第一話 「クロニクル」
清々しい朝は新しい生活が始まる予感がする。
そう思った透はまず今日の授業に必要な教科書や
体操着、お気に入りの書きやすいシャーペン等が
ちゃんとスクールバッグに入っているか確認した。
それから制服に袖を通し、一階のリビングへ向かった。
「おはよう、透」
「おはよう。今日は苺ジャムの日なんだ」
父の飲むコーヒーの香りが一日の始まりを告げる。
青海家の朝は朝七時、リビングで食卓を囲み
テレビを見ながら談笑する事からスタートする。
「透、ネクタイ曲がってるわよ」
「あー…自分で直すよ」
しっかり者の母は透の言葉を無視して
手際良くネクタイを結び直した。
「お兄ちゃん格好悪い。高校生にもなってお母さんにお世話されてる」
「燈だってまだ一人で用意出来ないだろ」
もうすぐ学校へ出発しなければいけないのに、
妹の燈は未だ豚のアップリケが縫われたパジャマを着ている。
勿論、透の精一杯の皮肉だ。
「それにまだピカピカの一年生なんだ。中学までは学ランだったからネクタイなんて結んだ事なかったし」
「お母さん、お兄ちゃんが意地悪する」
「はいはい、さっさと食べてしまいなさい」
透と燈は母が父の食器を片付けている間に固くなった
トーストを急いで口に頬張る。耳で口内を
切りそうになったが牛乳でふやかして胃に流し込んだ。
「今日は桜が綺麗なんだってな。見ろ、京都はもう散り出しているぞ」
マイペースな父はテレビを見ながら
今年は遅咲きだった桜の情報を知りコーヒーを啜った。
「はいはい、あなたも会社に遅刻するわよ」
いつの間にかテーブルの上は綺麗に片付けられ
ここが定位置だと言わんばかりに母はテレビやDVDデッキの
リモコンを端に並べた。几帳面な母らしい置き方だ。
透と父は並べられた各々の靴を履き下足箱の
上にあるお弁当を取る。少し遅れて燈が
ドタバタと足音を鳴らし階段を駆け下りてきた。
「今日は燈が当番ね」
「えー、間に合わないからお母さんやっといて」
「あんたが欲しいって言ったから飼ったんでしょ」
築十年程の一軒家の外には父の乗る少し古いミニバンと
簡易式の犬小屋がある。犬小屋の中には青海家の家族、
柴犬の桜が嬉しそうに家族を見ていた。
桜は燈が中学校の入学祝いに飼ってくれと母に泣いて
頼んだ事により二年前から青海家にやってきた。
春に保健所で引き取ったから桜と命名された。
安直だ。
「さく、今日のご飯は特別美味しいから」
「いつも同じやつじゃないか」
父の冷静な突っ込みを無視して燈は桜のご飯を
犬小屋の前に置き、さらりと桜の頭を撫でた。
「じゃあ透、気をつけてな」
「うん、行ってきます」
こうして透の朝は始まる。
燈はちゃっかり父の車で送って貰う気で助手席に乗り込んでいた。
透の通う高校は自宅から徒歩二十分程で着く。
入学式から一週間が経ち、一年生達は少しずつ
新しい学生生活に慣れてきた様子で、何人かは校内に
設置された自販機でミルクティーを購入したり、
学校の向かい側にある長年学生に愛されてきた
パン屋でフルーツパンというパイ生地にホイップと
季節の果物が挟まれた物を購入して大階段と呼ばれる
校舎前の広場で始業のチャイムを待っていた。
「よう」
「おはよう、小林」
小林は透の中学からの友達だ。
小太りで流行り物が大好きな彼は高校デビューをするために
イケメン俳優と同じ茶色の髪に染めデジタルパーマと
呼ばれる毛先が彼方此方に遊び散らしたセットで
入学式を迎えたが、生活指導員に直ちに粛清された。
そんな彼は透と同じクラスで名簿順に並んだ
最初の席では透の隣に居座る事になった。
腐れ縁という奴だ。
「今日フルーツパン買ったから一緒に食おうぜ」
「ありがとう」
透はこのフルーツパンが好きだった。
入学式終了後、パン屋の存在を知ってから透と小林は
