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神様の逆鱗⑫



「終わりだ、メルフレイヤ」


 空から地面に落下してきたメルフレイヤの元に、ライさんが近付いて告げる。私もフィリーアの手を引いて、ゆっくりと近付いていった。


「終わり? なにが終わり、なのですか?」


 腕を震わせながら顔をあげたメルフレイヤは、ライさんに向かって微笑みかけた。


「わたしはまだ生きています。終わりではありません」


「もうお前に力なんて残っていないはずだ。諦めろ」


「諦めるなんてあり得ません。たしかに今は満足に動けません。これ以上、あなたと戦うことも叶わないでしょう。けれど、休めば回復します。そうすればまた、あなたと戦えます」


「……俺はもうお前とは戦わない」


「ふふっ、殿方をやる気にさせる方法ならたくさん知っていますよ」


 メルフレイヤの弱々しくも猛々しい視線が私を捉える。


「特にライ様、あなたであればいくらでも思いつきます」


「させないよ。リカさんは俺が守る」


 ライさんは私の身体を自分の背中の後ろに隠してくれる。


「もう誰にもこの人は傷つけさせない」


「そうですか。あなたがそうするというのなら、ええ、傷つけるのは難しいのでしょうね。けれど他の人は? あなたの大切な人は一人しかいないわけではなく、その全員を常に守り続けるのは、あなたでも不可能です」


「……………」


「ね? まだなにも終わってなんていません。わたしの中の炎がまだ燃えている。だから」


 殺しなさい。と、メルフレイヤは告げ、立ち上がって腕を広げた。


「それが唯一、大切な人たちを守る方法です。そうは思いませんか? ライ様」


 ライさんは一瞬迷う様子を見せる。


 メルフレイヤの言葉は正しい。『大導師』として絶大な権力を有する彼女が本気を出せば、ライさんの周りの人たちは常に命の危険にさらされることになる。そのすべてを一人で守ることはできない。


 見逃して後の脅威として残すか、あるいは相手の望みだと知りつつも殺して終わらせるか。


 つまるところメルフレイヤに目をつけられた時点で終わりなのだ。相手に殺されることが願いである彼女に対し、戦闘の勝敗は直接的には関係なく、どう転がっても最終的にメルフレイヤの望みは果たされる結果となる。


「さあ、ライ様。どうかわたしを」


「……リカさん。ごめん。やっぱりこいつだけは」


「ライさん。約束しましたよね。決してメルフレイヤは殺さないと」


 忸怩たる思いで再び拳を上げようとしたライさんを私は止めた。


「リカさん、けど!」


「大丈夫です」


 たしかにライさんではどう足掻いても、本当の意味でメルフレイヤに敗北は与えられない。いや、ライさんだけではなく、私でも、ようやく泣きやんだフィリーアでも、他の誰かでもそれは不可能だろう。


 彼女を不敗たらしめる、絶対的な自己肯定。

 それを否定できる人間はこの世のどこにも存在しない。


 ただ一人、彼女を除いて。


「ライさん。私たちにはもう一人、頼りになる仲間がいるでしょう? 彼女ならきっと、私たちにはできない本当の敗北をメルフレイヤに与えられます。いいえ、彼女にしかこれはできないことなのです」


 そしてメルフレイヤの愛を否定できる彼女は、必ずここにやってくる。


 私はそれを知っている。

 ライさんもそれを知っている。



「――待たせたわね!」


 

 フレミア・マルドゥナは、決して仲間を見捨てることなく助けに来る、と。


 戦場に響き渡る少女の声。振り返れば、山とつもった瓦礫の上に、ボロボロのマントを風になびかせ、ボロボロのとんがり帽子をかぶった、一人の幼い魔法使いの姿があった。


「『大導師』メルフレイヤ・クルーリオ! あたしの仲間を返しにもらいに来たわ! 観念なさい!」


 ビシッ、とメルフレイヤに向かって人差し指を突きつけるフレミアは、道中帝国の騎士と交戦でもしたのか、服装以上にボロボロになっていた。傷だらけの身体は今にも倒れそうで、けれど憤怒に燃える瞳は輝きを失っていない。


