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神様の逆鱗⑩



 しまった。間違えた。どうしよう?


 ライさんの絶叫に心身を揺さぶられながら、私は今自分がなにをしたのか、遅まきながら自覚する。


 愛していると。

 名前を下さいと。


 私はライさんに向かって、愛の告白をしたのだ。


 しかもあなたの名前を下さいというのは、相手に結婚を申し込むときによく使われる台詞だ。つまるところプロポーズである。逆プロポーズなのである。


 交際の申し込みを飛び越えて、私はなにを口走っているのか?

 殺人鬼になったと告白するつもりだったのに、なにを血迷っているのか?


 けれどいい訳をさせてもらうのなら、私はたしかに殺人鬼になったと告白するつもりだったのだ。ただ、最後の瞬間、前に人喰いに言われた言葉が脳裏を過ぎって、気が付けば愛の言葉を口にしていた。


 一番大事な人に一番怖いと想っていることを伝える――なるほど私にとって一番怖い告白とは、間違いなく愛の告白だ。なにせ自分の想いに気が付いてから五年間、今の関係を壊したくなくて、ずっと隠し通してきた想いなのである。


「り、リカさん!」


「ひゃい!」


 ライさんに名前を呼ばれ、半ば本気で昇天しかかってきた魂が戻ってくる。


 前を向くと、ライさんが慌てた様子で私を見ていた。その顔は依然としてドラゴンのものだったが、これまで全身を覆っていた影はなく、黒真珠のような艶のある鱗に覆われた素肌が露わになっていた。


 血のようだった赤い瞳もいつもの色合いに戻っていて、なにより慌てているのが一目見てわかるくらい表情と仕草が豊かだった。


「リカさん。そ、その、今のはあれだよな?」


 ライさんは落ち着きなくきょろきょろと首を動かし、照れたように頬をポリポリと掻いてから、まっすぐ私に向き直る。

 

「愛の告白、なんだよな?」


「……はい、そうです」


 その一言を絞り出すのに、残っていたすべての勇気を振り絞った。


 ここで否定をすれば、きっとライさんは勘違いだったのだと納得してくれるだろう。でもそれは嫌だった。予期せぬ告白だったけれど、それでも間違いなく私の心からの本音だったのだ。


「私はライさんを愛しています。もちろん、友人としてではなく一人の男性として。オルガスの名前が欲しいですし、できれば、その、子供も」


「子供!?」


 欲望が駄々漏れだった。建前さんは行方不明らしい。


 けれど、ここまで来ると逆に開き直ってくるというものだ。


「そうです。子供です。ダメでしょうか?」


「いや、ダメじゃないけど! もちろん、ダメじゃないけど!」


「けど、なんなのでしょう? 私のことは嫌いですか?」


「嫌いなわけあるか! もちろん大好きだよ! けど正直、いきなり過ぎるというか、リカさんが俺のことを好きだなんて考えたこともなかったし、そもそも今の俺に家庭を作る甲斐性なんてないしさ」


「では私は振られてしまうのでしょうか?」


「それはない! さっきの告白に対して、いいえって答えだけは絶対にない!」


「……よかった」


 拳を握って力説するライさん。


 私の告白を拒絶することだけはないと言ってもらえて、安堵のあまり腰が抜けてしまった。ぺたんとその場に座り込んでしまう。涙すら出てきてしまった。


「り、リカさん! 泣かないで! ハンカチ! ええっと、ハンカチ持ってたはずだから!」


 ライさんは自分の腰のあたりをまさぐってハンカチを探す。当然、ドラゴンになっているライさんはハンカチを取り出せないので、オロオロとその場で一回転したあと、ハンカチの代わりに自分の手を差し出して私の涙を拭った。


