第一話 その日、魔女に拾われました
今日、ここで死ぬのだと。
漠然と、そう思っていた。
・
(……はら、減った)
今にも雨が降りそうな、どんよりと曇った空を見上げながらそう考える。
立ち上がるどころか、指の一本を動かす事すら億劫で――このまま目を閉じて眠ってしまいたい気持ち。
背中に感じるのは冷たくて堅い、石畳の感触。
自分の体温を吸って温まるでもなく、むしろ体温を奪われてしまうような。
そんな、今にも死んでしまいそうな肉体は、今日ここで死ぬのだと、伝えている様だった。
「おや」
明るくて高い。子供の声がした。
同時に、空を見上げていた視界が影で遮られる。
――ここ最近、まともな食事をしていないからか、ぼんやりとしか映らない視界を細めると遮った影が人のソレである事が分かった。
「…………」
誰かと聞こうとしたけれど、言葉が出ない。
寒さで切れた唇は少し動かすだけでも涙が出てしまいそうな激痛を発し、乾いた喉は言葉を紡ぐ事が出来ずに咳込んでしまう。
そんなこちらを察してか、人影は手を伸ばし、唇に優しく触れてくる。
「なんぞ、病気かね?」
細めた視界に映ったのは、幼い少女だ。
眩しいくらいに綺麗な金髪は灰色雲の下であっても輝いているように眩しくて、宝石のような緑色の瞳がまっすぐにこちらを見返している。
淀んで曇っている背後の灰色空とは真逆の、真っ白な肌。
けれど、身体を包むのはそんな明るい髪や瞳とは違う、真っ黒。
貴族の子供が着るような、フリフリの装飾がたくさん使われた、真っ黒なドレス。
倒れているこちらの顔を覗き込んでいるから、長い金髪が垂れて顔にかかる。鬱陶しい。
(金持ちが、死にぞこないを覗いているのか)
そう思った。
ここは、掃き溜めだ。
親が居ない。職に就いていない。まともに稼ぐ能力が無い者の掃き溜め。
酒場から出た残飯を漁って命を繋ぐような、そんな人間の掃き溜め。
現状を何とかしたいと思っても、どうにも出来なかった人間が朽ちる場所――ゴミと吐しゃ物にまみれた、路地裏だ。
人通りがほとんど無い路地裏に来る人間なんて同じ掃き溜めに集まる浮浪者か、それともただのもの好きか。はたまた掃き溜めの人間をいい様に使おうとする悪人か。
――この子供はただのもの好きなのだろう。
着ている物が違い過ぎる。まともな教育なんて受けていない人間にも、着ている服が高級品である事が一目でわかった。
「ふむ。ただの空腹か」
そんな事を考えていると、腹が勝手に「ぐう」と鳴る。
本当に、ここ数日、まともな食べ物に在りつけていないのだ。
あと、最近は急に寒くなって体調を崩してしまったというのもある。
結果、腹は減ったし、体調は悪く一方だしで、自分はここで死ぬんだろうな、と思っていた所なのだ。
「しかし、みすぼらしい格好だのう」
そんなこちらの現状など知る由もない華美な装飾に包んだ貴族は、からからと明るい声で笑った。
別にこちらを馬鹿にしたわけではなく、ただそう思ったから口にしただけ――なのだろう。
貴族なんて、そんなものだ。
金を持っているからと、金を持っていない孤児や浮浪者を見下す。そういう人間だ。いや、同じ人間なのかすら、時々、疑わしくなる。
大通りを走る馬車は足元を見ることなく、そこに蹲る浮浪者を毎日のように轢き殺しているし、戯れに食べ物を与えるからと言って屋敷へ連れかえれば、もう二度とその浮浪者を見る事はない。
そんな浮浪者は屋敷で戯れに拷問されている、という噂をよく耳にした。
そもそも、見下すという感覚を持っているのかすら、よく分からない。同じ人間だと思っているなら、そんな事は出来ないはずだと思うのは――甘い考えなのだろうが。
「…………」
「お、気に障ったか? すまんすまん」
ムカついたのでなけなしの力で視線を逸らすと、また明るく、どこまで本気なのか分からない声で、貴族が謝ってきた。
