薊の毒は夜の帳に舞い飛んで
「あと、2分か‥‥」
屋上の寒さに閉口しながらも、じっとアザミは『その時』を待っている。
すると。
ガタ‥‥ン
壊れかけた扉が開く音がする。
来たか。
アザミは、スッ‥‥と気配を消す。
この技術の『深さ』において、アザミと桜生は『ほぼ同等』と言えるだろう。しかし、その『達する速度』について言えばアザミの方に軍配が上がる。
ザ‥‥ザ‥‥
後方からの夜風に晒されながら、『最後のステージ』の中央に桜生が立つ。
ゆっくりと辺りを見渡し、そして背後にある給水塔の方に振り返った。
それを見て、アザミも気配を戻す。
「アンタねぇ、遅いわよっ!このクソっ寒いのに、レディを待たせるんじゃないわよ!全く‥‥風邪でも引いたらどうしてくれんのサ!」
悪態を吐くアザミの手には『三代兼光』が、しっかりと握られていた。
「‥‥。」
桜生はじっと黙っている。
「でも、まぁいいわ。『これで終わり』にしてア・ゲ・ル」
アザミの手には、真っ赤な液体で満たされている『小さなガラス瓶』が握られていた。
それをピンと指で弾き、床に落とす。
瓶のガラスは薄手であり、床に当たると同時に粉々に砕け散った。
途端に。
中の成分が瞬時に揮発し、辺りに拡散する。
『それ』を夜風が一気に後押しし、桜生めがけて叩きつけるが如くに浴びせていった。
アザミの、最大の武器にして秘密兵器の『揮発性痺香』である。
「‥‥っ!」
まったくの一瞬である。
『打撃』でも『投げ』でもない、『気体』なのだ。如何に桜生と言えども、これを捌いて『躱す』事は出来なかった。
とっさに両手で顔を覆ったものの、桜生はそのまま膝から崩れ落ち、そのまま抗らうこともなく床にうつ伏せとなってしまった。
ピク‥‥ピク‥‥と手が僅かに動いているが、それ以上は動けていない。
毒ガスの類いは使い方が極めて難しい。
ひとつ間違えば自分自身をも巻き添えにしてしまう危険性があるからだ。
そのため、アザミは風向きを考えるだけでなく『給水塔の上』に陣取ることで、その影響を受けないように退避していたのだ。
また『風の強さ』も重要である。
強すぎると毒が散ってしまうし、弱すぎると滞留してしまう。
その『丁度いいタイミング』が、この時間帯なのだ。
アザミは腕時計に眼をやる。
「11時59分50秒‥‥51‥‥52‥‥」
『それ』を桜生の油断と判じるには不憫もあろう。
万全であればアザミの投じる『瓶』を見て、そのままダッシュで走り逃げるか、或いは瓶の空中キャッチも不可能ではない。そう、桜生ならばだ。
しかし、桜生は『削られていた』のだ。
その両足は常人にすら及ばぬほどに、その能力を奪われていた。
アザミが瓶を投げた瞬間に、その狙いが分かったとしても避けることは出来なかったと言えた。
「ふふ‥‥58‥‥59‥‥」
アザミのテンションが一気に上がる。
「12時ぃぃぃぃぃぃ!」
今まで感じていた『寒さ』を、その時ばかりは完全に忘れた。
「アタシの、勝ちだぁぁぁぁぁ!!」
雄叫びを上げながら、給水塔から飛び降りる。
「あぁっははははは!勝ったぞぉっ! 見てたか鏑、アンタの仇は妻が討ったぞぉぉぉ!」
今までに感じた事の無いほどの興奮が、身体中を駆け巡る。脳内麻薬が、まるで弾けた水風船のように溢れ出る。
「勝った‥‥勝った!」
『お宝』である三代兼光を手に、アザミは桜生に駆け寄る。そして、
「食らぇい!」
『意趣返し』とばかりに、横たわる桜生の身体を蹴っ飛ばした。




