最強の冒険者②
最初にその敵に気付いたのは、やはり『偵察』スキルを持つジョナサンだった。
「おい、モンスターがいるぞ。知らないモンスターだな」
偵察スキルの熟練度二〇〇ボーナスである千里眼で遠くにいるモンスターを察知したジョナサンだったが、その名前まではわからないようだった。
「どんなモンスターなんだ?」
「獣型だ。大きさは畑を荒らしに来てた猪くらい。足が異様に短いな」
俺もそんな特徴のモンスターは知らなかった。
本来であれば、知らないモンスターとの戦闘は御法度である。なにせ相手の討伐推奨レベルがわからないのだ。安全かどうか判断がつかない。
けれど、ジョナサンはあとたった三の経験値でレベルが上がるところまで来ていた。
「けどまだ森の浅い方だし、そんな強いモンスターじゃないよな?」
「行けるって。俺たち今日、まだ無傷だぜ?」
「やろうぜ」
「……よし、やるか」
全員の意志を確認し、これまでよりも念入りにステータスを確かめてから戦闘行動に移る。
そこから少し先に行くと、俺たちにも敵モンスターの姿がわかった。ジョナサンの言ったとおりの姿をしている。あの足の短さでは、獣型モンスターの厄介な俊敏な動きも、そこまで警戒するほとではないだろう。知らないだけで、恐らくは雑魚だ。
俺たちの内心の笑みが伝わったわけではないだろうが、獣型モンスターがこちらを振り向いた。
細い糸のような鋭い瞳がこちらを見つめる。
「やべぇ」
と、ジョナサンがつぶやいた。
『偵察』スキルの熟練度一〇〇ボーナスである、能力値感知に反応があったようだ。
この能力値感知、相手の能力値の中で一番高い能力値がどれかわかるという、低い熟練度で手に入る中では、かなり有用なボーナススキルである。最高能力値がわかるということは、つまり相手の傾向が分かるということだ。
そしてこの能力値感知で、多くの獣型が敏捷値の反応を示すのだが、
「あいつ魔力が能力の中で最高値だ!」
ジョナサンが叫んだ次の瞬間、獣型モンスターが雷の吐息を吐き出した。
「うわぁ!」
正面からまともに喰らったオルバが、悲鳴をあげてその場に倒れ伏した。
「オルバ! くそっ!」
「やめろカリュン!」
剣を手に敵モンスターに走り寄るカリュンだったが、相手の追撃の方が早かった。再び口から雷撃を放つモンスターに、カリュンは手から剣を取り落として地面に倒れ込んだ。
「くそっ! ジョナサン、オルバを頼む!」
「分かってる!」
俺はカリュンを助けるために走った。
まずは先にモンスターを倒すなんてことはしない。できない。
魔法を使うモンスターの推奨レベルは、最低でも二十を超える。俺たちではとても倒せない。カリュンの身体を抱きかかえると、全速力でモンスターから離脱する。
幸い、モンスターは逃げる俺たちを追いかけてはこなかった。まったく興味がないように、森の奥へと消えてしまう。
「思い出した。ありゃ、サンダーライガットだ」
オルバに肩を貸して持ち上げたジョナサンが、今更のようにあのモンスターの名前を思い出す。
サンダーライガット。その名前は俺もモンスター目録を見て覚えていた。
魔法を使う獣型モンスターで、その討伐推奨レベルは二十五。雷撃の威力こそ低いものの、人体には雷撃への耐性が基本的にはないため、すぐに昏倒してしまう。初撃の不意打ちで倒すか、あるいは気絶覚まし等の雷撃対策を必須とするモンスターだったはずだ。
「すぐに街に戻るぞ。幸い二人とも息はあるし、雷撃なら継続ダメージも入らない」
「ああ。けどオルバとカリュンを交換してくれ。俺の筋力値じゃあ、オルバを抱えて走るのはきつい」
「そうだな」
気絶したオルバとカリュンを入れ替えて、俺たちは街に戻るべく走り始めた。
手痛いしっぺ返しを喰らってしまったが、生きてさえいればなんとかなる。いつかあのサンダーライガットも、レベルを上げれば倒せるようになるだろう。この悔しさは、そのときに存分にぶつけてやろう。
そう、未来に向けて前向きに考えていた俺は、つまりまだまだ不特定狩猟クエストというものをなめていたのだろう。
「うがっ」
唐突に、ジョナサンが悲鳴をあげてその場に崩れ落ちた。
「ジョナサン!」
俺はジョナサンの足下にいるモンスターを確認して、オルバを放り出して慌てて槍を構えた。