 私も、ライさんも、フレミアの登場にはそこまで驚いていなかった。仲間がさらわれたという状況である以上、彼女が帝都を目指して動いているのは予想がついていた。


 けれど、メルフレイヤだけはそうは思っていなかったらしい。


「フレミア・マルドゥナ? 馬鹿な。なぜあなたがここに?」


 この場の誰よりも驚いた表情で、メルフレイヤはフレミアを見る。


「あなたには釘を刺したはずです。帝都に来れば命はない、と。実際に痛い目にも遭わせました。であれば、マルドゥナであるあなたがここに来るはずがない。今頃、自分の命を優先して逃げていなければおかしい」


「なにを言ってるのよ! 大切な仲間をさらわれて、はいそうですかって逃げ帰るわけないじゃない!」


 フレミアは瓦礫の上から飛び降りると、私とライさんを見やる。


「……どうやら助けに来るのが遅かったみたい。それ事態はすごくすごく情けないことだけど、それでもメルフレイヤ! あなたには色々酷いことされたことへのお礼をきっちりさせてもらうんだから!」


「お礼? わたしと戦うというのですか?」


「そうよ!」


「殺されてしまう可能性の方が高いのに?」


「そうよ!」


 フレミアは即答する。震えながら啖呵を切る。


「あなたには勝てないでしょうけど、それとこれとは話が別なのよ! ここで引き下がったら、あたしはもう二度と二人の仲間なんて名乗れないし、なにより大切な仲間を傷つけられて、あたしはすっごく頭に来てるんだから!」


「仲間を傷つけられたから? だから、殺されるかも知れないのに戦うと?」


 メルフレイヤの目に動揺が浮かぶ。たとえライさんが相手だったとしても、これまで恐怖を顔に浮かべなかった彼女が、今、フレミアを前にして静かに後退っていた。


「そんなのはあり得ない。マルドゥナの悪運は死を許さない。それを超えて来るなんてあり得ない」


 首を横に振り、メルフレイヤは得体の知れない者の正体を確かめるように、フレミアに向かって手を伸ばした。


「あなたは一体誰ですか?」


 メルフレイヤは、その答えをステータスに求めて口にする。


「――神よ、汝の愛は本物かステータスオープン?」

 

 瞬間、フレミアのステータスが強引にこじ開けられた。



 フレミア・マルドゥナ

 レベル:35

 経験値:97455  次のレベルまで残り12006

【能力値】

 体力:798

 魔力:1443

 筋力:90

 耐久:91

 敏捷:88

 器用:143

 知力:299

【スキル】

 魔導師:B 熟練度390

 魔法を扱う才能。

 熟練度100ボーナス……魔力、知力のステータスUP小。

    200ボーナス……魔力の消費量減少

    300ボーナス……同一魔法連続使用時に詠唱破棄が可能。魔力消費は倍。


 火属性魔法:A 熟練度455

 火炎の魔法を扱える。


 地属性魔法:D 熟練度290

 大地の魔法を扱える。


 悪運:B 熟練度462

 死を回避する力。

 熟練度100ボーナス……戦闘時の幸運UP。金運DOWN。

    200ボーナス……戦闘時の幸運UP大。金運DOWN大。

    300ボーナス……戦闘時の幸運UP。恋愛運UP。

    400ボーナス……戦闘時の幸運UP大。恋愛運UP大。



 そのステータスを見て、果たしてメルフレイヤはなにを思ったのだろうか?


「…………あ、れ……?」


 首を傾げると、オープン、と震える声で自分のステータス画面を呼びだし、フレミアのそれと見比べる。


「あれ? あれ? あれ? なんで、それ、違う、だって、わたし、これ」


 何度も何度も見比べて、そのたびに表情から笑みが消えていく。


 それも無理はない。ステータスとは本人を映す鏡であり、自分のすべてがわかる魔法の画面だ。だからフレミアのステータスは彼女にとって猛毒となる。彼女を夢から覚ます、唯一の気つけ薬になり得るのだ。


