打ち合わぬもまた戦いなり
五縄流柔術・合気術の師範、柳枝の『一番弟子』は他ならぬ実子の、鏑であった。
渓はそれでもまだ『道場』を開いているが、柳枝は平素に置いて家業の電気工事業を生業とし、道場すら開いていない。
そもそも弟子が居ないという事もあるが、世間では何かと『合気道は信用出来ない』という風潮があって、胡散くさがられるのが面倒なのだ。
そのため、柳枝は高校生になる一人息子の鏑にのみ一子相伝として技を伝えていた。
柳枝自身も短躯ではあるが、その息子である鏑もまた決して大きいと言える部類ではない。
だが、柳枝曰く「合気には小柄が有利」とのことであり、それが立会いにおいて不利になるものとは考えていなかった。
「聞いたよ。柏木のおじさん、負けたんだって?」
リビングで新聞を読む柳枝に鏑が尋ねる。
「ああ‥‥。意外と言えば意外だったかな。あれほどの巨漢だし、そう簡単に遅れを取るとは思わなかったが‥‥」
なおも、柳枝は新聞から眼を離さない。
「何があったのか、知ってる?」
「‥‥『柳返し』を使ったんだとさ」
「柳返し、か‥‥」
それは、紛うこと無く『五縄流合気』の奥義のひとつだ。
「うーん、それは凄いねぇ。合気を専門にしているワケでもないのに『柳返し』を実戦で遣えるのかぁ‥‥アレはアレで難しい技なんだけどね。
というか、チョット信じられないよ。だって、あの技は相手の『突き手』をしっかりと掴むのがキモだからさ。柏木おじさんの手首なんてビール瓶より太いくらいだし、そんなのをチャンと『掴める』のかなぁ」
頭を傾げる鏑に、柳枝がチラリと視線を送る。
「ロープを‥‥使ったらしい」
「ロープ?」
「ああ。予め、柏木君の手首にロープを巻き付けておいて‥‥それを引っ張ったそうだな。それなら、手首の太さは関係なくなる」
うーん‥‥と鏑が唸る。
「やるなぁ、そういう手があるのか。でも、そんなのスンナリと巻き付けさせてくれるものなのかなぁ?」
なおも、鏑は納得が行っていない様子である。
「うむ、その前の段階で『首』にロープを巻着付けることで、ロープに対する意識を植え付けておいて‥‥さらにワザと外して『杭』を投げたりと‥‥かなり挑発してあったみたいだな。
その上で柏木君に激高させて、手首のロープから意識を逸したんだろう。周到に組み立てられた戦術と言えるだろうな」
「なるほど‥‥流石は『宗家』だけの事はある‥‥のかな?」
ふふ‥‥と柳枝が笑う。
「で‥‥どうするんだ?順番から言えば『次』はお前だぞ?」
それを聞いた鏑は露骨にイヤな顔をする。
「やだなぁ、そんなのの相手なんて。ヤバいじゃんか」
「まぁ、そうとも言い切れんがな。何しろ、彼の師匠である片桐さんは元々『合気』の出なんだし」
柳枝は新聞を傍らに置いた。
「えっ!そうなの?」
実際、柳枝は片桐の弟弟子に当たる。
それ故、その実力と『えげつなさ』は誰よりも良く知っていた。
「ああ。だからこその『柳返し』なんだろう。イザとなると自然に合気の技が出るんだろうよ。だからこそ‥‥『その技』に通じている我々ならば、対処がしやすいとも言えるんじゃないかな?」
そう言って、柳枝はニヤリと笑った。
「そうなのかなぁ‥‥」
なおも鏑は不満そうだ。
「まぁ、いいだろう」
ガタン、と柳枝が椅子を引いて席を立つ。
「『戦い』の本分は『生き残る』事だからな。お前が『戦わない』というのなら、そういうのもまた『戦術』のひとつだろうよ」
「‥‥そうだね。出来るだけ‥‥逃げられるものなら、そうするよ」
ふぅ、と鏑は溜息をついた。