紫色の水飴のようなドロドロとしたモンスター。間違いない、初心者殺しの異名も高いポイズンスライムである。
「このっ!」
槍の一刺しで、ポイズンスライムの核ごと身体を構成する液体を飛び散らせる。
ポイズンスライムの推奨レベルは十。耐久値が低く、攻撃を命中させればすぐに倒せる。だが初心者殺しとまで言われて恐れられているのは、気配が読みにくく、触れた相手に麻痺のバッドステータスを与えるからだった。
「大丈夫かジョナサン。待ってろ、すぐに麻痺直しを。たしか一個だけ持ってたはず」
「あ、ぁ、ラッ、う……」
「ジョナサン?」
ジョナサンが呂律の回らない声で、なにかを言おうとしていた。
「うひ……ろ」
「っ!」
慌てて背後を振り返り、槍の矛先を向ける。
視線の先にいたのは猿に似た大きなモンスターだった。エンプジン。討伐推奨レベルは十八。一対一でも勝ち目の薄い強敵が、三体も背後に忍び寄っていた。
さらにエンプジンの向こうには、金属の鎧と剣を装備した一際大きなエンプジンの姿があった。
「エンプジンジェネラル!」
その討伐推奨レベルは二十八。Cランクの冒険者でも、相手の装備次第では手こずることのある、今の俺たちには死神でしかないモンスターだった。
逃げるしかない。だが仲間たちは置いていけない。
槍を握る手が震えてしまうのが分かった。
だが俺が迷っているうちに、エンプジンたちは動き出した。視界の端でなにかが光る。反射的に身をよじると、どこからともなく放たれた矢がすぐ近くの木の幹に突き刺さっていた。目の前のエンプジンだけではない。弓を使うエンプジンアーチャーが潜んでいる。
それも一体ではない。矢は俺だけではなく、仲間たちに向かっても放たれていた。
「くそっ!」
気絶する二人に、麻痺で動けないジャナサンの背に、深々と矢が突き刺さっていた。
キャキャキャキャ、とエンプジンたちが笑い声をあげた。一際甲高い笑い声をあげて、エンプジンジェネラルが近付いてくる。その手に握った巨大な剣には、他のモンスターのものか、それとも人間のものか、赤黒い血痕が付着していた。
「う、ぁ……」
俺は恐怖のあまり、その場にへたりこんでしまった。
敵に囲まれた状況で、このレベル差である。勝てるはずがない。逃げることもできない。終わった。死ぬ。
どんな敵が現れるかわからない不特定狩猟クエストを舐めすぎたのだ。リカリアーナさんの忠告を無視した代償を、俺たちはこれから支払うことになる。
エンプジンジェネラルが剣を振りかぶる。
俺は呆然と目を見開いたまま、迫り来る刃を見つめて、
「させるか!」
誰かが俺を背中にかばって、エンプジンジェネラルの一撃を受け止めた。
金属鎧のひとつもつけていない背中。手入れのされていないボサボサの髪が目に入った。
「お前は、万年Eランク冒険者」
俺たちがこの場所に来ることになった、ある意味原因である、あの万年Eランク冒険者がそこにいた。
「なんでここに?」
「よう、リカさんに感謝しろよ。まさか本当に森に向かうとは思っていなかったので助けてあげてください、だとさ!」
ライさんと呼ばれていた冒険者は、エンプジンジェネラルの刃を力ずくではじき返した。
かと思えば、彼はなぜか剣を下ろしていた。
敵を前になにをしているのか。そう疑問に思った俺の顔を、そのとき強かな風が叩いた。エンプジンジェネラルの肩口から横腹にかけて赤い線が入り、その巨体が上下に分かれて地面に落ちるのを見て、ようやく俺は気付いた。
彼は剣を握る手を下ろしたのではない。目にもとまらない早さで剣を振るっていたのだ。
さらに彼の姿が霞のように消えたかと思うと、ほぼ同時に、六カ所の場所でつむじ風が吹き荒れた。
木々の合間にいたエンプジン三体、そして木の上に潜んでいたエンプジンアーチャー三体が、断末魔の声を上げることもなく絶命し、気がつけば地面の上に骸となって転がっていた。
「無事か?」
一瞬で六体のモンスターを倒した男はすぐ隣に立っていて、俺の顔を覗き込んでいた。さっきまで握っていた剣はすでに、腰の鞘の中に戻されている。
「…………」
俺はなんの答えも返せなかった。
近付いて斬った。彼がしたことはそれだけなのだろうが、それでも俺にはその動きの一切が見えなかった。一秒にも満たない刹那に、目の前の冒険者が繰り広げたであろう絶技の余韻を、俺は遅れて吹き荒れた風の音からしか拾えなかった。