 戦いの最中に垣間見たメルフレイヤの過去からわかったことがある。


 彼女はドラゴンに呪われた一族であるマルドゥナを軽蔑し、愛に生きると決めてその名を捨てた。自分はマルドゥナの呪いから解放されたのだと、そう彼女は誇っていた。


 けれどそれは違う。彼女は解放されてなんていない。


 自分のものだと彼女が信じ切っている死を求めるその願いは、見方を変えればドラゴンを捜索し、ドラゴンを倒すことのできる誰かを求めるマルドゥナの使命と同じものだ。


 なにより彼女のステータスと、超越者としての姿がドラゴンを模していたことがその証明だろう。


 強者よ。どうか、自分ドラゴンを殺して欲しい――そのためならばなんでもする。罪も罰も感じない。

 

 そしてその願いの源泉は、きっと彼女の血に潜む呪いなのだ。最後の瞬間、私はたしかに彼女の背後に潜む邪悪の存在を見咎めた。彼女は自分でも知らないうちに、その手先となって行動していたのだ。


 マルドゥナの使命に背を向けて逃げた果てに、誰よりもドラゴンの呪いに絡め取られた女……それが『大導師』メルフレイヤ・クルーリオの正体だ。


 同情はしよう。哀れみも覚えよう。


 けれど、たとえ自覚がなかったとしても、その行いは決して許されるものではない。罰を受けるべきだし、そしてそれを与えられるのは、彼女と同じ呪いをもって生まれ、けれど彼女とは違う結末に辿り着いたフレミアしかいない。


「なにこれ? ステータスが勝手に……でも関係ないわ。あたしのステータスに恥ずかしいところなんてなにひとつないもの!」


 フレミアは堂々と、おのがステータスを誇示するように胸を張る。


「あたしは偉大なる大魔法使いを祖母に持つ未来の大魔法使い、フレミア・マルドゥナ! 行くわよ、メルフレイヤ! マジックセレクト!」


 マジックウィンドウを開き、魔法使いとしての戦意を露わにしながら近付いてくるフレミアに対し、メルフレイヤは動くこともままならない。


「……知らない。わたし、そんなステータスは知らない。恋愛運上昇……マルドゥナが、そんな……だって、わたしは……わたしの選んだ道が、愛で……」


 過程がどうあれ、メルフレイヤが使命に背を向けて逃げた事実に変わりはなく。

 過程がどうあれ、フレミアが使命に立ち向かい、打ち破った事実は揺るがない。


 ステータスがその証明だ。フレミアは、メルフレイヤがなにより欲しかった愛を手に入れられることが約束されている。


 そしてそんなものにこだわることなく、自分の足で、自分の大切なもののために今走っているのだから。


 ――さあ、愛の女よ。夢から覚める時間がやってきた。

 ――あなたにとっての、どうしようもない現実を直視しろ。


「我が血よ燃え滾れ!」


 紡がれる詠唱。仲間を傷つけられた少女の、純粋な怒りが叫びとなる。


「我が魂の叫びを聞け!」


 疲れ果て、もう魔力があまり残っていないのか。それともこの瞬間は、この魔法こそが最良だと勘が囁いたのか、紡がれる魔法は今の彼女が使える最強の魔法ではなかった。


「この胸の情熱こそが真の炎なれば!」


 それは彼女にとっての始まりの魔法。自分を叫ぶための、炎の魔法。


 今ここに高らかに、フレミアは叫んだ。

 

