徒に睨み合うのもまた闘いにありて
ザクリ‥‥ザクリ‥‥と足元の砂を踏み固めるようにして、桜生が笹川の前に現れる。
傍らにはアザミも鎮座しているが、それには目もくれようとしない。
「‥‥ほう、すでに来ていたとはね。これは驚いたよ。誰かに送って貰ったのかな?」
「‥‥。」
笹川の問いかけに、桜生は答えようとはしなかった。
「まぁいい。それよりも、だ。これを見給え」
笹川は置台にある武具を指差す。
「これは、私が平素より趣味で集めている武具のコレクションでね。これの自慢は何と言っても『全てが使用可能な状態にある』ことだよ。
太刀にしろ、槍にしろ、全てメンテナンスされて最高の状態を維持している。‥‥何しろ、武具とは飾るものではなく『使う』ものだからね」
嬉しそうに眼を細めて、笹川が太刀のひとつを手にとった。
「何しろ、現代社会では刀の一振りとて手に入れるのも難しいだろうが、桜生君とて丸腰では闘い難かろう。
私としても如何に君が優れた手練であろうとも、素手の人間を相手に斬り掛かるのは些か気が引けるというものだ。だから、どれでも好きな武具を使うと良い」
だが、桜生にそこから動く気配はない。
「いらぬ心配だ‥‥用意はしてある」
よく見ると、桜生の右手には漆黒の鞘に収まった日本刀が握られていた。
「ほう!これは用意の良い事だ。しかも、嬉しい事に『それ』で私と相対そうと言うのだな?いや、これはこれは剣術家冥利に尽きるというものだよ」
笹川は、そう言うと陣の中程にまで歩を進めた。
「なら、もう何も言うまい。君さえ良ければ、何時でも掛かってくるといい」
そう言いなからも、笹川の刀は尚もまだ鞘に収まったままだ。
右手はブラりと垂れ下がり、左手の親指だけが微かに鍔に掛かっている。
今、二人の距離は20mほども空いていた。
剣術の間合いとしては相当に空いていると言える。
桜生は対・鏑戦では自ら間合いを詰めて行ったが、今回はじっとその場から動こうとしない。
警戒しているのか、何か手があるのか、はたまた‥‥
笹川は頭を巡らしていた。
もしかしたら『知っている』のかもな‥‥
笹川の口角が僅かに上る。
剣術の間合いとなれば、通常はどれだけ遠くても3mかそこらだろう。それ以上離れれば『安全圏』と言える。
しかし。五縄流剣術には、その『思い込み』を逆手にとった奥義があった。
その技を使う場合は、刀そのものが『専用の刀』になる。その刀は、鞘こそ普通の『太刀』であるが、中身は脇差並の刀身しかないというフェイクだ。
この刀を左手で抜きざまに、そのまま相手目掛けて投げ飛ばすのだ。
相手にしてみれば『これだけ離れていれば安心』と思ってるところに思わぬ『飛び道具』が来るものだから、どうしても反応が遅れてしまい、決定的な一撃を浴びるはめになってしまう。
それは、言ってみれば五縄流『ならでは』の発想であった。
この技の『射程距離』は、それでも10m前後である。なので、仮に笹川が『更に上手』であった場合でも『20mあれば対応出来る』‥‥と考えているのでは?と笹川は推測した。
人間は無意識の内に、自分だったら取るであろう行動を『相手もするだろう』と考えるという。心理学で言うところの『ミラーリング効果』と呼ばれるものだ。
それが正しいとするならば、桜生もまた『そうした攻撃』を念頭に入れているという事になる。
恐ろしいものだな‥‥
フィジカル面や技術云々もそうだが、その覚悟たるや何処から来るのだろうかと笹川は思った。
しかし、このままでは『埒が開かない』。
桜生の性格だ。接近しても安全という確信を持てるまでは自分から賭けに出る事は無いだろう。
まぁ丁度いい。こちらも一日の長がある者として『譲る』という態度を示すとするかな‥‥
笹川は鯉口を切ると、自身の持つ刀を鞘から抜いて両手で構えて見せた。
その刀身は通常の二尺五寸。脇差のような短身ではない。
「‥‥。」
その意図を桜生も汲み取ったのであろうか、ジャリ‥‥と音を立てて少しづつ桜生が笹川の方に近づいてくる。
桜生の刀はまだ鞘に収まったままだ。
ふっ‥‥
笹川は笑みを浮かべると、素早く持ち手を返して刀を鞘に戻した。
何しろ日本刀は軽くない。
笹川の刀は居合を考えて比較的に軽い業物を選択しているが、それでも1kgを少し超えるほどはある。
のらりくらりと長期戦に持ち込まれれば『ずっと持っている』だけで腕力を取られてしまうのだ。
桜生が中々と抜刀しないのも、それが理由である。
頭上に戴く太陽は、容赦なくジリジリと二人を照らし続けている。
日陰になるものが何もない砂浜でじっとこれに耐えるのは、それだけで体力を奪われる事に間違いない。
二人の距離は10mを切るほどに接近しているが、流石にそれ以上は桜生も近付こうとはしなかった。
何しろ、これは剣道の試合ではない。
純然とした『果たし合い』である。
さればこそ『規定時間』などと言うものは無い。無制限一本勝負なのだ。
だとすれば、時間を気にする必要は全くない。只管に相手が焦れてくるのを待つ他ないのだ。
両者の間に、無言だが濃密な時間が流れる。
これだけの長時間ともなると、緊張感を保ち続けるだけでも体力を消耗する。
そうなると、年齢の問題から言っても笹川が不利になってくるだろうが‥‥
アザミは、ふと左手に巻いた愛用の腕時計を見る。
時計の針は12時を示していた。
その時だった。
笹川が刀から左手を離すと、そのまま桜生の方に掌を見せて突拍子も無い事を言い出した。
「桜生君、昼飯にしようか」




