誘い込んだか誘い込まれたか
じり‥‥
柏木が辺りを見渡す。
姿は見えないが、チラホラと『何者か』の気配が漂っている。
いや‥‥だが待てよ?
ふと、柏木は思い直した。
これがもし桜生なら、楠との一戦では『いつの間にか道場に入られていた』と聞く。
もしも『それ』が本当だとしたら、自分にその気配を『見つけられる』という事があるだろうか?少なくとも、柏木は自身がそれほど気配を読むのに通じているとも思っていない。
ならば、だ。
あるとしたら、もしや『ワザと』気配を読ませているのでは‥‥?
ふむ。だとしたら、だ。
なるほど、合点が行く事はある。周囲には手頃な建設資材が山ほど野積みされているではないか。
「ヤツめ、『これ』を上手く利用するつもりか‥‥」
良く考えて‥‥見るまで迄もなかった。
普通に考えれば、1.5倍を超える体重差の人間を相手に『まともに打ち合う』筈が無いではないか。五縄流とは『そういう流派』ではないのだから。
打撃で打ち合うのは論外としても、組討ちですら有り得ないだろう。合気ですら考えにくい。
であるとしたら。
刃物を使って斬りかかるか、もしくは『暗器』を使うか‥‥だ。
「飛び道具か‥‥あるだろうな」
柏木が呟く。
だが、それもまた良し。
どれほどの物だとしても、それを跳ね除けてみせようぞ。
何しろ自分は研鑽する相手を求めて、自ら『そういう道』に足を踏み込んだのだから。
何が来ようが望む処というものではないか。
その瞬間だった。
柏木の頭上で、何かがフワッと動く気配がした。
来たかっ!
『それ』は極太のロープだった。ロープが輪っかを作り、柏木の首に巻き付いたのだ。
ギリリ‥‥!
物凄い力で、ロープが手繰られる。
だが、柏木はそれにビクとも動じることなく、片手でガッチリとロープを握りしめ、そのまま豪腕でもってロープの輪を広げて見せた。
ロープは尚も、強い力で引っ張られている。
「ふん。『この程度』か?」
パッ‥‥と、首に巻き付いていたロープを外して放り投げる。
途端に、ロープはビン‥‥と張られ‥‥
「‥‥っ!」
考えるより早く柏木の身体が反応し、素早く地面を蹴って大きく体を躱した。
バシッ!
月夜に乾いた音が響き渡る。
柏木の眼前にある建築用の合板に、太さが親指ほどもある『杭』が突き刺さっているではないか。
何処からか桜生が投げ飛ばしてみせたのだろう。無論、刺りどころが悪ければ命とて危ない。
「ほう‥‥やるな‥‥」
にやり、と柏木が笑う。
ロープは、桜生が引っ張っていたのではなかった。
おそらくは100kg近い何らかの『重り』にロープの端を括っていたのだ。柏木がそのロープを相手にしている隙に、場所を変えて杭を投げた‥‥と。
「野郎‥‥やる気なしかと思っていたが‥‥闘る気どころか殺る気充分じゃないか‥‥」
柏木の五体は悦びにうち震えていた。
何しろこの体格と剛力である。まともにぶつかってくる相手なぞ、途絶えて久しい。
例え姿を見せずに挑んでくるにせよ、こうしてギリギリの真剣勝負が出来るというのは格闘家冥利に尽きるというものであろう。
しかしながら、打撃メインの自分にとって『此の状況』は決して好ましいとは言えない。
こうした攻撃を続けられれば、何れは厳しくなってくるのは目に見えている。柏木としては、どうにかして相手を『こちら』の土俵に乗せる必要があった。
そのためには‥‥
「ふんっ‥‥!」
柏木は、眼前にうず高く積まれている板を蹴り上げた。
ガラガラッ‥‥!
大きな音を立てて、板の山が崩れる。
「よしっ!‥‥これで少しは見晴らしが良くなったかな‥‥?」
続いて、柏木は、背後や側面に積まれてる板の山を次々と蹴っていった。
ガラガラ‥‥ガラガラ‥‥!
あっという間に、柏木の近くに『陰』になるものが無くなった。
「ふふ‥‥どうだ。中々いい眺めだろう。これなら、コソコソと隠れる訳にも行くまい‥‥」
その時だった。
ブン‥‥
背後からまた、何かが飛んできた。
ビン‥‥!
「ぬっ‥‥これは‥‥?」
先程よりはやや細いロープだった。それが、柏木の右手首に絡みついている。
ググ‥‥
背後から絞るロープの行き先を、柏木がゆっくりと振り返って確かめる。
「ほう‥‥なるほど、貴様が『桜生』とやらか‥‥」