 鋭い爪の生えた指。けれど怖くはなかった。私の涙を拭おうとしてくれたその手は、間違いなく温かなライさんの手だった。


「リカさん。格好悪いことを承知でお願いしたい」


 ライさんは真剣な顔と声で言った。


「告白の返事、少しだけ待っててくれないか? 色々なことに片を付けて、必ず返事をするから」


「はい。待っています」


 私は頷いた。


「いつまででも、私はちゃんと私のままで待っていますから」


「ありがとう。けど、そんなに待たせるつもりはないから」


「いいんです。急過ぎたのはわかっていましたから」


 今はその言葉だけで本当に十分だった。この告白は突然のもので、これ以上はきっと今望んではいけないことなのだ。私のために怒ってドラゴンになってくれたこの人は、この状況下でもう少し私が強く訴えれば、きっと他に考えるべきすべてを置き去りにしてでも頷いてくれるだろうから。


 だから今はこれでいい。どこからかヘタレェというどこぞの人喰いの声が聞こえてきたような気がするが、うん、きっと気のせいに違いない。


 あとあの男、私が気が付かないうちに絶対にこの展開へ誘導しただろう。今度会ったら殺人鬼スキルと暗殺者スキルを併せ持つ咎持ちの恐ろしさを、骨の髄にまで味合わせてあげようと思う。


 それはそれとして。


「ライさん」


 私は両手で挟むようにライさんの手に触れる。


 お互いに見つめ合うこの状況、なんかすごくいい雰囲気だ。


 これは行けるのではないだろうか?

 なにとは言わないけれど、念願のあれ、今なら行けるのではないだろうか?


 ライさんが人間の姿じゃないのはこの際、些細な問題である。ライさんがライさんであることに変わりないし、よくよく見ると今の姿も格好いい。


 私はそっと目を瞑った。

 ライさんはびくんと身体を震わせ、驚きを表現するようにパタパタと翼を羽ばたかせる。


「リカさん」


 その上で私の名前を呼んでくれて、そっとその顔を――……。


 次の瞬間、空から降り注いだ光の槍に、私たちは揃って吹き飛ばされていた。


 ライさんが空中で私をキャッチしてくれたため事なきを得るが、今の衝撃で二人だけの世界から現実へと引き戻されてしまった。


 攻撃が飛んできた方を見上げれば、こちらをゴミみたいな目で見る青い瞳の聖女様の姿があった。


「え? 馬鹿なの? なんていうか、その、馬鹿なの?」


「「ごめんなさい」」


 私とライさんはそろって謝り、地面の上で正座をする。


 システィナさんは青筋を浮かべ、にっこりと微笑んだ。


「うん、別にわたしが口出すようなことではないけどね、ちょっと状況を考えましょうか?」


 そう、彼女の言うとおりだ。私は改めて状況を確認する。


「ライさん。もう正気に戻られていますよね?」


「大丈夫。それと我を失っていたときの記憶もちゃんとあるよ」


 ライさんは私に向かって頭を下げる。


「ごめん、リカさん。ずっと呼びかけてくれてたのに答えてあげられなかった。しかもそんな傷だらけにしちゃって……」


「気にしないでください」


 こんなの傷のうちに入らない。それに――。


「傷物にされた責任は、きちんと取ってくれますよね?」


「……ああ、もちろんだ! 俺も男だ。責任は取る!」


「じゃあ、あとは全部任せるわ」


 そう言ったのはシスティナさんだった。


 彼女は空からゆっくりと地上まで降りてくると、そのままその場に崩れ落ちた。


「システィナ!」


「システィナさん!」


 ライさんと一緒に駆け寄る。私が抱き起こすと、システィナさんは私の顔を見て弱々しい笑みを浮かべた。


「ごめんね。色々と話さないといけないことはあるんだけど、その余裕はなさそうだわ。今回はすごく頭に来たから、こうして奇跡的に表に出てこれたけど、もう限界みたい」


「大丈夫なんですか?」


「命はね。ただ、フィリーアの奴に戻っちゃうだけ。そしてたぶん、もう出て来られない。……あとの事情はフィリーアの奴に聞いて。今のあいつなら、きっと教えてくれるでしょうから」

 

