総掛かりとて相手が悪いという事は
「や‥‥野郎っ、生かしちゃおけねぇ!全員で行けっ!唯で帰すな!」
号令を掛けたのは、副部長の木暮だった。
怒りに我を忘れたとも言えるが、だがそれは決して賢明な判断であるとは言えなかった。木暮とすれば、如何に相手が並外れていようとも『これだけの人数差』で掛かれば、圧倒的に制圧できると楽観視していたのだ。
だが、現実はそれほど甘くは無かった。
桜生は、今まで木暮達が出会ってきた如何なる格闘家にも分類不可能な存在であった。
『囲われた』かのように見えた桜生だったが、あっという間に部員たちの間をすり抜けると、その一番外周に回り込んだ。
「ど‥‥!何処へ行ったっ?!」
慌てる部員達がキョロキョロと探し始めた時、
「ぎゃぁぁっ!」
何処からともなく悲鳴が聞こえた。
「そこだ!そこに居るぞ!」
誰かが悲鳴の聞こえた方向を指差すが、そこには頭を押さえてのたうち回る部員しか残っていなかった。
「野郎!何処に‥‥」
恐怖の慄く部員達の背後から、まるで死神の如く桜生が迫る。
「ぐあっ‥‥」
「あぐっ!」
其処彼処で悲鳴が上がる。
「な‥‥何が起きているんだ!」
確実に、一人一撃である。一撃で一人を戦闘不能に追い込んでいる。そして、そのまま瞬時にして次のターゲットに移行しているのだ。
「眼が‥眼がついて行かない‥‥」
時々、チラリチラリと桜生の姿が視界の陰を掠めるが、すぐにその所在が分からなくなる。
結局、僅か1分ほどの間に半数以上の部員が床に転がされる事態となった。
此処まで来ると、桜生としても『部員を盾にして姿を隠す』のが難しくなってくるが、逆に言えばそこまでする必要も無くなったと言える。それだけの戦力差なのだ。
「どうした‥‥もう終わり‥‥か?『生かして帰さない』んじゃなかったのか‥‥」
先程まで真っ白だった桜生のシャツには、所々赤い染みが着いている。部員達の返り血である。
足元には、血反吐を吐いて気を失っている部員達が累々と倒れている。
「うぅっ‥‥!」
部員達の足が竦む。
これは、相手が悪過ぎる。
誰もがそう思った。『これ』は我々が知っている格闘技ではない。何か別の世界に住む『何か』だと。
「‥‥選べ」
桜生が残った部員達に選択を迫る。
「このまま残って、オレに潰されるか‥‥それとも逃げ出すか‥‥だ」
脱兎の如く、という例えを用いるのなら、この瞬間こそ『それ』に適切なものは無かったであろう。「うわぁぁぁ!」という悲鳴を上げながら、残った部員達が我先に道場を飛び出していく。
残されたのは、副部長の木暮のみであった。
だが、木暮とて戦闘意思があったのではない。部員達を『けしかけた』手前、先頭を切って逃げ出す訳にも行かず、出遅れた結果として『残った』形になったのだ。
ずい‥‥と桜生が木暮の元にやってくる。そして、ハッキリと分かるほどに震えている木暮の足元を見てニヤリと笑うと、ポンとその肩を叩いた。
「‥‥残りの部員を逃がすために残ったか。その根性だけは褒めてやる。‥‥早く、救急車を呼んでやれ」
それだけ言うと桜生は踵を返し、そのまま道場を後にした。
楠源一郎が学校に戻った時、校門は警察と救急車、それに大勢の野次馬でごった返していた。
「何か‥‥あったのか‥‥?」
胸騒ぎを覚えて、楠は道場へ急いだ。
「あ・・・っ!楠先輩っ」
道場の手前で、後輩が呼び止める。
「どうし‥‥うっ!これは‥‥」
楠の前に、異様な光景が現れる。
『KEEP OUT』と書かれた黄色いテープが、道場のぐるりを囲んでいる。
入り口付近には明々と回転灯を回している救急車の脇で、白衣を着た救急隊員が慌ただしく出入りしていた。
「そっちはどうだ?!もう、一刻を争う患者は居ないかっ?!」
救急隊員が大きな声で叫んでいる。
「何が‥‥何があったんだ‥‥」
楠は呆然とその場に立ち尽くした。
「うう‥‥すんません‥‥楠先輩に『用がある』っていう、おかしなヤツが来て‥‥自分ら、総掛かりだったんですが‥‥歯が立ちませんでした‥‥」
後輩が泣き崩れる。
「おかしな‥‥ヤツ‥‥?」
『心当たりがある』としたら、それは一人しか居ない。
「はい‥‥申し訳ありません‥‥」
「信じられん‥‥。何てことだよ‥‥」
栗田先生は『桜生を侮るな』と言っていたが、まさか『これほど』とは。ケタ違いの戦闘力もさる事ながら、『桜生』とやらには常識という概念は無いのか‥‥
「すんません‥‥自分、怖くなって途中で逃げたンす‥‥『逃げていい』って言われて‥‥もう、本気で殺されるかと思って・・・仲間、見捨てて逃げたンすよ‥‥」
楠の足元で、後輩が座り込んでガタガタと震えていてた。
「‥‥泣くなよ、泣くんじゃぁねぇ‥‥!心配すんな、テメーらの仇はよ‥‥このボクが絶対にとってやるからさ‥‥」
今までに覚えた事のない、激しい怒りが楠の身体に満ちあふれていた。
「こうなったら、もう跡目とか関係ねぇ‥‥絶対に、絶対にブッ潰す!」