超越者たちの帝国⑦
奇襲気味に仕掛けた一撃は、襲撃者の男に槍で受け止められてしまう。
「あぁああああアアア!!」
そこで攻撃の手をゆるめなかった。次から次へと休むことなく剣を叩き込んでいく。男が先程そうしたように、最初の勢いを殺すことなく連撃を浴びせていく。
彼が俺と違ったのは、なんの焦りも見せていないことだろう。冷静に俺の攻撃をすべて捌いている。その上で今は途切れたケーニッヒの矢にも気を配っていた。
この視野の広さと遊びのない冷静沈着な立ち回りこそが、この男の一番の脅威である。この男はきっと、いかなる状況でどんな相手であっても同じように戦えるのだろう。
対して、俺は自分にむらっ気があることを理解していた。
言うまでもなく、俺が一番得意としているのは対モンスター戦だ。これまで何百何千と狩ってきた。ことモンスターとの戦いならば、誰にも負けない自信がある。
一方で対人戦。モンスターとの戦いにばかり明け暮れていたため、俺は対人との戦いを苦手に――
「っ!?」
――しているわけがない!
俺の振るった剣の切っ先が男の肌を浅く裂く。わずかだがたしかに飛び散った鮮血に、男が目を剥いて驚いた。
だが驚くのはこれからだ。俺の攻撃が男の防御を抜いて、少しずつダメージを与えていく。
別に男の動きが悪くなったわけでも、俺の動きが速くなったわけでもない。むしろ傷を負っているだけ、こちらが不利になっているだろう。そして傷はこうしている今も増え続けている。俺が防御を無視して攻撃に全力を注いでいるためだ。
俺の対人戦の経験の半分以上は、圧倒的に劣勢な状況で、いかに格上の相手を倒せるかという戦いに終始している。
相手の動きに癖はないか。相手の立ち振る舞いに隙はないか。そういう相手の弱点を探ることから始まり、それが無理だと判断すれば、こちらの攻撃がどうやれば当てられるかを考え出す。攻撃がすべて防御されてしまうなら、選択肢に自分への被弾も考慮に入れる。
傷を負ってでも、負ける前に相手を倒す――俺はそういう捨て身の戦いこそを得意としているのだ。
そうしなれば、生まれながらにとびきりの才能を持っていた幼なじみには勝てなかった。努力をもって才能を凌駕するための、システィナに怒られ泣かれた幼い俺の戦い方だった。
そして今の状況もまた、あのニルドに挑んでいた日々と同じ。
相手は強い。純粋な身体能力はともかく、戦士としての技量は今の俺よりも高みにある。それをまずは認めて、その上で超えると誓う。
俺は負けない。絶対に負けない。たとえ何度途中で土を舐めさせられても、
「最後は必ず俺が勝つッ!」
男が突き出した槍に、傷を負った脇腹を擦らせるようにして鋭く踏み込む。
べったりとついた血が、良い感じに俺の身体を男の懐の内へと滑り込ませ――
一閃。たしかな手応えをもって、刃が男を切り裂いた。
だが致命傷にはわずかに浅い。予想していたよりも、男の攻撃による衝撃で踏み込みが浅くなってしまった。そして脇腹の傷は、いよいよまずい段階まで悪化していた。追撃のために振るった刃が遅くなり、男に後退を許してしまう。
「……………」
男は槍を構えたまま、自分の身体を見下ろした。
肩口から脇腹にかけてを大きく切り裂かれ、身体の前面からは血があふれ出している。これまで俺が追ったダメージの対価としては、十分なダメージを返したはずだ。ましてや相手は老年に達しつつある年齢、ことタフネスで言えば俺の方が上のはず。
痛みは無視する。貫かれた側の足の動きがだいぶ鈍いが、片足が役に立たない状況で戦った経験は百ではきかない。行けるさ。行けるとも。
俺は諦めない。
「――は」