「フレイム――ブレイクッ!!」 


 小さな、けれど本当の炎が、そのとき誰の目にもまばゆく燃え上がった。


 大地より噴き上がった炎が、うねりをあげてメルフレイヤに襲いかかる。その輝きを間近に見て、ああ、とメルフレイヤはなにかを思い出すように唇を震わせた。


「そうだ。わたしは、愛に生きると決めた。……好きな人ができて、その人と結ばれて、大切な名前をもらったの」


 彼女は微笑む。


「ああでも、今はもうあの人の顔が、声が、名前が思い出せない……大切だったのに……あの人のこと、愛していたのに……」


 それは狂気の滲む白痴の笑みではなく、大切なものを亡くしていたことにようやく気付いた、愚かな自分への自嘲だった。


「なんだ。わたし、この手にあった本当の愛を、とっくの昔に自分の手で捨てていたんですね……」


 メルフレイヤの頬を涙が伝った。


 直後、フレミアの炎が真正面から彼女の顔を殴りとばし、その心身を完膚無きまでに叩きのめす。


 狂気の時間は終わり、閉じこめられていた現実が戻ってくる。


 此処にようやく、一人の女は敗北を受け入れることができたのだった。






       ◇◆◇





「終わったな」


「はい、これで本当に終わりました」


 今度こそ気絶したメルフレイヤの最後の涙を見て、ライさんも私も、これで本当にメルフレイヤとの戦いが終わったことを理解した。


 マルドゥナの呪いから解放された者の本物のステータスを見て、メルフレイヤの絶対の自己認識も崩れ去ったことだろう。今ようやく、彼女は自分の中の愛の形に疑問を抱くことができた。この先どうなるかはわからないが、すぐまたライさんを襲ってくることはないだろう。


 すべてはフレミアのお陰だ。きっと、本人にその自覚はないだろうが。


 そしてそのフレミアはメルフレイヤの傍で何度か荒い息を零したあと、勢いよく私たちの方を振り返り、


「ライぃいいい! リカリアーナぁああああ! ごめんねぇええええええ!」


 ぶわっと大粒の涙を零して駆け寄ってくると、私の胸の中に飛び込んできた。


「無事だった? 酷いことされてない?」


「大丈夫です。私はご覧のとおりですから」


「すごく傷だらけじゃない! うぅうう、やっぱり酷いことされたんだ。あたしが、あたしがまた二人を巻き込んじゃったから!」


 えぐえぐと泣きじゃくりながら、何度もフレミアは謝ってくる。


 どうやら自分の都合に巻き込んでしまったことを謝りたいらしいが、発端はどうあれ、メルフレイヤの暴走は彼女の所為ではない。私もライさんもフレミアに怒ってなんていなかった。


 それを理解してもらうのにライさんと二人がかりで十分ほどかかり、ようやくフレミアは泣きやんでくれる。


「……迷惑かけたことに変わりはないし、あたし、反省するわ。すごくすごく反省するわ」


「いいんですよ、フレミア。私たちは仲間なんだから、お互い迷惑を掛けても」


「でもライがこんな姿になっちゃってるし」


「いや、これは別にフレミアが悪いんじゃなくて、俺が調子にのったのが悪いわけで」


「ううん、あたしがライならなんとかしてくれるって勝手に思いこんでたから。……そうよね。ライだって人間だもの。一時の気の迷いで、そんな大きな蜥蜴になっちゃうこともあるわよね!」


「と、蜥蜴って……これ、フレミアが探し求めてたドラゴンの姿だと思うんだけど」


「ドラゴン? ライの今の姿が? ……なんかイメージと違う。ドラゴンはもっと凶悪なイメージだったんだけど、ライのはなんか格好いいし可愛いわ!」


「そ、そう?」


 ライさんはちょっと嬉しそうだった。


「けどこの先、ずっとその姿だと色々困るわよね。買い物するのも一苦労だし、ご飯だってたくさん必要になるわよね。……うん、あたしが原因なんだし、全部あたしに任せて!」


 フレミアはぐっと拳を握ると、ライさんに向かって決意の眼差しを向ける。


「責任を取って、ライはあたしが養ってあげる! 悪運に負けないようにお金をがんばって稼ぐから、ライは家でぐーたらしてていいわよ! お父様がなりたがってた、ヒモって奴になっていいわ!」


