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第二話 魔女と息子の朝は賑やかです

精悍な大男と、幼女の組み合わせが好き。


 用意されたのは清潔な服。

 温かな料理。

 雨風を凌げる家。

 そして、家族。

 ――命を捧げるには、十分だ。



「母さん、朝だよ」


 豪奢な天蓋付きのベッドの脇に立つ、大柄な男性が呆れ交じりの声でそう呼んだ。

 身長は百八十を優に超え、体格は大柄。鍛えているのか筋肉質で、腕は丸太のように膨らんでいる。肥満ではなく、筋肉だ。

 着ている白のシャツはその筋肉に引っ張られて肌に張っており、黒のタキシードよりも動き易い作業服の方が似合いそうな体格をしている。

 彫りの深い顔は厳つく、目付きは鋭い。艶やかな黒髪は整髪料で硬め、首には蝶ネクタイ。

 まるで貴族の屋敷に勤める使用人と言った風貌だが、しかしここは貴族の屋敷ではない。

 豪奢なベッドは確かに目を惹くがそれ以外に目立った調度品は無く、精々が枕の傍に飾られている可愛らしくデフォルメされたクマのぬいぐるみと大きな姿見、そして衣服を収めたクローゼットが目を惹く程度。

 質素というよりも、本当にここは『眠るだけの場所』なのだと、暗に告げている様だった。


「母さん?」

「んー……むぅ」


 母と呼ぶには高い、幼さの残る声がベッドから聞こえた。

 その本人は頭から毛布を被っているので姿は見えないが、どうやら声に反応する程度には意識が覚醒しようとしているらしい。

 ……それも、いつも通りだ。

 呼んだだけで起床してくれるなら、毎朝苦労する事はない。

 そもそもこの屋敷で過ごすようになってから、この、金持ちの貴族が眠るようなベッドを使っている屋敷の主がまともに起きた試しなど一度も無いのだが――まあ、毎日の事だ。

 いつも通り、まずは声を掛けて起こすように努力する。

 ……努力というか日常の習慣でしかないので、それで起きてくれるとはあまり期待していない。

 男は端正な表情を僅かも曇らせることなく、けれど器用に溜息を吐いて……ベッドへ一歩、歩み寄った。


「朝だよ、母さん。昨日の夜は、また遅かったの?」


 成人した男が使うには、少し子供っぽい喋り方かもしれない。

 けれど、こうやって話し掛けないと彼の母親は拗ねてしまうのだ。

 いつまでも子離れできない母親――とは、心の中でも思わない。彼女が望むならどのような要望にも応えよう。

 それだけの幸せを貰い、それだけの恩がある。

 命すら捧げても良いと、冗談でもなく、男は思う。

 そしてなにより、こうやって甘えられる事が幸せなので、どんなお願い出も叶えてあげたいと思ってしまう。

 子離れできない母親と、親離れできない息子なのだ。

 ベッドへ歩み寄ると、ゆっくりと毛布を撫でる。小さな膨らみに沿うよう手を動かすと、その下に眠る小柄な身体が身動ぎをしたのが分かった。


「母さん、朝だよ」


 声は何処までも平坦だ。

