暗術の後継者は『壊れて』いる
鏑が背後の危険に察知した時には、もう遅かった。
ピシッ‥‥!
細いワイヤーが鏑の喉に絡みつく。
「ぐっ‥‥!」
頭で考えるよりも早く、身体が反応していた。
素早く左の肘鉄で背後に『居るであろう』敵目掛けて攻撃を繰り出す。
だが、それはオトリだ。
相手が肘鉄を躱した瞬間に、右手で相手の足を後ろから掴み、そのまま引き倒そうという作戦なのだ。
ところが‥‥
確かに掴んだハズの『足』の感触がおかしい。どうみても鍛え上げた『男』のものではない。あまり細すぎるのだ。
というか、これはもしや『スカート』か?
ハッと鏑が気付いたとき、首に掛かっていたワイヤーから力が抜けた。
「ふふ、相変わらず『良い反応』ね‥‥。堪らないわ、ゾクゾクする」
背後に居たのは厳つい桜生ではない。
それとは真逆な、ひとりの嫋やかそうな女子高生だった。
「‥‥やはり、君か‥‥。脅かすのは止めてくれない?特に『今は』さ」
ふっー‥‥と、鏑が息を吐く。
鏑を背後から襲ってきた女の名は、黒壇アザミという。
彼女こそ、五縄流柔術にあって『暗術』流派の正統後継者なのだ。
「イイじゃない?別に。いい練習になったと感謝して欲しいぐらいだわ。それよりも、そんな『隙だらけ』でいいの?桜生君どころか、アタシにだって殺れそうよ?」
そう言って嗤う彼女の口元にはゾッとするような『狂気』が浮かんでいる。
「‥‥気配を消す術に関して、君の右に出る人間は居ないって父さんも言ってたよ。『アレは五縄流の中でも逸材だ』って。ボクは桜生君の事をよくは知らないけど、君よりはマシだと‥‥思いたいね」
鏑はふくれっ面をする。
どうにも、アザミは苦手でいけない。鏑はそう考えていた。
彼女は武術家としてのイロハは言うに及ばず、トラップや暗器の使い方、毒薬の調合に至るまで、その技の多彩さから『最も習得が困難』と言われる暗術において、この若さで『師範代』に上り詰めている。まさに底知れぬ天才、いや鬼才と言って良かった。
それだけではない。
彼女の『強さ』、『恐ろしさ』は、その性格にこそあると鏑は考えている。
簡単に言えば、アザミは『壊れている』のだ。
幼馴染として鏑はアザミの事を良く知っているが、何しろ手加減とか常識といった概念が欠如していると言っていい。例え相手が誰であろうと一切の躊躇なく、エゲツない攻撃を仕掛けるのだ。
心理学的に言うならば『サイコパス』の一種なのかも知れない、と鏑は考えていた。
そしてもうひとつ、鏑にとって困った事がある。
どうやら、このアザミがどうやら自分の事を『気に入ってる』ようなのだ。
その理由は知らないが、もしかすると強くなりすぎたアザミにとって、マトモに相手になるのが鏑だけという現実が、それに関係しているのかも知れなかった。
現に、先程のように突然に技を仕掛けて『反応を楽しむ』というのが、最近のお気に入りでもあった。
実は鏑にはひとつの不安があった。
もしも将来『結婚を考える年齢』になったらだ。
このままアザミ以外の選択肢が自動的に排除されるのでは無いだろうかと。
何しろ迂闊に他の女性と自分が仲良くなってしまえば、アザミがその女性に何をするか分かったものではない。
それに、両家ともどもに後継者問題もある。両者の素質というか遺伝情報は貴重だと言われている。だからこそ、両家ともにアザミの『それ』を知っていながら何も言わず看過しているのだ。
しかしながらだ。
いや‥‥それは流石に勘弁して欲しい。と鏑は思う。
とてもじゃないが、死ぬまで安閑としてられない生活なんざ、まっぴら御免というものだから。
「さ‥‥、じゃぁアタシはこれで退散するわ。今日は充分に『楽しめた』し。後は、頑張って桜生君と闘ってね?」
困惑する鏑の心中を見透かすように不敵な笑みを湛えたまま、アザミは去っていった。
「‥‥。」
鏑は、全身の力が抜ける気がした。