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五縄の桜  作者: 潜水艦7号
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手負いし獣の、手負いたる意味の

『正面から来る事はない』


それが山下の『読み』だ。

見るからに痛々しいあの怪我を押して、正面から来るのは無謀とも言えるだろう。


いくらこっちの得物が射程の短いテイザー・ガンとは言え、それでも『手足』よりは遥かに遠い。


濃硫酸弾(さっき)で、思い知ったろーが。いくら桜生(てめー)でも『飛び道具』にゃぁ勝てんぞ‥‥?


此処で時間を消費することは、桜生にとっても本意ではあるまい。

だとすれば、上手く山下(じぶん)を捌いて別の手から校舎に侵入する方が間違いないと言える。少なくとも自分なら『そうする』だろう。


蛍光灯に照らし出される桜生の顔に、大学の道場で見た時のような『侮蔑的なまでの余裕』は残っていない。彼を獣に例えるとすれば、まさにそれは『手負い』という言葉が適していると言えるだろう。


くそったれがよ‥‥


アザミから『リベンジのチャンス』と誘われた時には『これぞ千載一遇』と快諾してしまったが、この状況下では逆に何か『弱い者いじめ』のようで気が引けないでもない。

出来ることなら、このまま引いてくれた方が‥‥


「‥‥うん?」

その時、山下はある事に気がついた。


桜生が『止まった』のだ。


顔から、表情が消える。

身体から、力感が無くなる。

滴っていた汗が、引いていく。

先程までの燃え上がるような殺気が、今は種火ほども感じられない。


『そこ』に居るのは本当に生きた人間なのか?と疑いたくなるほどに『生命感』が薄れていく。

もはや、その存在は『居る』というより『有る』という表現が似つかわしいほどだ。


まるでオブジェのように、唯そこに『置いてある』だけとでも言おうか。


山下は自分の眼を疑った。

そうか‥‥『これ』が『気配を消す』という技術わざなのか‥‥


全身に鳥肌が立つのが分かる。

眼の前で見せられて、初めて理解出来た。


なるほど‥‥これじゃぁ、気取られねぇハズだぜ‥‥


じっと見ていると、それは向こう側の景色が透けて見えるのではと錯覚するほどの『存在感』‥‥?


「うっ!」

我に返った瞬間(とき)には、もう遅かった。


気がついた時には桜生は山下の背後に回り込んでいた。

テイザーガンを持つ右手は桜生に握りこまれ、その首には桜生の手首が掛かっていた。


しまった‥‥!『これ』は‥‥!


更に足をフックされ、そのまま左に回転させられながらコンクリートの床目掛けて山下の身体が叩き付けられる。


「ぐぉ‥‥っ!」


山下は意識を失い、力なく其の場に倒れた。


「はぁ‥‥はぁ‥‥」

桜生は呼吸を整える。


山下とて柔道では黒帯を締める身である。

されば通常の投げ技ならば、苦もなく受け身を取れたであろう。


だが。

柔道には『危険が過ぎる』として禁じ手に封じられる技が存在する。

その一つが、桜生の放った『河津投げ』である。


こうした技は使い手も居ないため、その『受け』を体得する機会もまた無いと言える。


更に、桜生の『五縄流の河津投げ』は相手の襟を『引く』のではなく『首を前から押す』のだ。

これによって相手のダメージはより深刻になり、反対に自分への負担を減らす事が出来た。


山下も河津投げに気付いたものの、対処には至らなかった。


桜生の胸は相変わらず激しく痛む。

笹川の刀だけではない。山下から受けた銃弾の衝撃も、脇腹に残っていた。


「ふぅ‥‥」

大きく息をして、桜生は階段へと向かった。



タン‥‥タン‥‥

暗い階段を、一歩づつ慎重に昇っていく。


アザミが何時どういう『仕掛け』をしてくるか見当が付かない以上、ここは拙速には動けなかった。

踊り場を抜けて、2階の床に上がる。


辺りを見渡して、危険が無いか確認‥‥

するまでもなかった。


2階の壁にもたれ掛かって、その男は立っていた。


「来たか‥‥まぁ、山下(あんなの)桜生(おまえ)の足止めが出来るとは思って無かったがな‥‥」

その巨躯には見覚えがある。


「貴様‥‥何しに来た‥‥?」


「ふん、まぁそう言うなよ」

そこに居たのは『当身術』の柏木重道だった。


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