 聞く人からすれば、感情の起伏が感じられないと思う人も居るかもしれない。

 冷たいと感じる人が居るかもしれない。

 けれど、男はその平坦な声音の内に万感の想いを込めて、母親を呼ぶ。

 それを何度か繰り返すと、毛布の下から、窓の外で輝く太陽すらも嫉妬してしまいそうな、美しい金髪が僅かに覗いた。


「……寒いぞ」

「季節は春だし、雪は積もっていないよ」

「そういう問題でもないと思うのだが――うぅ、あと少し眠らせておくれ、可愛い可愛い私の愛おしい息子や」


 毛布から少しだけ顔を出し、エメラルドよりも深く、そして美しい翠色の瞳が僅かに覗く。

 その瞳はまだ少し眠たげで、毛布の下で欠伸をしたのか僅かに潤んでいる。

 ああ、まるで魔法のようだ――と男は思う。

 少し潤んだ瞳……ただそれを見ただけで、魅了されてしまったかのように胸が高鳴ってしまう。

 ベッドの脇に腰を下ろすと、優しく毛布越しに『母さん』の身体を撫でる。ベッドへ体重を預けると、豪奢なベッドが僅かに軋んだ。


「ああ、母さん。母さんがそう言うなら、俺としてはお昼まででも夕方まででも眠ってほしいけど――悲しい事に、食堂では出来立ての朝食が首を長くして母さんの起床を待っているんだ」

「……朝食は要らんと、何度言えば……」

「俺達は家族なんだ。一緒に食事をしたいし、食卓を囲みたいし、会話に花を咲かせたいと思うのは……駄目なのか?」


 男がそこまで言うと、毛布の下で眠る屋敷の主は「ぐぬう」と、なんだかとても悔しそうな声を出した。


「暖かい料理を用意しているよ。焼きたてのパンに、うっすらと焦げ目がついたベーコン。ポタージュスープと新鮮なミルク。瑞々しいサラダ――……」


 今日の献立を一品ずつゆっくりと説明すると、毛布の下から少しずつ顔が出てくるのが面白い。

 眠いと言いつつ、身体は空腹を訴えているようだった。

 もう何度もこうやって起こしてきたから、男は魔女の扱いに慣れている。いつも通りの反応に、男は感情の起伏の少ない顔を傾けた。

 もうすぐ起きるかな、と考えながら。

 これで夜食も食べているのだが、撫で摩る手が感じる毛布の下の肢体は小柄なもの。

その栄養が一体どこへ消えているのか――というのは、この屋敷に住んでいるもう一人の人間が何時も気にしている事である。

 それはさておき。


「おはよう、母さん」

「ぅ……ぐぅ。なんじゃなんじゃ。母は眠いと言っておるのに、叩き起こす息子なんぞ……」

「嫌いになった?」

「いやいや、嫌いにはならんが……あれじゃ。昔はもっと素直で、可愛げがあって、おどおどした小動物の様な小僧だったのに――こんなの、予想外じゃ」


 聞き慣れた、まるで年寄りのような言葉遣い。

 口元を毛布で隠してもごもごと喋るのも、いつもの朝の光景だ。

 すっかり目の覚めたその声を聞いて、男は僅かに、この屋敷に住む家族にしか分からないほど――僅かに口元を緩めて、思い付く限りの悪口を言っている母親の頬に手を伸ばした。

