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五縄の桜  作者: 潜水艦7号
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それなるが所以は自己の中にこそありて

片桐清三が納屋に茶室を設えた時、ひとつ迷った事がある。

それは『にじり口』だ。


本来、茶室の入り口は『にじり口』になっていてひざまづかないと入室出来ない構造になっている。これは中に入る人物が『どうあっても頭を下げる』ことで、己の慢心を諌めるという意図がある。


そうして考えれば『にじり口』は必須に思えるが‥‥何しろ、いちいち屈む必要があるので面倒ではある。

ならば「どうせ客人を呼ぶわけでもなし」と、あえて片桐は『にじり口』を設けることはしなかった。



「ふむ‥‥まさか、こうも大柄な客人をもてなすことになろうとはね‥‥」


片桐の対面には、柏木が座していた。その右腕は三角巾で吊られている。


「この茶室を作った時に、面倒だからと‥‥にじり口を設けなかった事が幸いする時が来るとは思っていなかったよ」


なるほど、柏木の体格では小さな入口はさぞ苦労する事になっただろう。


「お邪魔をしております」

大きな身体を窮屈そうに折り曲げて、柏木が頭を下げる。


「何‥‥こうして一門から訪問を受けるのは嬉しいことだよ?何しろ普段は誰も何も言ってこないからね」


にこやかに笑う片桐を、柏木は不思議な想いで見つめる。

いくら義理のとは言え『これ』が、あの桜生の親なのか‥‥と。あまりに雰囲気が違いすぎる。師である渓からは『貉の如し』と聞いていたのが嘘のような和やかさではないか。


「桜生君は‥‥幼少から『ああいう風な気質』だったのですか?」

柏木も、桜生が養子であった事は聞いていた。


「うん?桜生か。そうだな‥‥少なくとも『才気』はあったな。子供時代から喧嘩になると『手加減なし』で掴みかかるので、弟も随分と苦労したらしい。ついには『手に余る』と相談されてな‥‥」

片桐が懐かしそうに語る。


「‥‥ついでに言うとな。『桜生』というのは本名ではない。あれは私が付けた『号』でな」


「桜生‥‥がですか?彼の気質は、失礼だがあまり『桜』と呼ぶには少々似つかわしくないようにも思えますが」


怪訝な顔をする柏木に、片桐がニヤリと笑ってみせた。


「知らんか?梶井基次郎だよ。『檸檬』という詩で有名だな‥‥彼は見事に咲く桜を見て『桜の樹の下には屍体したいが埋まっている』と表したのさ」


「屍体‥‥ですか」


「ああ。桜の樹はな、その幹の中が『見事な桜色』なのさ。そう、まるで地面から『桜色』を吸い上げたかのようにね‥‥だから『地面から、人間の血を吸い上げたような』という意味だと私は解釈しているがね」


なるほど、と柏木には合点がいった。


桜生にそれだけの『華やかさ』があるのは兎も角として。その樹の生命は正に、その根付いている地面の下に累々と埋まっている屍を養分としているという見立てに不自然さはない。

確かに、その意味では『桜の生きるが如く』と言えようか。


「恐れ入ります。自分は文学にはトンと不見識でして」


「いやいや‥‥そんな大した話じゃぁない‥‥それよりも、だ。どうだったね?桜生との申し合いは」


う‥‥と柏木が言葉に詰まる。


「何というか‥‥『いつの間にか負けた』というのが本音で‥‥正直、何が何やら見当もつきませんでした」

そう言って、柏木は悔しそうに唇を噛んだ。


「ははは‥‥そうか、そうか。いや‥‥決してイヤミではなく『それで良い』と私は思うよ」


「は‥‥?敗因が分からない事がですか?」


「ああそうだ。というか、『安易に結論に飛びつかない』ことがな。それで良いのだよ。どうしても人は安易に『油断した』とか『技を知らなかった』などと結論を急いでしまうものだ」


片桐が『例の』黒椀を柏木に差し出す。


「ま‥‥飲みなさい。‥‥しかしな。そうして得た『結論』が正しいものかどうか‥‥というと大抵の場合は『間違い』という事の方が多いのだよ。何故かというと、その『結論』は自分にとって、最も『都合のいい結論』だからだ」


柏木は黙って片桐の話に聞き入っている。


「人間はどうしても世の中を『こうあって欲しい』と考えがちでね。そうしたバイアスが掛かるとどうしても『間違った結論』に飛びつくものなのだよ」


思い返せば、だ。

立会う前に柏木は楠の敗戦をして『詐術に絡めとられた』と評した。だが、今になって思い返せば『それ』は妥当な評価であっただろうか‥‥?もしかして『そうであって欲しい』という願望では無かったろうか。


「だからね、そう安易に『結論』を急ぐものではないぞ?もっと時間を掛けて、ゆっくりと向き合いなさい」


「‥‥恐れ入ります」


片桐は『自分で考えろ』という。それは正しい事だろう。仮に何か正しい道があったとしても、それを他人から教示されても自分の物になるワケではない。


それよりも、例え脆弱で辿々しい教訓であったとしても自己で考えて得たものであれば、それはその人間の血肉となろうから。


「‥‥抹茶とはこうも美味いものですか。初めて知りました」

柏木が茶椀を置く。


「うむ‥‥人間、知らぬ事だらけよ。全く、世の中は広い‥‥」

片桐は、そう言って静かに笑った。



柏木が座を辞してから。

片桐はひとり、茶碗の縁をじっと見つめていた。


「‥‥此処までは、予定通り‥‥か」


そして、まさに貉と呼ぶに相応しい残酷なまでの笑みを浮かべる。

「此処からだな‥‥『本番』は。これまでのような訳にはいかんぞ‥‥?」





他のキャラに比べて何のサイド・ストーリーもなく、割とアッサリ負けてしまった柏木君ですが。

彼は物語の最後に少しだけ出番がある事になっています。

本筋には影響の無い範囲ですが、現実的な仕事をしてもらおうかと。

そのため、此処はあまり無理をさせられず‥‥


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