足繁く通い、一通りの商品を食べ尽くしていた。
惣菜に甘い物シリーズ、サンドイッチ等沢山の種類があり、
その中で一番美味しいのはフルーツパンという結論に
至ったのだ。無論、学校に通う大半の生徒も
同じ答えに辿り着く。
「揚げたてのカレーパンも美味しいんだけどなぁ」
「なかなかお目にかかれないよね。僕は諦めたよ」
二人が何気ない会話をしていると、突如
目の前に生まれたままの姿の男が現れた。
あまりにいきなりの出来事だったので
透は一口噛じっただけのパンをその場に落とし、
小林はミルクティーを口から噴き出した。
「お前、服を脱げ」
「俺ですか」
男は咽せている小林を睨みながら仁王立ちしていた。
多分、小太りの小林の制服ならそこそこ
この男の背丈に合うからだろうと透は推測していた。
筋肉質な男は見た所、百七十を越える背丈だった。
小柄な透からしたら彼は巨漢、いや悪漢に感じる存在だ。
そんな男がどうしてあられもない姿で目の前にいるのか。
透は、もしかしたらこの男は変態と呼ばれる類の
人間ではないだろうかと勘繰る。
「おいお前。もしかして今、俺の事を変態だと思わなかったか」
「違うんですか」透は思っていた事を口にしてしまった。
「そんな訳ないだろ。俺はあの忌々しい神谷に脱がされたんだよ」
女子生徒の悲鳴が広場に広がりだした。まともな思考が
出来なくなる程の耳に突き刺さる声だが
透の頭の中は入学式の事件でいっぱいだった。
無事に受験に合格した透と小林は入学式当日、
小林の家の前で待ち合わせた。
「小林、その髪はマズイよ」
「へへ、恰好いいだろ。流行りのデジタルパーマって奴だよ」
いや、髪型よりも髪色の方が問題だと透は思ったが
口を閉じた。今時高校デビューするのは構わないが
日本男児は総じて黒髪と決まっている。
それは学校という学びの場だけでなく就職する際にも
当然のルールであって茶髪など言語道断だ。
「大丈夫大丈夫。所詮学校なんてそんなもんよ。
ウチの兄貴だって金髪だぜ」
「小林のお兄さんは大学生だしバンドやってるからね…
でも高校生は皆黒髪だろ」
透の忠告を無視して「入学式に行かない方がマズイ」と
頑なな意志を持つ小林は、早速高校生活の洗礼を受ける事になった。
「おいお前、その髪は何だ」と見るからに不良生徒を
躾けるためだけに雇われただろう巨体の先生が唸る。
華々しい高校生活を始めたい小林は、校門前にて
生活指導員であろうジャージ姿の先生に髪を掴まれていた。
「先生、これは地毛なんです」小林の顔が痛みで歪む。
「おっそうか。なら事前に申請書を渡しているはずだが今日持ってきたのか」
言い訳が思い付かない小林は蛇に睨まれた蛙のように
縮こまってしまう。だが目だけは上手に泳いでいた。
その目はきっと華々しい高校生活の
スタート地点である校門の向こう側に
向けられているのであろう。
だがその淡い願いは先生によって打ち砕かれる羽目になる。
「小林、もう諦めてスプレーして貰えよ」
「やだ、俺はっ、今日からモテモテのイケてる高校生になるんだっ」
傍から見れば既にイケてない姿なのだが透はまた口を閉じる。
駄々を捏ねる小林は誰かに助けを求めようと辺りを
見渡し、同じ高校デビューであろう金髪の男を見つけてしまった。
「先生、あいつ。あいつも校則違反ですぜ。地毛が金髪の
日本人なんていないでしょ」
「お前は何て汚い男なんだ…だが確かにあの色は見逃せない。
おいそこのお前。お前もこっちに来い」
鍛え上げられた肉体から発せられる声はビリビリと
まだ少し冷たい空気を切り裂き何の関係もない透まで
畏まってしまった。だが金髪の男は物怖じもせず
「あ?めんどくせぇ」と愚痴りながら近付いてくる。
「何すか?」と男はポケットに手を突っ込みながら答える。