 柔らかくて暖かい、白磁のような肌。もう何百年も生きているという魔女なのに、肌の質感は幼い子供のように張りがある。

シルクのように滑らかで、丸一日でも触っていられると思う瑞々しい肌。

 ゆっくりと、丸く膨らんだ頬を撫でていると、少しだけその頬に力が籠る。

 警戒ではない。

 金髪の母親が男の手に頬を摺り寄せてきたのだ。

まるで屋敷の庭で朝食を待つ野良猫達のような反応は男の胸を高鳴らせ、男はすぐに柔らかなベッドへ体重を預けた。

 少女の小柄な身体へ覆いかぶさるように移動すると、ギシ、とベッドが軋む。


「って、こら!? 朝っぱらからなんじゃ!? いきなりどうした。儂があんまり可憐だから、欲情したか!?」

「いや、おはようのキスを」

気障(キザ)か!? 阿呆! 朝っぱらからたわけた事を――」

「家族なんだから、おはようのキスくらいはいいだろう?」

「真顔で何を言っているのだ、このバカ息子!?」


 と、言い合っている間に毛布をずり下げ、その下に隠れていた肢体を胸元まで露わにした。

 現れたのは、初めて会った二十年以上も前から変わらない、可憐で、幼い、まるで人形のように愛らしい金髪の少女。

 寝起きで乱れた美しい金髪も、寝惚けて潤んだ翠色の瞳も、僅かに開いた黒いネグリジェの胸元から覗くきめ細かな白い肌も。

 その全部が、男の理性を刺激する。


「母さん、今日も美しいよ」

「ええい、落ち着かんか馬鹿者!?」

「落ち着いているよ?」


 ほら、と。金髪少女の右手を取って胸元へ導くと、その下で脈打つ心臓の鼓動が伝わる。


「めっちゃドキドキしとるじゃないか!? 興奮し過ぎだぞ!? 心臓が破裂するぞ!?」

「母さんがあんまり可愛いから、つい」

「うぎゃー!? 食べられる!?」


 大きな声を出した『母さん』に顔を近付けると、しかしその悲鳴はすぐに引っ込んでしまった。

 視線が重なる。

 その翠色の瞳に、年を経て精悍になった男の顔が、男の顔だけが映る。

 男はそれに気付くと、誇らしい気持ちになった。自分の主人であり、母であり、恩人である美少女の今の姿を見ているのは自分だけなのだという、誇り。

 そんな主人が今見ているのは、自分だけなのだという誇り。

 眠気ではない違う理由で、魔女の瞳が僅かに潤む。頬が熱を持ち、騒いでいた唇からは「あう、あう」という言葉にならない声が漏れていた。

 美しく色づき、ぷっくりと膨らんだ唇。大声を出した事で僅かに火照った肌。咄嗟に暴れて、先程よりも胸元を大きく開いた寝衣。

 深く息を吸うと、華のような、甘い、仄かな少女の香りがした。


「へんたい!?」

「良い匂いがしたから」

「朝っぱらからやめんかっ――その、起きたばかりで、汗臭いだろうし……」

「そんなこと無いよ」


 もう一度、くん、と鼻を鳴らす。やはり華の様な、柔らかくて甘い、少女の香りがした。

 その匂いに誘われるように身を乗り出すと、ぎし、とまた少しベッドが軋む。

 毛布に半身が包まれた少女の身体が硬直するのが男には分かった。

 今度はベッドの上に広がった金色の髪へ顔を埋め、そのまま流れるような動作で頬、そして首筋へ。

 香りが強くなり、興奮で僅かに湿った肌の感触を男は頬で感じる。


「え、え?」

「おはようございます、母さん」


 疚しい気持ちなど僅かも無く。

 その細い手首を拘束し、体格差で小柄な身体を押さえつけ、少しずつ顔を寄せていく。

 甘い香りが一段と強くなる。

 まるで、花に誘われる蜂のようにその花弁へ顔を寄せると――親愛の情を込めて、頬に唇を寄せた。


「え――えー……」

「何を期待していたのですか、お母さん?」

「……いや、期待なんかしてないぞ?」


 頬におはようのキスをして、男は何事も無かったかのようにベッドから立ち上がった。

 僅かに乱れた衣服を整えて、見える範囲でベッドシーツの乱れも整える。


「目は覚めた、母さん?」

「うん」


 今度はとても素直だった。まあ、あれだけ騒いで興奮もすれば、嫌でも目が覚めるだろう。

 永遠に年を取らない金髪少女は、まだ少しその頬を赤くしていたが、しっかりと目が覚めている様だった。

 ベッドの上で身体を起こすと、その小柄な身体を精一杯使って伸びをする。

 本当に、何も変わっていない――そう、もう何度目になるかも分からない事を、男は考える。

 この屋敷に連れてこられて二十年以上。

 あの頃は病弱で、まるで死人のように痩せていて、まともな食事すら受け付けなかった自分の身体も、今では人並み以上の大柄に育ってしまった。

 病弱だった反動か、身体を鍛える事に人一倍の努力を向けた結果か。この身体は、以前は自分を抱えてくれた小柄な母親を、ともすれば片腕で抱きかかえる事が出来るまで成長してくれた。