 システィナさんは大事であろうことを口にする。ライさんではなく、私に向かって。


 なんとなく察することができた。きっと、彼女には多くの制約があるのだろう。これまで聞いた話から察するに、彼女はライさんと直接話すことができないのかも知れない。遠くから声を投げかけるだけが精一杯で、目と目をまともに合わせるもままならない。


 こんなにも近くにいるのに。


「システィナ」


 ライさんも同じことを察したのだろう。

 幼なじみの名前を呼んで、たった一言だけ、誓うように口にした。


「今度は俺の方から、本当のお前に会いに行くから」


「……馬鹿。わたしのことは忘れてって言ったのに」


 そう言いながら、私の腕の中でシスティナさんは微笑んだ。

 同性である私が思わず見惚れてしまうくらい、それは嬉しいという気持ちがまっすぐ伝わってくる微笑みだった。 


 けれど、その笑顔は儚く消えてしまった。


 青色の瞳が金色の瞳に。そしてその黄金の瞳から、彼女は涙を零した。


「……また、またシスティナが感じられなくなってしまいました」


 フィリーアが嘆く。


「やっと、やっとまた会えたと思ったのに……また一緒にいられると思ったのに……また、またどこかへ行ってしまった。わたしを置いて行ってしまったのです……!」


 私の胸に顔を押しつけ、子供みたいに泣き続けるフィリーア。


「約束するよ、システィナ。お前の真実に俺は必ず辿り着く」


 もう一度約束の言葉を交わし、ライさんは顔をあげて敵をにらみ据えた。


 ライさんが見つめる方角にいたのは、顔をうつむけ、肩を小刻みに震わせるメルフレイヤの姿があった。


「……メルフレイヤ」


 彼女の名前を呼ぶライさんの声には怒りがある。


「ライさん」


「大丈夫。大丈夫だよ、リカさん」


 ライさんは私を安心させるように笑いかけると、


「あいつはたしかに許せない。けどもう我を失ってリカさんを傷つけたりはしない。俺は俺のまま、あいつをぶっ潰す」


「殺してはいけませんよ」


 私はそれだけははっきりと告げた。


「……リカさん。あの女は」


「はい、もちろん許すべきではありませんし、色々と考えれば殺した方がいいのだとも思います」


 それでも。


「私の我が儘です。ライさんにだけは、あの人を殺して欲しくありません」


 もう二人があいし合う姿なんて見たくないのだ。


「お願いします。どうか」


「…………わかったよ」


 長い沈黙のあと、ライさんは怒りを飲み込んだ表情で頷いた。


「怒りでは戦わない。俺はリカさんを守るために戦おう」


 それならいいか? と、言わんばかりの顔で私を見る。


 私は笑顔で頷こうとして、


「――あなたにそれができますか?」


 深淵の底から響くような、冷たい声でメルフレイヤが言った。


「ライ様。愛しい御方。あなたにそれができますか?」


 彼女はゆっくりと立ち上がろうとしていた。


 その肩は今も震えている。クスクスクスクスと彼女は笑っている。


「感じます。あなたがわたしに向けてくださっていた殺意が消えました。怒りが小さくなりました。憎悪が薄くなりました。先程までは身近に感じていた愛が、死が、今はもうあんなにも遠くにある」


 笑っている。笑っている。メルフレイヤは心の底から笑っている。


 けれど、顔をあげた彼女の表情に笑みはない。喉を転がすようにクスクスと笑いながらも、その瞳の奥には悲しみと怒りが混ざり合った暗い感情が渦を巻いていた。


 背筋が冷たくなる。


 彼女に攫われてから今の今まで、一度も感じなかった恐怖を今の彼女からは感じる。メルフレイヤの意識はライさんだけではなく私にも向けられていて、そこにはたしかな殺意が込められていた。


