桜生は楠源一郎と対峙する
楠は、桜生の真意を計りかねていた。
コイツ‥‥何を考えてやがる‥‥?
言うまでもなく、五縄流は『殺人術』である。其処に『正々堂々』という概念は最初から一遍たりとも存在しない。例えどれだけ卑怯を極めようとも『勝てば良い』のだ。
そうであるとしたら、ワザワザ正面切って対峙する必要はない。それこそ闇討ちにすれば良い話だ。それを何故、自分から姿を表すような真似を‥‥?
二人の距離はまだ、10m以上も離れている。『間合い』というには、まだ少々遠いと言えた。
『立会人』を名乗り出た山下は考えていた。
この野郎‥‥まさか、オレを警戒していたのか‥‥?
もしかすると。
山下は考えた。もしも『勘ぐりすぎ』で無いのだとしたら、自分が脇の下に抱えている『拳銃』から出る微かな硝煙の匂いを嗅ぎ取った‥‥とか?
ターゲット以外の男が拳銃を抱えていると知って、それを警戒していたのだろうか‥‥?
『拳銃の男』が、自分を発見するなり一方的に『撃ってくる』危険があると考え、じっとしていたと。
だが、どうも『そうでは無いらしい』と知り、逆に『申し合いの体であれば、簡単には撃ってこない』と考え、あえて姿を表す選択をした‥‥
いや、もしも本当に『そう』だとしたら、その嗅覚と発想は最早、人間のそれではない。犬と同等‥‥いや、頭が働く分だけ『それ以上』だ。
山下は、その想像にゾッ‥‥っとした。
桜生は、壁際でじっとしている。
「おう‥‥随分と‥‥『やってくれた』そうじゃないか‥‥」
じわり、と楠が間合いを詰める。
初めて見る顔ではあるが、コイツが『桜生』だと確信出来る。この異様なまでの殺気は、それ以外に考えようが無かった。
「部員達は無関係なんだぞ。それを‥‥」
桜生はやや前傾姿勢のまま、両の腕をだらりと下げている。
「ふん‥‥喧嘩を売ってきたのは『そちら』の方だ。オレはただ、それを『買った』だけだな‥‥」
桜生の居る場所には月明かりが届いていない。故にその表情までを読み取ることは困難だが、それでも嫌らしく嗤っているのが感じ取れる。
「ボクに『やる気が無い』と悟って、挑発したつもりか?‥‥この代償は高くつくぞ‥‥?」
更に、楠が間合いを詰める。
対して、桜生は尚も壁を背にしたまま微動だにしない。
普通に考えれば、壁を背にすることは決して得策とは言えないだろう。動きの範囲が制限されるからだ。
無論、桜生とて『それ』を知らない筈が無い。何かあるとのだとしたら‥‥?
『蹴る』気か。
楠は考える。
飛び蹴りであれば、その間合いは柔道のそれよりも遠くなる。であるとしたら、桜生の狙いはその場で飛び上がり、同時に壁を強く蹴ることで一気に間合いを詰める事では無いのか。
だとすると‥‥目標は『頭』か‥‥
倒された後輩の部員達のうち、何人かは頭を蹴られている。その跳躍力と蹴りの威力は確かなものだと見ていいだろう。
楠はジリジリと間合いを詰めながら、ガードを高く構えた。
変わった構えだな‥‥柔道の構えじゃぁねぇ‥‥ボクシング?いや、どっちかつーと、ムエタイみたいだな‥‥
山下は固唾をのんで見守っている。
ガードが高い、ってぇ事は『頭』だけを警戒してるって事か‥‥つまり、逆に言えば『そこ』以外なら、打撃を受けても倒れないっつー、自信がある‥‥て話かよ‥‥
どう考えても組み合うのなら、自分に一日の長がある。
楠には、その自信があった。
だとすれば、桜生としてはその『争い』の土俵にワザワザ乗る必要はない筈だ。絶対に自分が普段はあまり練習しない打撃での勝負を選択する‥‥と読んでいた。
さぁ‥‥何処で来る‥‥
だが、桜生は間合いを詰める楠に対して一向に動く気配を見せない。
ついに、二人の間合いは『組合い』の距離にまで縮まった。
くっ‥‥何を考えてやがる!
楠が焦れた瞬間だった。
突如、桜生が動いた。
「何‥‥っ!」
桜生の『先手』は、何と楠の道着の襟元を掴む事だった。
「‥‥この野郎っ!」
侮辱された。
楠はそう感じた。
仮にも柔道で全日本選手権の有力候補とされる自分に対し、『柔道技』で挑むとは‥‥
楠の頭の中で何かがプチン、と弾けた。
「くそがっ!思い知れ!」
電光石火の如く、楠の両腕が桜生の襟首を掴み返す。
そして、そのまま体を返すと一気に得意の大外で投げに入った。
「おおりゃぁぁ!」
静寂の道場に、楠の絶叫が響き渡る。
バン!という何かを強く叩く音が楠の耳に入る。
「ん‥‥?」
何かを思う間もなく、楠の腰から『重さ』が無くなった。
「えっ!」
一瞬、何が起こったのか楠には理解出来なかった。
投げられる途中、桜生は背後の壁を『蹴って』更に前方へ飛び出したのだ。
そして、桜生はそのまま体を入れ替えて楠の足元に滑り込み、そのまま腕を取って倒れ込んだ。
‥‥しまった!
『図られた』と気づいた時にはすでに遅く。
楠の左腕は『腕ひしぎ十字固め』に取られていた。
「な‥‥何て柔らかい動きだ‥‥」
山下は眼の前の出来事が信じられなかった。
「凄い‥‥人間の動きじゃねぇ‥‥まるで猫みてぇだ‥‥」
だが、楠の腕を捻ろうとするその腕力は、とても猫と呼べるほど優しくは無かった。それは熊のように強く、虎のように容赦がなく‥‥
「ぐぁぁぁぁっ!」
楠の絶叫が道場の天井に反響した。
この話は当初、30話程度の予定でした。
6話X5人=30話という計算です。
ところが、後半から筆が走り出しまして‥‥
特に、最終戦と、そのひとつ前が。
結局「全41話」という結果になりました。
少々冗長かとは存じますが、お付き合いを頂ければ幸甚に存じます。