「誰がなるか! この姿でも騎士になるのは諦めないから! ていうか、人間の姿にちゃんと戻れるし。……戻れるよな?」


 ライさんは自分の身体にペタペタと触ったあと、


「……あれ? これ、どうやって戻るんだ?」


 ちょっと涙目で私たちの方を見た。可愛い。


「そうですね。その方法を知っていそうなのは……」


 私はフィリーアを探して周囲を見回すが、いつの間にか彼女は姿を消していた。


「彼女はいませんか。となると」


 思いつく相手は一人しかいなかった。






       ◇◆◇






 メルフレイヤを見張るライさんたちと別れ、私は帝城まで戻ってくる。


 目的の人物はすぐに見つかった。


 フィリーアとリルファとの戦いで半壊した帝城の中、木々が茂る庭園の奥の人目のつかない場所で、人喰いは私のことを待っていた。


「やあ、リカリアーナ。元気そうだね」


「ええ、元気ですよ。人喰い。あなたは……」


 太い木の幹に背中を預ける彼の胸には、一本の矢が刺さっていた。傷の深さと流れ出る血の量からして致命傷だ。今から治療しても、とても間に合わない。


「君の幼なじみはすごかったよ。超越者である自分を一回とはいえ殺してみせたんだ。素晴らしい執念だね」


「そうですね。それだけ、タトリン村のみんなのことが大好きだったんでしょう」


「そうだろうね。ああ、安心するといい。君の幼なじみもしっかり生きてる。今頃は帝国の兵に回収して看病してもらっているだろうね。まあ、あの状態をどうやって看病する、というのはあるけれど」


「そうですか」


 リルファが生きていることに安堵する。彼女が人喰いを殺したことに、怒りなんて湧くわけがなかった。


 因果応報。人喰いの死は、彼のしてきた罪への罰なのだ。


 だから悲しくなんてないし、涙なんて絶対に流してやるものかと思う。


「それで、リカリアーナ。自分にまたなにか聞きたいことでもあるのかな? 見てのとおり時間がないから、早くしてくれると嬉しいんだが。まあ、ここで死んでも、自分の場合は星の狭間で意識が残り続けるわけだが、君はもうあの場所へは質問しに来られないだろうからね」


「……あなたは、どうして」


 声が震えそうになるのを堪えた結果、曖昧な問いかけしかできなかった。


 それに対し、人喰いはニヤニヤとした笑みで返す。


「どうして、か。それはどうして死ぬことがわかっているのに、フィリーア様を裏切ったかということかな? それは致し方ないことなんだよ。あの御方だけでは、自分の人喰いスキルを完全に封じることができていなかった。空腹が蘇ってきた以上、決別は必ず訪れる。早いか遅いかの問題なら、あのときでも構わないと思っただけさ」


「そうではなく、私……」


「君が? ああ、こっそり告白に誘導しようとしたことを言ってるのかな? 君が殺人鬼スキルを熟練度一〇〇にしてしまったことくらいすぐにわかったからね。その上で君が、王子様から離れるべきかどうかで悩んでいたこともね」


 人喰いは、やはり私の聞きたいことではないことを教え始める。


「自分としては、恋人でもなんでもないのに迷惑になるから身を引こうなんて、そんな考えはせめて告白してからにしてもらいたいと思っただけさ。それで振られたらきっぱりと身を引けばいいし、受け入れられたなら、そのときは二人で今後を相談すればいいんだから」


 そこで一度人喰いは言葉を切ると、安心したように笑った。


「それで告白の行方だけど、どうやら上手くいったようでなによりだ。……これならもう、心配はいらないね」


 まったく関係ないことに答えて、勝手に安心して、なんだか無性に腹が立つ。


 私はライさんを人間に戻す方法を聞きに来たのであって、あなたの話し相手になりにきたわけではないのに。


「……リカリアーナ。そういえば、君にひとつまだ言っていなかったことがあるんだ」


「なんですか?」


 あまりにも静かな声で人喰いが言うものだから、私は怒鳴りつけたいのを我慢して聞き返す。


「そうですね。最後の言葉なのですから、それくらいは聞いてあげますよ」


「ああ、君に聞いて欲しかったことがあるんだ。――自分は狼の塔で、君が絶望の中で死ぬ未来を視た」


 それは始まりの出来事。タトリン村で私にステータスを開ける方法を伝えた、あのときの切っ掛けの話だった。


「誰もいない暗い闇の中で、君は誰に看取られることもなく、一人寂しく死ぬんだ。そんな未来を唐突に視て、友人としてなにかをするべきだと思った。未来は変わる。未来は行動によって変わっていく。そうだと信じていたからね」


 なるほど。以前、未来は変わると言っていたが、あれはなにか確証あっての言葉ではなかったらしい。未来は絶対に変わらない。それはつまらないと、そう人喰い本人が思っていただけだったらしい。