「こんなことは初めての経験です。戦いの邪魔をされたことはこれまでもありましたが、まさか目の前で愛する人に告白されるだなんて。しかも半ば受け入れられて、二人だけの世界に連れて行かれて、わたしのことを完全に忘れて……不思議。とても不思議です。リカリアーナさん、わたし、あなたのことも好きになってしまったかも知れません」


 メルフレイヤは自分の頬をおさえ、だって、と続けて言った。


「ライ様に殺されるより前に、あなたを殺したくなってしまったんだもの」


 死の宣告と共に、巨大な炎が私に向かって放たれた。


「させるか!」


 ライさんが私を庇って前に出て、メルフレイヤの攻撃を炎の吐息で相殺する。


「ああ、よかった。ライ様。今も変わらず、わたしとあいし会ってくれるのですね!」


 戦意を見せたライさんに対し、メルフレイヤが顔に笑みを戻して歓喜する。


 対して、ライさんの顔は鋭く引き締められている。

 それは怒りを押さえ込んでいるのと同時に、警戒心の発露であった。


 私もこうして改めてメルフレイヤを観察してみてようやく気が付いた。獣のごとく戦っていたライさんもまた、今初めてその異常に気が付いたのだろう。


 即ち――メルフレイヤが無傷であるという事実に。


 服に乱れこそあるものの、身体に傷が見あたらない。あれだけライさんと激しい戦闘を繰り広げていたにも関わらず、かすり傷ひとつ負っていないのだ。


「どうしました? 来ないのですか?」


 隙だらけの構えで攻撃を誘うメルフレイヤに、ライさんは人間のような構えを取り、鋭く踏み込んで拳を見舞った。


 獣のように正面からではなく、フェイントを混ぜ込んだ人間の術理をもって、ライさんの拳は吸い込まれるようにしてメルフレイヤを撃ち貫いた。


 メルフレイヤの身体が宙を飛んでいき、ふわりと風をクッションにしたような動きで軽やかに着地を決めた。殴られたはずなのに、依然として無傷のままで。


「なんだ? 今、殴った感触がなかったぞ?」


 ライさんが困惑を口に出してつぶやくと、メルフレイヤは口元に手をあてて笑った。


「ふふっ、どうやら悪戯な風に助けられてしまったようですね。風に押され、自分でも気付かないうちに、あなた様の攻撃を受け流してしまっていたようです」


 つまりは攻撃の衝撃をすべて逃がしたというのか。それも偶然、吹いた風に押されて?


「馬鹿な。あり得ない」


「ええ、そうですね。奇跡のような出来事です。なので、もう一度試してみてはいかがですか?」


 そう言っておもむろに目を閉じるメルフレイヤに、ライさんは無言で距離を詰め、上から無慈悲な一撃を叩きつけた。衝撃で地面が吹き飛び、蜘蛛の巣状に地割れが起こる。


 人間なら挽肉にしてしまう威力の攻撃が直撃した。私はメルフレイヤの死を予感したが、彼女は生きていた。自分に当たることのなかったライさんの拳の上で、くるくるくるくると踊っている。


「ふざけるな!」


 明らかにこちらを舐めたような振る舞いに、ライさんが声を荒げて拳をさらに振るう。嵐のような連撃は、しかしメルフレイヤには当たらない。風に舞う木の葉のように、ひらひらひらひらと嵐に身を任せながら、すべての攻撃を回避している。


 それを見て、私は考え込む。


「相手の攻撃を回避するような防御系のスキル?」


 いや、あれはそんなものでは説明できない。


 そもそもメルフレイヤはライさんの攻撃を避ける姿勢を見せない。むしろ喜んで迎え入れようとしているようにすら見えた。


 それでも当たらない。当たれば勝負を決める一撃になることは間違いないのに、ただの一撃も命中しない。まるでメルフレイヤの周囲に見えない壁があって、それがライさんの攻撃を代わりに受け止めているかのように、攻撃が見当違いの方向へ流れていく。


