合気の技の有り様とは
引っかから無かったか‥‥
ギリ‥と鏑は奥歯を噛んだ。
例え如何なる手を用いようとも『相手の気を逸らす』というのは、五縄流合気では普通に教えられる事だ。
それが技であれ、目線であれ、言葉であれど。
だが、それは宗家であり、元々が合気の出身であるる片桐家にも当然あるものであり安易に『釣られる』ことを期待する方が無理だったかも知れない。
ジリ‥‥ジリ‥‥と桜生が間合いを詰めてくる。
仕方ない‥‥ならば、来てみるがいい!
鏑も、こと此処に及んで腹を括った。
向こうから先をとって仕掛けて来るのであればだ。それが『蹴り』であれ『突き』であれ、はたまた『投げ』であろうとも、鏑には『それ』を切り返す自信がある。
そう、例え相手が桜生であったとしても、だ。
ゆっくりと呼吸と整える。
心臓の鼓動も落ち着きを取り戻した。
そんな鏑の心中を表情から見てとったのか、桜生がニヤリと不気味に嗤う。
ユラ‥‥
急に、桜生の構えから力感が消えた。
その様はまるで水面に浮かぶ一葉の如しであった。
なるほどね‥‥
鏑は内心、舌を巻いた。
流石だな‥‥ああも見事に力感を消せるとは‥‥
簡単に言ってしまえばだ。
合気の要諦は相手の力を利用して、その力の方向を最小限の力で変えることで相手を倒す事を基本にしている。
そのため、逆に言うならば力の入って無い相手を倒すのには不向きと言わざるを得ないが、その極意はそれほど単純な話ではない。
実は、ヒトは思った以上に自分の身体を自由に『操作』出来ない生き物なのだ。
自分の筋肉を動かすのに『自分の意思が上手く伝わらない』のを実感する機会はあまりないかも知れない。
だが、例えば小指と薬指をバラバラに動作させようとしても、どうしても一緒に動いてしまうように、自分の筋肉の隅々まで意思を伝達させて自由に動かすのは意外と困難なのだ。
そのように自分の身体から『力を抜こう』としても、決して『それ』は簡単ではない。ある程度の姿勢を保つためには、どうしても余計な『力み』が入ってしまう。
五縄流合気術はその『力み』を突くのである。
鏑は、其の点において『天賦の才』を持っていた。
彼は常人を遥かに超えるレベルで細かい筋肉コントロールし、如何なる相手といえども自在に翻弄することご出来た。
確かに、鏑は小柄であり一般的な武術を嗜むには不利であると言えた。しかしながら、その『不利』こそが鏑の才能と深く結びついていると言える。
その才能は父であり師匠でもある柳枝をも超えると言われ、鏑自身も『これだけは他人に負けぬ』と自信をもっていたのだが。
眼前にいる桜生の『それ』は恵体でありながらも、その領域に通じるものであった。
流石は合気出身である片桐先生の愛弟子、か‥‥
信じられないような面持ちで、鏑が桜生を見据える。
なおも、ゆったりと構えながら桜生が間合いを詰めてくる。すでの距離は2mほどにも接近していた。
僅かでいい。
鏑は考えていた。
ほんの僅かでも、自分の『力み』が桜生を『下回る』事が出来れば。『その差』を利して桜生を投げられるだろう。そうなればもう、こちらのものだ。
だが、それはどうやら相手も同じ事を考えているようだった。
まるで蝸牛の進むが如くにジワリと間合いを詰める桜生の力感は、鏑に近づけば近づくほどに、更にその純度を増していくかのようであった。