勝負の決着は如何様にして付くのか
「お‥‥折りやがった‥‥!」
山下は震えていた。
「信じられん‥‥」
無論、柔道にも『関節技』はある。
だが、それは相手の『腕を折る』事を目的とするのではなく、相手からギブアップを奪う、つまり相手の『心を折る』のが目的なのだ。
現実に肘を破壊するまで捻る『腕十字』なぞ、見たことも聞いた事もない。
だが。
現実として、楠の左腕は『本来、曲がる方向では無い方向』に大きく曲がっている。どう見ても『肘が折れている』としか言いようがなかった。
「勝負‥‥あったか‥‥」
ふっー‥‥と息を吐き、山下が二人に近付こうとする。‥‥が。
未だ桜生は、楠の折れた腕から手を離そうとはしていない。
そして何と。あろう事か『その腕』を楠の背中側に、グイ‥‥と捻り回したのだ。
「ぎゃぁぁぁ!」
再び、楠の絶叫が轟く。
「おいっ!何をしている、止めろ!決着はついたじゃねーか!」
思わず、山下が声を荒げる。
「‥‥『決着』‥‥だと?」
尚も腕を離さないまま、ジロリ、と桜生が山下を睨んだ。
「いや‥‥『決着』は着いて無い‥‥オレもコイツもまだ『生きて』いるし、コイツの口からも『参った』の声を聞いておらん‥‥単に、コイツの腕が1本、使い物にならんくなっただけよ‥‥」
「何だと‥‥」
山下の足が竦む。
確かに。絶叫こそ上げるものの、楠は『参った』とは言っていないが‥‥彼らの『決着』とは『そういうもの』なのか‥‥
だがしかし、戦国の世ならばいざ知らず、現代の規範では『これ以上』を見逃す訳にも行かない。
「おいっ!楠、『勝負あり』だ。もういい、もうギブアップしろ!これ以上ヤったら本気で殺されるぞ!」
しかし、楠は唇を噛み締め、必死でこの腕殺しに耐えている。
「くそっ‥‥たれめ‥‥誰が‥‥誰が『参った』なんてするかよ‥‥部員達が‥‥大勢の後輩が大怪我させられたんだ‥‥これしきの事で、降参する訳にゃぁ、いかないんだよっ!」
「楠っ‥‥!」
なるほど、『心は折れていない』のだ。もしもこの状況で『勝負あり』として桜生が腕を離してしまえば、間違いなく楠の反撃に遭うだろう。
そうならないように、徹底的に相手の『心を折る』。そういう戦いなのだ、と山下は理解した。
とは言うものの。
どうしても楠が『ギブアップ』と言わなければ、桜生はどうするだろうか。
何時までも腕固めをしていても埒が開かない。であれば、更なる破壊技を仕掛けてくるのは、容易に想像が出来る。
「‥‥させて、なるかよ‥‥」
山下は、いよいよ『最後の手段』を視野に入れざるを得なくなったと考えていた。
一方、桜生も山下の『雰囲気が変わった』事に気づいていた。
チラリ、チラリと山下の方を伺っている。そして、身体を楠に密着させて、その背中で自分を庇うようにしている。
『撃ってくるつもりだろう』
そういう読みが、見てとれる。
「うっ‥‥」
読まれたか‥‥山下が足を止める。
人間は何かを企てるときに、それが『最高の結果を生む姿』であれば容易に想像する事が出来るが、『最悪の状況に陥る』事は、想像は出来ても『考えないようにする』ものである。
この場合、桜生にとって『最悪』なのは『暴漢の制止』と称して銃で撃たれる事だ。
普通であれば『申し合いにそんな無粋な事はすまい』と考えがちだが、桜生は最初から『それ』を念頭に置いているのだ。
だが、これ以上は黙って眺めているわけにも行くまい。しかしながら、このまま撃てば当の楠に被弾する可能性がある。
どうするか‥‥
一瞬、山下は楠と眼が合った。
よし‥‥!
山下は意を決する。
「楠いっ!ソイツを抑えとけぇ!」
山下の狙いを、楠は一瞬にして理解した。
そして折れた腕の激痛を『無いもの』として反射的に身体を捻り、桜生の胴体を抑え込む事に成功した。
「今だっ!」
射撃の腕で言えば、山下の腕は署でも群を抜いていた。
如何にバレルの短いニューナンブとは言え、この20mにも満たない距離からであれば、もはや外しようがなかった。
ドキュー‥‥ン!
道場に拳銃の発射音が大きく反響する。
バサバサバサ‥‥
外の木々に止まっていた野鳥達が驚いて逃げていく。
「やったか!」
山下が桜生の動きを確認しようとした‥‥次の瞬間だった。
『それ』はまるで蛇のようであった。
桜生は悶絶する楠を打ち捨てて、一瞬にして山下の喉元に達していた。
「うぐ‥‥っ」
後に山下は『撃った後の事とは何も覚えていない』と語っている。
何の前触れも口上もなく、桜生の『突き』が山下の喉を穿っていた。
だらり、と山下の手が下がる。
フラフラ、と山下の腰から繋がる革紐に拳銃がぶら下がる。
「‥‥。」
「や‥‥山下先輩っ!」
楠の呼びかけに、山下は反応しなかった。
「ば‥‥馬鹿な‥‥拳銃が『当たった』んじゃないのかよ‥‥」
暗くてよく分からないが何かの『手品』でもあったのか、それとも単に『撃たれたのを我慢している』のか。それは分からないが、とにかく桜生は平気そうな顔をしている。
そして、撃たれたことへの復讐のつもりなのか、桜生の腕が背後から山下の首に巻き付いていく。
絞め殺す気だ‥‥
この時、楠は心底、桜生を恐れたと言う。
如何なるタブーとて、この男には存在しない‥‥と。自分に刃を向ける者は、如何なる者と云えど一切の容赦をしないのだ。
「くっ‥‥此処までか‥‥」
ギリ‥‥と楠が畳の井草を握った。
「分かった!ボクの負けだ!頼む、勘弁してくれぇぇぇ!」
自分の事なら、いくらでも耐えられる。だが、その余波で周りが傷つくのを、これ以上看過する訳にはいかなかった。
或いは『その心の動き』も桜生の戦術の内であったのか‥‥