「くっ! 攻撃が届かない!」


 人間のような動きで近距離戦を挑んでいたライさんだったが、ここで一度上空へ距離を取り、そこから眼下のメルフレイヤに向けて炎を吐いた。打撃が受け流されるなら、周囲すべてを焼却してしまえばいい。そんな攻撃だ。


「ダメですよ。そんな殺意のない攻撃では」


 だがメルフレイヤには通じなかった。やはり回避する素振りすら見せず突っ立ったままのメルフレイヤだったが、そのときあらぬ方向から大きな瓦礫が突然吹き飛んできて、偶然向かってくる炎の壁となって防ぎきったのだ。


「もらった!」


 それもライさんの作戦通り。炎で目隠しをしたところで神速の動きで近付き、ライさんはメルフレイヤの身体を手でつかみ取っていた。


 メルフレイヤの華奢な身体はライさんの大きな手の中にすっぽりとおさまり、顔だけが外に出ている状態になる。


「終わりだ、メルフレイヤ。降参しろ」


「終わり? どこかですか? わたしはまだ死んでいませんよ?」


 メルフレイヤは、頬をライさんの指に擦り寄せる。


「こんな動きを封じる程度の力では、わたしは殺せません。もっと強く、情熱的に握りつぶしていただかないと」


「……全身の骨は覚悟してもらおうか」


「まあ、怖い」


 言葉とは裏腹に微笑みを絶やさないメルフレイヤに、ライさんは仕方なく手に力をこめた。


 瞬間、晴天の空から落雷が落ちて、ライさんの脳天を貫いていた。


「がっ!」


「あらあら」


 不意の落雷はさすがのライさんでも耐えられなかった。手から力が抜け、メルフレイヤを手放してしまう。


「残念でしたね。やはりもっとわたしに対して怒り、殺すつもりでやらないとダメなのでは?」


 ライさんは頭を振って落雷のダメージを振り払うと、再びメルフレイヤに向かって手を伸ばした。


 空から落雷が降り注ぐ気配はない。どこからか瓦礫が飛んでくる気配もない。


 代わりに――空間そのものが歪んで、ライさんの腕をあらぬ方向へとねじ曲げてしまった。


「なっ!?」


「隙だらけですよ」


 謎の空間屈折に腕をへし折られたライさんの額を、メルフレイヤがからかうように人差し指で突いた。


「くそっ!」


 ライさんは何度も何度も攻撃をする。だがそのすべてが突然巻き起こった偶然によって防がれる。


 まるで世界が、神が、メルフレイヤを傷つけまいと守っているかのように、すべての攻撃が弾かれ流され届かない。避けることのできない必中の攻撃が繰り出されれば、攻撃を受けるその前に、再び落雷が落ちたり空間がねじ曲がったりして彼女を守り抜く。


「なんだ? お前はなにをしてるんだ?」


「なにも。ライ様、わたしはなにも特別なことはしていませんよ。ただ――」


 メルフレイヤはライさんの問いかけに答えた。


「ただ、運が良かった。それだけのことです」


 正気の顔で、狂ったような答えを。


「運がいい? それだけで片付けられるわけが……」


「ですが事実です。わたしは戦場においてとても運がいいのです。あらゆるすべてがこぞってわたしを傷つけまいと、いいえ、殺させまいと動いている」


 その事実に自分自身が呆れかえっているような素振りでメルフレイヤは首を横に振ると、


「勘違いなさらないでくださいまし。わたしは殺されたい。心の底から、あなた様に殺されたいと思っております。けれど、わたしのスキルがそれを許さないのです。悪意ある幸運が、わたしからあなた様の愛を遠ざけている」


