思う。偏に私が歪みきらなかったのは、咲含む使用人達と片桐のお陰だ。
「貴方が縁談を結ぶまで、見張らせて貰うわ。ほとぼりが冷めるのも、待つ必要があるし」
どうやら私関係だけではないようだ。しかし、最悪の人間が監視に付いたのは言うまでもないだろう。
とりあえず解放はされた。何時もと比べて口数が少なかったからだろう。
(口では私の監視みたいな事を言っていたが、どうやらそちらはついでらしい。そう見えただけだが)
何が起きたのかは知らないが、焦っているように感じた。まぁ、気にする事はない。片桐にも気にしないように言っておこう。
「桜さん? えっと……どうした、んですか?」
「ん? ああ、すまないね」
自分でも分かるくらい、怒りの表情をしていた事だろう。愛葉が少し強張った表情で私を見ていた。
「どうしてここに?」
「その、桜さんが校門で不良と一悶着あったと……」
心配して来てくれたようだ。
「そっちは大丈夫だよ。怪我人らしい怪我人は出てないから」
不良側が少し怪我をしたらしいが、自業自得という事で片付いている。
「何か、あったんですか?」
「うん? あー、いや。問題ないよ。新任の教師が知り合いってだけだから」
身内の醜い争いを知られるのは恥ずかしいものだ。
(片桐様は、知ってるのかな……なんで桜さんがあんなに、怒ってたのか……)
これからあの人と顔を合わせる事が増えるのか。そう考えると憂鬱だ。だが、学校自体は楽しいと思えてきたのだ。
片桐との関係も少しは改善した。愛葉とも仲良くなれた。縁談を成立させたいという話だが、私の意思を無視して出来る物でもないのだ。怒る事の程でもない。
「そろそろ昼も終わる。戻ろう」
「……」
「愛葉?」
「はっ。はい!」
気のせいか、愛葉の隈が酷くなっているように感じる。やはり、無理をさせているのだろうか。
「愛葉。私は今から保健室に行くんだけど、君も行く?」
「え?」
腰の痛みは引いているが、愛葉が休む口実に使ってもらうとしよう。授業をサボると片桐は怒るだろうけど、文句はこんな時間まで拘束した秋敷さんに言って欲しい。
とはいっても、片桐と秋敷さんを関わらせるつもりは、毛頭ないが。
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