イケニエ投票
「それではイケニエ投票の結果を発表します。」
私のクラスは狂っている。
そして、狂っているということを私だけが知っている。
他のみんなは自らが狂わされていることを知らない。無自覚のまま狂わされている。
この教室という四角い箱の中で常識というものはもはや通用しない。私がいくら声をあげようともそれは虚空へ虚しく消えていく。
今日も彼女の一声で皆は団結する。
選別から弾かれないよう、レールから外れないよう必死に踠き、苦しみ、足掻き、朽ち果てる。生きながらにして死んでいるマネキン達は今日も逝く。彼女の正義の旗の元へ。
✕✕✕
すべての始まりは4月。クラスがまだ結束をしていない頃。つかの間の平穏をのうのうと過ごしていたあの頃。
「私はこのクラスをより団結力のあるものにしたいと思います。しかし、これだけの人数が同じ目的に強い意志を持って突き進むのはなかなか難しいことです。なので、クラス団結のための『イケニエ』を決めましょう。」
クラス委員の女子、八重洲はこう言い放った。
女子にしては大きな背丈に腰まである長く艶やかな黒髪。キリッとした表情も相まって私の持つ「真面目な優等生」というイメージにぴったりだった。
「イケニエは絶対悪です。私達クラスの団結を崩します。言うならばクラスのガンです。ガンは取り除かなければいけません。そうですよね? ほら。みんなの気持ち、一つになりました。それでは投票を行います。」
八重洲はとてつもなく突拍子もないことをべらべらと喋っていた。こんなのどう考えてもおかしいに決まってる。もちろん私以外の人々も少なからず疑問を抱いていた。
クラスの団結のためにイケニエを用意する? バカバカしい。そんな意味不明なことを鵜呑みにする人がいるわけない。彼女のいうことは一理あるかもしれない。ひとつの巨悪に向かって人々は団結する。RPGの世界でいえば魔王という絶対的な悪が存在するため国家間の紛争やいがみ合いなど決して起きやしない。そういうゲームじゃないからというのが正解なのかもしれないがつまりはそういうことだ。
「配れらた投票用紙に無記名で、一人イケニエの名前だけ書いてください。 相談はしないで、皆さん個人個人で考えてください。これはこのクラスの未来を決める重要な投票です。くれぐれもふざけず真面目にお願いします 」
しかし、その匣庭は既に侵食され、八重洲の手中へと誘われていた。
辺りを見回すと、明らかにクラスの雰囲気がおかしい。皆疑問を呈しながらも素直に行動している。何故だ。疑いはその心にしっかりと存在しているはずなのに。
気づけば教室にいる生徒の殆どが配られた紙を見つめたり、せっせと紙に何かを書き込んでいた。内容は言わずもがな「イケニエ」の名前だろう。かくいう私の手元にも投票用紙は回ってきている。
おかしい。そう思いながらも投票用紙を受け取った瞬間、私は彼女の作り出す沼に片足を取られたも同然だった。
でも、まだ半分。完全には飲まれていない。一瞬で形成された異様な雰囲気に染まりきってはいない。そうだ! きっと私以外にもおかしいって思っている人はいる! そうに違いない! 不安は自信に変わり、全身を奮い立たせる。
「おかしい……」
ダンと音を立て立ち上がった。一瞬で58の目が私の顔に向いた。視線は質量を持たない。視線を向けられたからどうなるということは無い。しかし、感じた。冷たく尖ったモノを。頬に、鼻に、口元に、そして目に。
私だけにスポットライトが当たったかのような感覚に囚われる。もちろんいい気分ではない。今にも逃げ出したい。
しかし、もう後戻りはできない。してはいけない。
「どうかしたんですか? 御影さん? 」
「おかしい……」
「はい? 」
「こんなのおかしいでしょ!? 何かイケニエだよ! ただの計画的ないじめじゃん!? え!? クラスの団結!? ふざけたことぬかしてんじゃねーよ! 何言ってんのあんた? みんなもおかしいよ!? ねえ!? みんなもそう思うでしょ? もうやめようよこんなこと……」
必死にクラスメイトに呼びかける。きっと分かってくれる。こんなことしても無意味だって。絶対悪? 悪が必要なわけがない。
確かに世界から悪を消すことは出来ない。今もどこかで凶悪な犯罪、非人道的な行いがされているのは知っている。そんなことは重々承知の上で私は椅子を跳ね飛ばし、ここに立っている。
しかし、はっきりとした反応を見せる人は一人もいなかった。みんな中途半端にこちらをチラチラ見たり、一瞥するだけだったり。
声をあげるものがいないのはもちろん、中にはすぐ視線を外し投票準備に戻る者さえいた。
「んー……御影さん、いけませんねえ……今はクラス全員でクラスのことを考えてるんですよ? そんなに大声出してワーワーキャーキャーと。輪を乱してるってわかりませんか? 小学校の学級会でこの程度もマナーは学んだはずなのですが……おかしいですねぇ……」
「ふざけんな……こんなのがまかり通っていいはずがない。こんなの正義じゃない! 誰かを犠牲にして、その踏み台の上に立ってなお正義を語れるわけがない! それは偽善だ。見せかけだ。 八重洲、あんたは間違っている 」
ふぅ、と八重洲はため息をつき、イケニエの投票箱を教壇に置きこちらに歩み寄ってきた。
「いいですか御影さん。この世で最も人々を団結させる要素は絶対悪なんですよ。絶対的な悪が存在すれば全ての敵意、悪意、憎悪は1点に集中する。皆はお互いに争っている場合ではないと気づく。私達は絶対悪を叩き潰さないといけないと決断する。 そして完成するのです、結束が 」
「そんなのただのいじめじゃんか。そんなやり方はおかしい! なんでそんなこともわかんないんだよ! 」
その刹那、今まで私をなだめるかのような表情、声音で向かってきていた八重洲の顔が一変した。闇だ。一言で表すなら底知れぬ闇。
「あなたはいつまでクソガキさんをやってるんですか? 全員を救う、全員が幸せになるなんて贅沢言っていい時代は終わったんですよ? 不幸な人がいるから幸せを感じることが出来る。あなたが今まで感じた幸せも不幸な人の存在があってこそなんですよ。悪があるから善は存在できる。 惨めな人間がいるから人は幸せを感じることが出来る。 常に誰かがイケニエになっているんですよ 」
「だったら……私が人柱でもなんでもなってやる! 絶対……絶対こんなのはおかしいって気づくはず! 」
✕✕✕
一を犠牲に二十九を救う。
皮肉にも八重洲のやり方は見事に結果を出した。
クラスは見事にまとまり、互いに助け合い、いがみ合いもなく、まさに青春の象徴とも言えるような作品が出来上がった。
卒業アルバムを眺めながら振り返るはこの3年間。文化祭に体育祭、球技大会などたくさんのイベントがあった。私たちのクラスはどの行事も全力で取り組み、楽しんでいた。
でもそれは偽りのモノ。集団で作り上げた虚像。蜃気楼のように実態を持たず、けれど特定の条件下では目指することが出来る。
この教室という限定的な空間において、八重洲はすべてを掌握した。そして作り上げた。綺麗な青春の1ページという作品を。
出来栄えは最高。傍から見れば羨望の眼差しを向けざるを得ないだろう。
それでも私は知っている。仮面の内側は酷く汚れていることを。キレイなのは外だけということを。キレイだと信じ込まされていることを。
ひとりのイケニエによって完成した匣庭で、自らを狂人と認識し、認めることの出来る者はいない。この歪は外側にいる私にしか見えない。
あの日、真実は書き換えられた。