「あ、あんた、Eランク冒険者じゃなかったのか?」
助けてくれたお礼より先に、俺の口はそう聞いていた。
彼は少しだけ不満げに眉をひそめる。
「何度も言ってるだろ。俺は万年Eランクの冒険者だよ。そんなに気になるんなら、ギルド証を見せてやるよ」
ほれ、と言って懐から取り出したギルド証には、たしかに目の前の男が最下層のEランク冒険者として登録されていた。
だがその強さは決してEランクのそれではない。俺ではとても推し量れるものではないが、少なくとも戦闘を見たことがあるBランク冒険者よりも、ずっと上であることくらいはわかる。
「よし、納得したならさっさと立ち上がって街に戻るぞ――って、おい。お前以外、全員大けがしてるじゃねえか!」
「そうだ! みんな!」
血相を変える男を見て、俺も仲間たちのことを思い出す。
慌てて立ち上がると、意識を失っていたジャナサンに駆け寄り、突き刺さった矢を抜こうとした。
「ダメだ。矢を抜くと傷口が広がって、かえって継続ダメージが大きくなる」
俺の手を、男がつかんで止める。
彼はジョナサンが意識を落とす前に開いていたステータス画面を見ていた。
「嘘……だろ」
俺もジョナサンのステータス画面を見て絶望した。
ジョナサンの体力値はすでに百を切っており、一秒ごとにその数字がひとつずつ減少していた。出血多量による継続ダメージ。このままでは命はない。それは同じタイミングで矢を受けた他の二人も同様だろう。
そしてここから街までの距離を計算すれば、とても治療が間に合わないことも悟ってしまった。
「そんな……ちくしょう! ちくしょう! ここで全部終わりなのかよ!」
「なに諦めてるんだよ。お前、このパーティーのリーダーなんだろ?」
その場に泣き崩れた俺を、男が強引に立ち上がらせる。
「急いで街に戻るぞ」
「無駄だよ。ステータス見れば、どうがんばっても間に合わないことくらいわかるだろ?」
「いいや、わからないね。俺はステータスが読めない人間なんだ」
まだステータス確認のできない小さな子供のようなことを言って、
「大体、目の前で傷ついてる人がいれば、間に合うかどうかステータスで確認する前に助けに向かう。そんなの、うちのチビたちにだって出来ることだ」
男はジョナサンたち三人を手早く止血すると、器用に肩の上に抱きかかえ、最後に俺に背中を向けた。
「全速力で走る。ここに一人置き去りにされたくないなら、しっかりと背中をつかんでろ」
「わ、わかった」
俺は頷いて、男の背中にしがみついた。
「行くぞ。舌を噛むなよ」
そう言うが早いか、男は風になって駆けた。
すさまじい風圧に離れそうになる手に力をこめて、必死になって男にしがみつき続ける。少しでも気を抜けばふるい落とされてしまいそうな猛スピードだ。
男は決して速度をゆるめることなく、木々の合間をすり抜けるようにして進んでいった。
速い。桁違いに速い。これなら間に合うかも知れない。
そう思った俺たちの前に、不特定狩猟クエストのさらなる脅威が牙を剥く。
巨大な昆虫型モンスターが、獣型モンスターが、次々と現れては進路上に立ちふさがった。
モンスターの中には、先ほどのエンプジンジェネラルを超える討伐推奨レベルのモンスターも混ざっていた。中でも銀色に輝く小さな虫型モンスターは、Aランク冒険者すら殺す森の暗殺者、討伐推奨レベル四十七のキラーヘラクロスだった。
「邪魔だ」
それを――彼は剣の一振りをもってすべて蹴散らしていく。
剣を握る男の手首の先が二重、三重にぶれたかと思えば、現れたモンスターは次々にまっぷたつになっていく。それはまさに閃光の絶技だった。キラーヘラクロスの小さくも鋼よりも遥かに硬い表皮すら、彼の斬撃の前には意味をなさない。他の有象無象もろとも死に絶えていく。
そして戦っている間も、男は一切、走る速度をゆるめることはなかった。
通り過ぎたあとの轍に無数の屍だけを築き上げ、男は流星のように突き進んでいく。
不思議な気分だった。
恐怖はもはやなく、不安ももう感じなかった。
男の背中越しに見える景色は、ただひたすらに輝いて見えた。もしも英雄の見る景色というものがあるのなら、それはきっとこの光景のことを言うのだろう。
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