金槌を持つ人間には全てが釘に見える
「別に、わざわざ来てくれなくとも‥‥いつも通り電話でも良かったんだがな。まぁ、客人のあるのは嬉しいが‥‥」
口では素っ気無いものの、やはり客人をもてなすのは片桐にとって悪い事ではない。まして、今回は『若い女性』であるのだし。
今回、片桐に相対していたのは暗術派の後継者・黒壇アザミであった。
実は、アザミはこの宗家後継を巡る闘いを最初から見届けているのだ。そして、その内容の逐一について、片桐に報告を入れていた。
「ん‥‥まぁね。電話でもイイかと思ったケド。でもホラ、楠さんや柏木さんも『来た』んでしょ?だったら、『その流れ』で‥‥って話でサ。でも、ウチの鏑は入院してるし。だったら代役は妻でしょ?なら、『ついで』じゃん」
鏑は桜生との闘いに敗れたあと、片桐が平素より懇意にしている病院に担ぎ込まれていた。肋骨に損傷があるので、それが災いして呼吸に乱れが出るのだ。2週間は安静という診立てである。
なるほど‥‥鏑か‥‥
こりゃ、鏑君も後々苦労することになるだろうなと、片桐が苦笑いする。
アザミは茶席においても正座はしない。膝丈スカートのままで胡座である。
これは別に行儀が悪いという訳ではない。『何かあったとき』に、正座からでは立ち上がり動作が遅れるからであり、普段からそういう習慣づけなのだ。
「それにしても‥‥」
アザミが溜息を吐く。
「『合気勝負』に持ち込めば、鏑の勝ちだと思ったんだけどねぇ」
「‥‥そうだな。鏑君は弟弟子の息子さんだから良く知っているが‥‥合気において彼は天才と言っていいだろう。まったく、あの歳であのレベルは恐れ入るよ。組討や当身の技は当然として、仮に剣術相手であったとしても遅れを取る事は無かったろうな」
今回、もしも桜生が『脱落』するとなれば、その後の宗家として最も可能性が高いと言われていたのが他ならぬ柳枝鏑なのだ。
「そうねぇ。だから桜生君の『残る手』としては合気か暗術かなって思ってサ。だとすると暗術は鏑にとって不慣れじゃん?そこを突かれるとヤだなって思ったから、鏑には少し前から『暗術の特訓』を仕掛けてたんだけどサ」
そう言って、アザミが髪を掻き上げる。
「お陰で‥‥かな?最初の罠には掛からなかったケド、まさかあんな決着になるとはね。確かに夕方になると土手の方から強めの西風が吹いてくるんだよね、あの場所はサ。だからワザと『脱力勝負』に持ち込んで‥‥文字通り『風が吹く』のを待っていた‥‥と」
アザミが、ポケットからスマートフォンを取り出して片桐に差し出す。
「‥‥これなんだケド、決着の瞬間を撮ったヤツ。見てくれる?何かサ、ヘンな技なんだよね。見たコトないわ」
「どれ‥‥」
片桐が画面を覗き込む。
「はは‥‥これはこれは。『そう』来たか」
肩を揺すって片桐が笑う。
「桜生はな、テレビでプロレスを観るのが好きなんだよ。色んな団体の試合を観てるが‥‥これは、ジャスティスとかいうメキシカン・プロレスの流れを汲む団体の、看板レスラーが使っている複合関節技だ」
「じゃべ?」
アザミが怪訝な顔をする。
「ああ。要するに『プロレス技』だよ、本来はな。なるほど、ジャスティスは独立団体で知名度も低いから、鏑君が知っている可能性は低いだろうな」
五縄流での闘いに、型に沿った技のみを使用するという掟はない。何しろ勝てば良いのだ。
「なぁ、アザミ君。君は『金槌を持つ人間には全てが釘に見える』という言葉を知っているかね?」
片桐が問いかける。
「カナヅチ?何それ知らない」
「ふふ‥‥知っておいて損は無いぞ。何しろ暗術の極意とは『そこ』にあるのだからな」
片桐が黒椀をアザミの前に置く。
「元々は、『マーフィーの法則』と言われるアメリカのビジネス界で言われる『あるある』ネタのひとつなんだ。人間は『出っ張っている物』を見た時に、『それ』が釘なのかネジなのか、はたまた棒なのかと言った『真の姿』を見極めようとはしないのだよ。
そうではなく、自分の手元に『金槌』があれば『それ』を勝手に『釘である』と解釈してしまう‥‥という心理が働くのさ」
「うー‥‥ん?」
アザミにはいまいち、その意図を理解出来ていないようである。
「例を挙げればこういう事だよ。私の師匠は癌を患って死去されたが‥‥。色々な病院やら何やらを転々としていてな。外科は『切るしか無い』というし、内科は『投薬が良い』というし、気功師は『気功が効く』というし、鍼師は『癌は鍼で直る』というし、漢方薬屋は『漢方が正しい処方だ』と語っていたよ」
「あはははっ!つまり、それぞれが『自分の手に負える相手だ』と勝手に思い込んでるってコト?」
アザミは得心がいったようだ。
「そういう事だ。『自惚れる』というかな。己の『金槌』が強力であればあるほど、それで全てが解決出来ると思い込んでしまうのだよ。だが、実際には『相性』というものがあってな」
「‥‥なーるほど」
うんうんと、アザミが頷く。
「それが『鏑の敗因』ってコトかしら?」
「さて‥‥な」
片桐は明言を避けたが、確かに自他ともに認める合気の才を持つ鏑に『合気であれば全てに対応出来る』という無意識の思い込みが無かったとは言い切れまい。
だが、桜生は合気どころか勝つためにはプロレス技とて躊躇なく用いるのだ。
ふたりの差は『そこ』にあったのかも知れない。
鏑に『強さ』があったが故に‥‥
「ところでな、話は変わるが‥‥」
片桐の顔から笑みが消える。
「アザミ君のご両親は今でも漁師をしておられるのか?」
「ん?一応はね。『船』が要るってコト?」
「ああ、船もそうだが‥‥。アザミ君はその船を操縦出来るのか?」
ニヤ‥‥とアザミが嗤う。
「‥‥了解。『次の話』ね。ふふ‥‥それって面白そう」
アザミが、毒々しいまでに赤く塗られたネイルで自分の唇に触れる。
その恍惚とした表情からは、予測出来る光景の凄惨さを楽しみにしている様が見てとれた。