「だから私にステータスを?」


「そうだね。そうすれば、少なくとも君が狼の塔に幽閉されることはないものと思った。まあ、未来に視た暗闇が狼の塔である可能性は低かったわけが、あのとき自分にできそうなことは、それくらいしかなかったからね」


 けれど結局、その選択によって変わったのは幽閉ではなく追放になったというだけ。私が咎持ちである事実がばれることに変わりはなく、人喰いの視た絶望の未来が訪れることにも変わりはなかった。


 闇の中で絶望を抱いて死ぬ……ああ、殺人鬼スキルの咎人にはふさわしい末路だ。きっと、数時間前の私ならそう思っていただろう。そうなるに違いないと、そう答えていただろう。


 けれど、今は違う。


「人喰い。私にそんな未来は訪れませんよ」


 殺人鬼として覚醒した事実に変わりはなく、この先どうなるかもわからないけれど、それだけははっきりと言えた。


「私、ライさんと一緒にいます。どうなろうと、私が一人で寂しく死ぬことはありません」


「……そうか。じゃあ、自分のしたことも無駄ではなかったということかな」


 狼の塔に囚われていたら、もしかしたら私はライさんに会えなかったかも知れない。そういう意味では、私は人喰いの選択に感謝するべきなのだろう。


「それにね、リカリアーナ。今は間違いなく、自分は未来が変わっていくものだと確信しているんだよ」


「私の死に様が変わったからですか?」


「それはまだわからないことだから、厳密には変わらないとは言い切れないね。そうではなく、すでに起こった結果の話さ。以前、君が王子様にキスされると言ったことを覚えているかい?」


「ああそうでしたちょっと頬を出しなさい殴るので」


「君にとどめを刺されるのは嫌だな。それと、嘘を吹き込んだわけでもない。少なくとも自分が視たのは、間違いなく君と王子様がキスをする場面だったよ。場所もタイミングも、今ならはっきりと断言できる。君たちがマルドゥナダンジョンに初めて訪れ、その門番を倒したあのときがそうだった」


 意味がわからなかった。あのとき私にキスしたのは……いや、あれはキスではない。キスではない。ないったらない。


「フレミア嬢に唇を奪われたのだろう?」


「……なぜ知っている、と聞くのは意味のないことなのでしょうね。あとあれはキスではありませんので」


「そんな怒らないでもいいだろう? 自分の視た未来を覆してあの未来を選択したのは、他でもなくリカリアーナ、君自身なのだからね」


「私が? ライさんではなくフレミアを選んだと?」


 それこそあり得ない話だ。フレミアには悪いが、私はライさん一筋である。


「そうではなく、結果論としてそうなったのは、君がフレミア嬢を助けたからなんだよ。少なくとも、自分が視た未来の場面に彼女はいなかった。そして、今回の戦いにも彼女は存在していなかった」


「それはどういう?」


「自分の視た未来では、フレミア・マルドゥナはとっくの昔に死んでいたということさ。……けれど、それは覆された。ダンジョンの奥へ向かおうとする彼女を、見捨てることなく君が引き留めたから彼女は生き残り、結果として、あのとき君の唇は彼女に奪われた」


 あのとき。


 あのとき私は、ダンジョンの奥へ向かおうとするフレミアを止めた。けれど、それは仲間として当然のことで、そんなことが未来が変わる切っ掛けになるなんて……。


「言っただろう? 未来はほんの小さな切っ掛けで変わる。今はそう確信している、とね」


 そう言って、人喰いは咳き込んだ。口元から、血が流れ落ちる。


「あのとき君がフレミア嬢を止めたから、君と王子様がキスする未来は変わってしまった。それ自体は君にとっては残念な結果だろう。けれど今回、フレミア嬢がいたから王子様がメルフレイヤ嬢を殺す未来は変えられた。彼女がいなければ、王子様はメルフレイヤ嬢を殺すしかなかった」


