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29 名前のない少女

その後、幾つかの事務的な話があって、そろそろ部屋を去ろうかという雰囲気になった頃、扉を開けて一人の女の子が現れた。


「......誰?」

呟くように言い、小さく首を傾げる少女。


「市長の娘さんだよ、リアナ・シャーロックさんだ」

「リアナちゃん?」


少女はちょうど12歳くらいに見える。リアナや俺、つまりノエリアとちょうど同じくらいの年齢だ。

目がぱっちりと大きく、顔立ちが幾分か幼いようだ。着ている服はあまり綺麗ではないが、活発そうな表情にかえって似合っている。


「ええ。あなたは?」

察するにロイルの娘だろう。そう思ったのだが、帰ってきたのは予想外の答えだった。

「あたし、名前が分からないの」


「......どういうこと?」

リアナは、その少女ではなくロイルの方を向いて尋ね直した。


「あはは、いや、その子、身元が分からないんです」

「どういうこと? ちゃんと説明しなさい」


困ったように笑うロイルに、リアナは声を低くして詰問する。

「実は、ついこの前、村の近くで行き倒れていたのをここまで連れてきたんです。ところが、家の場所も親の名前も分からないと言うもので......」


なるほど、それで身元不明、か。

リアナは唇の先を曲げ、あまり納得していないように腕を組んでいる。


「ついこの前って、凶作で食糧不足の村に、知りもしない人間を助けている余裕はないんじゃなくって?」

「確かに、そうかもしれませんね。……けど、自分がそうしなければ、この女の子はきっと死んでしまっていましたから」


未来の心配より、今ある食糧を目の前で飢えようとしている少女に与える。

それ自体は、必ずしも愚かな選択ではない。


リアナもそう思ったのか、ロイルから視線を逸らして、まあいいわと呟いた。


「……えっと、村長さんのご様子は?」

俺は、会話の停滞に耐えきれず、適当な話題をロイルにふる。


「一時に比べれば安定していますけど、もう父も歳ですからね。ここ2、3年、ほとんど外に出ていませんよ。若い頃は冒険者で、病気になるまではずっと狩りを趣味にしていたみたいなんですけどね。やっぱり老いには勝てません」

「狩り?」


「ええ。と言っても、村のそばにある森で何匹か魔獣を狩る程度でしたけど」

冒険者に狩人。やっぱりこっちの世界には、そういう職業の人もそれなりにいるのか。


「お話はこれぐらいですか? でしたらどうでしょう、お昼、召し上がっていかれますか?」

「いいえ、結構よ。私達のご飯より、あなたは村民のご飯の心配をしなさい」

ロイル市長に半眼を投げて、リアナが言った。




セサルの迎えが来るまでまだ時間があるということだったので、市長の部屋を辞去した俺たちは時間潰しに名の無い少女と話をしていた。


「あなた、どこから来たの?」

「分からない」


「誰か知り合いは?」

「この村の人、なら」


「それ以外は?」

「いない」


呆れたようなため息の音。

本当に、何も分からないらしい。もしかして記憶喪失というやつではないだろうか?


「リアナ、あまり追い詰めない方がいいと思うよ。この子も悪気がある訳じゃないだろうし……あ、そうだ」

俺は、持っていた鞄からから5つのお手玉を取り出した。


「この前ヨルム市で買っていたものね」

「あ、お手玉だ」


あれ、知ってるのか。少女の意外な反応に、俺は少し驚いた。

「知ってるの、お手玉?」


小さく首肯する少女。俺はその反応が少し嬉しくて、その場でお手玉5つのジャグリングをしてみせた。

「なに、新しい風魔法?」


リアナは目を丸くして驚嘆の声を上げる。だが、一方の少女はどこか平然としていて、懐かしいものでも見るかのような穏やかな表情を浮かべていた。


「魔法じゃないよ、こういう遊び」

「遊び?」


リアナが何を言っているか分からないというような表情を浮かべる。

「ノエリアちゃん、私にも貸して」


少女は3つお手玉を受け取って、投げ始める。

投げ方に余裕があって、なかなか上手だ。ある程度練習を詰んだ人でなければ、こう上手くはできまい。


「右、左、右、左、右......」

そう呟く声は、どこか楽しそうだ。


「リアナもやってみる?」

リアナが頷いて、お手玉を2つ俺の手から取る。


「要は、投げればいいんでしょ」

リアナはそう言って、やたらと高くお手玉を投げ上げた。


「高すぎるよ。もっと低く投げないと」

そう俺が注意している間に、お手玉は空中高くで不意に吹いた風にあおられ、遠くまで飛ばされてしまった。

さらに不幸なことに、落下点にいた野良犬がそれをくわえ、どこかへと走り去ってしまう。


「あ、お手玉!」

「追いかけないと」


少女はそう言って、お手玉を手に持ったまま無我夢中で野良犬の方へと駆けていく。

一瞬遅れて、俺とリアナもそれを追いかけた。


「はあ、はあ......」

ひたすらその野良犬を追う少女を後ろから追いかけるうちに、辺りはいつの間にか深い森の中である。


「もう戻ろう、森の中は危ないから!」

俺はそう声を上げるが、少女の耳には届いていないようだ。


以前にも、リアナは森の中で魔獣に襲われている。それに加えてさっきのロイルの話しからすれば、この森は魔獣がよく出るということになる。


これ以上森へ深入りするのは危険だ。

あの野良犬には少し悪いが、少女を諦めさせることが出来ない以上、無理矢理奪い返すしかない。


「『wind blow:ω; do squall(スコール);』」

教科書で聞きかじった魔法を唱えながら、手に持ったお手玉を少女の前を走る野良犬を目掛けて投げつけた。


野良犬はその場に一瞬倒れ伏し、口からお手玉をこぼす。その犬は怯えてしまったのか、お手玉をくわえ直すこともなく、どこかへ逃げていった。


少女はそのお手玉を回収し、俺たちの方へと走り戻ってくる。

「お手玉、取り返したよ」

「あなたねえ......」


危険な森の中に、たかだかお手玉の為に入って行く。常識的には考えられないような行為だ。リアナは呆れたような表情を浮かべながらも、しっかりと頭を下げた。


「けれど、ま、まあ、私も不注意だったわ、ごめんなさい。……ありがとう」



「squall」は突風を吹かせたり、それによって軽い物体を遠くに投げつけたりする魔法です。


ちなみにsquallという英単語は、突風やスコール(短時間の局地的大雨、熱帯の地域でよくみられる)などの意味を持ちます。

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