 それに加え、二十年という時間を経ても変わらない、愛らしい少女。

 異常だと、ずっと昔、誰かが言った。

 確かにそうなのだろう。

 この金髪の少女は――世間一般では『魔女』と呼ばれる人外。人間ではない存在。

 永遠を生き、永遠にその容姿に変化がない、悪魔と契約した不老不死。

 飼っていた奴隷が死んだので、代わりに路地裏での垂れ死ぬ寸前だった子供を拾っただけの関係なのだが――。


「くそう……何処で育て方を間違えたかのう」


 ベッドの上で頭を抱えながら呟かれた主人の言葉に、男は考え込むよう視線を天井へ向けた。


「そんなの、最初からだと思うけど」

「嘘だあ。お前、最初の頃は借りてきた猫みたいにおとなしくて、儂を怖がっていたじゃないか」


 どうやら、男が『母さん』と呼ぶ魔女からは、そう見えていたらしい。

 ふむ、と。

 男は彫りの深い頬、そして形の良い顎へ指を伸ばして思い出す。

 男としては『この屋敷に来た時から』この愛らしい人形のような美少女の容姿に目を奪われ、恋をしていたつもりだったのだが……どうしてそれが怖がっていると思われているのか。

 まあ、あれだ。

 好き過ぎて緊張し、あまり喋らなかったから……怖がっていると誤解されているのだろう。考えるまでも無い事だった。

 両親が何者かも知らず、路地裏での生活しか知らなかった子供にはこの屋敷以外に行く場所など無いのだから、そんな子供が思春期だからと好きな女の子に意地悪したり逃げたりなんてできはしない。

 思春期になれば自分の気持ちに嫌でも気付き、向き合い――気付けばこうなっていた。としか言いようがない。


「うん」

「何を一人で納得しておる」

「いつから母さんを好きだったのか、再確認していただけだよ」

「今の話から、なんでそこに行くの? なあ、儂の話、聞いてた?」

「もちろん」


 迷いなく、胸を張って頷くと、金髪の魔女は深い深い、海よりも深い溜息を吐いた。

 そして、いつものように――椅子やソファの違いはあれ――ベッドの上に胡坐をかく。

 着ている服が丈の長いドレスではなく下着同然の寝衣なので、そうすると下着が丸見えなのだが――二十年以上の付き合いにもなると、下着が見えるのはあまり気にならないようだった。

 いや、ベッドに押し付けられてキスを迫られるだけで顔を赤くしていたから、心構えが出来ていればあまり気にならないのだろう。

 ちなみに、色は黒。少女らしくないと思うかもしれないが、精神は老齢の魔女なのだから、むしろ背徳感を覚えてとても良い――と、男が心の中で思ったり思わなかったり。


「母さん、下着が見えてるよ?」

「くふふ。なんじゃ、パンツが見えた程度で動揺しておるのか?」


 どうやら、先程からかわれた事で、こう、対抗意識的な物が芽生えているらしい。

 声音は変わらないが、そう指摘した男の言葉に意地悪く笑いながら答えてくる。


「いや。今朝もちゃんと起こしたから、そのご褒美なのかな、と」

「少しは恥ずかしがらんか! いやっ、そうまじまじと見るな、この阿呆!!」


 すぐに足を閉じて、正座をしてしまった。そこでようやく、寝衣が乱れて胸元が開いていた事に気付き、慌ててボタンを閉じようとする。

 慌てていたのか、何度か失敗している様子がまた愛らしい。

 こうなると、長く生きた魔女というより、少し背伸びをした女の子という印象しか抱けない。

 男が口元を手で隠して笑うと、上目遣いに、ムスッとした目付きで睨まれてしまった。

 何処までも可愛い主人である。

 男が口元だけでなく目元まで綻ばせると、魔女は今日何度目かの「ぐぬう」と悔しそうな声を出した。


こういうのが私的なギャグなんだけど、これってギャグなのかな?

わりと、ほのぼのの範疇な気がします。


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