 それはそうかも知れない。フレミアがいなければ、ライさんは恐らくそうしていただろう。


「未来は変わるよ、リカリアーナ。小さな切っ掛けで未来は変えられる。決意することで、努力することで、愛することで、君は幸せになれるよ、リカリアーナ」


 それがきっと、人喰いが本当に言いたかった言葉なのだろう。


 その言葉を口にしたあと、人喰いはやり遂げた顔で目を瞑り、深く木へともたれかかった。


 もう時間はない。あと、ほんの少しだけしか。


「さて、それじゃあ肝心の、君が聞きたかった王子様を人間の姿に戻す方法だけど」


「それはもういいです」


 私は言った。


「色々と自分たちで考えて試してみます。だからそれよりも、こっちの質問に教えてください」


 幼い頃、狼の塔で私は一人の咎持ちに出会った。

 そのときの私はとても生意気な子供で、本当は最初にしなければならなかった質問をしなかった。


 だから今、遅まきながら私は尋ねた。


「あなたの名前を教えて下さい」


「……ああ、まったく」


 私のあまりにも愚かで賢い友達は、私のその問いかけに、私の知らない優しい微笑みを見せた。


「フィリーア様には感謝しないといけないね。空腹に苛まれない普通の日常というものを過ごさせてもらっただけではなく、こんな驚きも味合わせてくれるだなんて」


 まるで照れ隠しのようにそう言って、


「自分の名前はね――……」


 小さな声で、恥ずかしそうに本当の名前を教えてくれる。


 きっと私以外、誰も知らない本当の彼の名前だ。私も誰かに伝えるつもりはないし、なにかに刻むつもりはないから、一生私以外に知ることはない名前になるだろう。


 だから私は忘れないでいようと、そう素直に思えた。


 それくらいはきっと、この罪深い咎持ち相手でも、許されることだと思うから。


「ではね、リカリアーナ。自分の最初で最後のお友達。君たちのこれからの未来は、星の狭間にやってきた誰かに聞くとするよ」


「ええ。そうしてください。きっと、あるところに幸せエルフがいたと、そう教えてくれるでしょうから」


「ああ。それは、いいね……きっと……素敵な話に、なる……」


 それが彼の最後の言葉だった。

 口元に笑みを浮かべたまま、人喰いと呼ばれた咎持ちは星になった。


 彼の魂はあの星の狭間に至り、そこできっと、かつて夢見た満天の星空を静かに眺めるのだろう。


 お腹が空いたなぁ、とそんなことをつぶやきながら。






       ◇◆◇

 


 

 


 古い友人を一人看取ったあと、私は仲間の元へ戻ってきた。


「きゃー! ライ、すごいすごい!」


 メルフレイヤはまだ目を覚ましていないので、きっと暇だったのだろう。ライさんは背中にフレミアを乗せて空をぐるぐると飛んでいた。


 すぐ近くには冒険者たちと帝国騎士の姿も見える。子供と戯れるドラゴンを前にして、皆一様にどうしたらいいかわからない様子で、空を呆けた顔で見上げていた。


「あ、リカさん。お帰り」


 そんな周囲を余所に、ライさんははしゃぎすぎて目を回すフレミアを抱えたまま、地面に降りてきて出迎えてくれる。


 ドラゴンになっても変わらない、その温かな笑顔を見て。


「ライさん!」


 私は居ても立っても居られず、名前を呼んで走り寄り、思い切って抱きついた。


「り、リカさん!?」


 慌てた様子で私を見てくるライさん。その頬に両手で触れて、顔をゆっくりと近付けていく。


 ドキドキと胸は大きく高鳴っている。心は、明日への希望に満ちている。


 未来は変わる。そう彼は言った。

 私もそう思う。未来はきっと、変えられる。


 愛する人と一緒なら、絶対に。


 もう自分の未来に絶望はしない。

 ここからまた、夢見た幸せな未来へ向かって進んでいこう。


 その決意を形にするために、私は自分の本音を隠すことなく、もう一度心と体をぶつける。


「ライさん、大好きです。私と幸せになってください」












 初めてのキスは、とても幸せな味がした。






今回でエピソードは終了です。

よろしければ、感想・評価お待ちしております。


次回、主人格視点で、旅の目的地への再出発。仲間との別れと新しい仲間のお話。


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