「まあ、そう怒るな。くふふ、死にそうなくせに、気の強いガキよ」
(お前も、俺とあまり変わらないじゃないか)
声には出せず、そう思う。
細めた視界に映るのは、こちらより少し年上の――少女。多分、十歳を少し過ぎた程度。
ぼんやりと視界に映る影は自分より少し身長が高い様なので、多分それくらいだろう。
なんだか少し喋り方が変だが、貴族というのはそういうモノなのだろうと勝手に思っておく。
周りに大人の姿は無いようだから、お忍び、というヤツなのか。
本当なら良いカモが現れたと盗みの一つでも働くべきなのだろうが、生憎と今は指一本すら動かすのが億劫な状態。
はあ、と白い息を吐く。
本当に、ツいていない。不幸、と言えるのかもしれない。
また、腹が「ぐう」と鳴って、貴族の女がカラカラと朗らかに笑った。
「良い天気だから新しい奴隷を買いに来たが――どれ、タダでもあるし、貴様で我慢してやるか」
何処が良い天気なのだろう。
また、空を見上げる。
今にも雨が降りそうな灰色の雲はその色を濃くし、太陽は隠れてしまっている。お世辞にもいい天気なんて言えない――寒空だ。
その金髪女はそう言うと、すぐ傍に膝をついた。
ゴミや吐しゃ物で汚れた石畳の上に、浮浪者の自分では一生触れる事なんてできないだろう、綺麗な黒生地が広がる。
ふわりと、なんだか甘い香りがした。
こんな子供なのに、大人が使うような香水を使っているのかな、と一瞬思う。
「さあ、掃き溜めの少年。これから先、貴様は死ぬまで儂の奴隷だ――同意してくれるかえ?」
妙な口調の金髪女は、ゴミで汚れた黒髪を掻き分け、汗と泥にまみれた額に綺麗な指を触れさせながら、そんな事を言う。
もちろん、こっちは喋る事なんかできない――そんな気力すらない。
ああ、でも。
(こんな掃き溜めで死ぬよりは、奴隷になった方がいいのかな……)
ぼんやりと空を見上げながら、そう思う。まあ、死ぬよりはマシだろう。生きていれば、何か良い事の一つでもあるかもしれない。
神様の存在を信じるほど夢を持っているわけではないが、死にたいと思うほど長く生きたわけでもない。
生きる道が残っているなら、行きたいと思う。――奴隷とはいえ、働かせるために食い物は出してくれるだろう。
そう思っていると、頬に冷たいモノが触れる。
……降りそうだったのは、雨ではなく雪だったのか。
なるほど、寒いわけだ。体調を崩すわけだ。
ゆっくりと、静かに、少しだけ――雪が降っている。灰色の空から降る、白い雪。
それは石畳に落ちると積もる事無く溶けてしまい、医師の色を少しだけ黒に染める。
雪は降り続ける。
それは少女の黒い服、金色の髪にも同じく降り――そして僅かにだが、積もっていく。
ああ――この少女は、黒よりも白が似合う。
ぼんやりと映る程度の視界ながら、そう思ってしまった。
「はてさて。良い拾い物か、役に立たないガラクタか――では、儂の家に案内してやろう」
「――――」
そう言うと、金髪女はその外見からは想像もできない怪力でこちらを抱え上げた。
歳はこちらよりもちょっと上なだけのはずなのに、女が男を軽々と、だ。
「ふは――そう暴れるでないわ。なんじゃ、死にぞこないのくせに、女子に抱えられるのが恥ずかしいのかえ?」
声が出ないのを良い事に、暴れるこちらを意に介さず――まるで女の子の様に抱え上げると、不思議な金髪女はそのまま歩き出した。
――周囲の視線が痛い。
掃き溜めのゴミとしか見られていなかったはずなのに。今まで無関心だったくせに。
……今は歳の変わらない金髪女に抱えられているとこっちを見て笑っている。
「貴様は死ぬまで儂の奴隷じゃ。この契約、忘れるなよ」
不思議な金髪女はもう一度そう言って、あっさりと、簡単に、掃き溜めに住んでいた人間を連れ出した。
Twitterで面白いタグを見付け、物凄く心が惹かれました。
絵が描けないので、文章で書いてみる。