 悪意ある幸運。その単語を聞いて、私は自分の予想が真実であると確信した。


 彼女を守る幸運の正体。それはリルファから教えてもらったメルフレイヤの謎のスキルの恩恵だ。


 その名は――


「悪運」


 私はライさんに伝えるべく、そのスキルの名を大きな声で口にした。


「ライさん。メルフレイヤのその異常な幸運の正体は、彼女の持つ悪運スキルによるものです」


「悪運? それってフレミアの」


「はい。フレミアたちマルドゥナの一族にしか発現しないレアスキルです」


「その悪運がどうしてメルフレイヤにあるんだ?」


「ライさんはご存じないと思いますが、メルフレイヤは一度結婚して姓を変えているのです」


「そう、マルドゥナはわたしの旧姓ですよ」


 私が秘密を暴いたからか、あるいは彼女にとっては隠すようなことでもないのか、メルフレイヤは首肯して認めた。


「メルフレイヤ・マルドゥナ。それがわたしの昔の名です。ちなみに説明しておきますと、フレミア・マルドゥナの祖母であるレアフレアはわたしの姉にあたります。つまりわたしはフレミア嬢の大叔母ということになりますね」


 つまり血縁だからこそ、メルフレイヤは確信をもってフレミアを後継者として指名したのだ。自分と同じ血とスキルを持つ彼女ならば、鍛えればいずれは自分のようになるだろうと。


 それが事の発端で、今となってはどうでもいい事柄だ。


 重要なのはメルフレイヤが悪運スキルという、こと生存にかけては右に出るもののないスキルを持っているということ。その死の回避能力はフレミアを見ていればよくわかる。その上、メルフレイヤの悪運スキルの恩恵はフレミアの比ではない。恐らくは熟練度が遥かに高いのだろう。


「わかりましたか? ライ様。わたしを傷つけることはとても難しいのです。ましてや殺すつもりがない。そんな心構えでは届くはずがない。もっと、もっと、もっともっともっと殺意を研ぎすまさないとわたしには勝てません」


 メルフレイヤは紅蓮の炎を呼び起こす。


 これまでの無防備さはライさんにもう一度、殺意を覚えてもらうための演出だった。そうしなければ勝てないと、守れないと、そう教えるために、彼女は自分から攻撃するのを控えていた。


 けれどもう終わり。本当の意味で、帝国最強の超越者が動き出す。


「それでもわたしを殺さないと言うのなら、ええ、どうぞ最後までリカリアーナさんを守りきってくださいまし。わたしもここからは全力で戦うといたしましょう」


 メルフレイヤの身体が、自らの呼びだした炎に包まれていく。


 さながら焼身自殺をしているかのように、けれど苦痛など感じさせない哄笑を彼女は響かせる。


「これを見せるのは、『大剣聖』をのぞけばあなた方が初めてです。それこそわたしですら見たことのない、本当のわたしの姿です」


 紅蓮の炎はより激しく、より巨大な炎になって膨れあがっていく。――否、炎がではない。炎に包まれたメルフレイヤの姿自身が大きくなっていっているのだ。


 彼女はライさんの巨体に匹敵するまで大きさを増し、鏡合わせのように姿を変えていく。首がのび、爪が生え、大きな翼が広がる。


 そして炎の中に、黄金に輝く怪しい双眸が煌めいた。


「わたしは炎。すべてを灼き尽くし、おのれも燃え尽きるまで消えることのない、愛の炎」


 炎の超越者が理想を謳う。おのが信仰を高らかに叫ぶ。


 そう、槍の超越者がそうだったように、メルフレイヤにもまた超越者モンスターとしての姿が存在するのだ。


「これが……メルフレイヤ・クルーリオ!」


 ライさんが瞠目して叫ぶ。メルフレイヤがマルドゥナだった事実よりも、その姿の方がライさんには驚きだったのだろう。


「そう、これがワタシ。炎となった、ワタシです」


 なぜなら、メルフレイヤの理想とする姿が、炎をまとったドラゴンの姿だったからだ。


「さあ、始めマしょう。愛しき強者よ。愛ニ生きた我が人生ノ終わりを。どちらかが死ぬマデ止まることのない殺し合いヲ」

 

 黒いドラゴンを見て、赤いドラゴンは願う。


「願ワクば――この愛ノ果てに、ワタシに死が訪れますようニ」


 ドラゴン同士の戦いが、此処に始まりを告げた。





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