そのとき俺の姿を見て男はなにを思ったか。
「はははははははッ!」
突然、大きく口を開け、顔を歪ませるようにして笑い出した。
「はははは! なんとまさか! まさか我が傷を負わされるとは!」
男は自分の傷口をひっかくようにしてなぞると、指先についた赤い血を太陽にかざして眩しそうに目を細めた。
「見よ! 血だ! 我が血だ! 見るのは一体何年ぶりだ! しかも、おお! 超越してもなお、血は赤いままなのだな!」
これまでの口数の少なさが嘘だったように、饒舌にしゃべり出す男。その姿は隙だらけであり、けれど攻撃を仕掛けるには危険すぎる狂気を感じさせた。傷を負わせたことが、男の中のなにかを呼び覚ましてしまったらしい。
男が俺を見る。その瞳はもう有象無象を見るものではなかった。
敵意があり、憎悪があり、そして敬意があった。
「軽んじていたことを詫びよう。決して我は手加減していなかったというのに、まんまと傷を負わせられてしまった。汝は強き戦士である。まさに我が全力をぶつけるに値する好敵手である!」
「傷つけられたっていうのに、ずいぶんと嬉しそうに言うんだな?」
「無論、屈辱である。だが、我はこれを望んで大いなる霊山より下りてきたのだ。この身が老いて完全に力を失う前に、我が全力をぶつけることができる好敵手と戦うこと。それこそが我が唯一の望みである」
「じゃあなんだ? あんたはフローレンス皇女を狙ってやってきた、帝国の反抗勢力の人間じゃないのか?」
「否、我の今の立場は汝の言う帝国の反抗勢力の一員である。だがその思想に賛同したわけではない。国の趨勢など我が身にとってはどうでもよいこと。手を貸したのは一重に、この地にいる紫の髪をした雌以外を皆殺しにすれば、かの『大導師』と死合う場を提供すると奴らが約束したからに過ぎん」
それは事実なのだろう。でなければ、こうも易々と目的をばらすはずがない。
おおよそ見当がついていたが、この男の正体は世捨て人。人生のすべてを鍛錬に費やし、人知れず超越者となった達人なのである。
「強い奴と戦いたい、か。気持ちはわからないでもないけど、そのために関係ない人まで殺そうって言う考えには共感できないな」
「たしかに、生きるために必要な数以上の殺生は本来望むところではない」
男は槍を構える。
「しかし我は此度、あらゆる禁を犯してでも我欲を貫くと決めたのだ。敵意を向けぬ食えぬ肉の生き物だろうとも殺すことに躊躇はない」
「……そうか」
肉、肉か。この男にとっては、きっと人間も動物もさしたる違いはないのだろう。恐らくは『強さ』こそが唯一の物差しであり、それ以外はすべて有象無象の命のひとつに過ぎないのだ。
フローレンス皇女の言葉を思い出す。
超越に必要なのは狂気である。ならばきっと、彼はこれだけの強さを手に入れる過程に、多くのものを削ぎ落としてきたのだろう。そうして生まれ落ちたのが武の結晶たるこの超越者。そして残った最後の人間としての望みが、きっと自分の力を試すことなのだ。
言葉を交わすことに意味はなかった。どんな言葉を尽くしても、きっとこの男は止まらない。分かり合えない。
「もはや『大導師』のこともどうでもいい。我はここに好敵手を得た」
最初の目的すら捨て去って、男は俺だけを見つめている。戦意はより高まっていき、槍の矛先が絶対の殺意を纏っていく。
「さあ、死合うぞ。我の槍の冴えだけを目に焼き付けて、天に瞬く星になるがよい!」
男が狂笑を顔に貼り付けて向かってくる。
俺はそれを迎え撃つ。薙ぎ払いに合わせて剣をぶつけ、
「ぐっ!」
攻撃を押し返されそうになる。
これまで弾き返すことができていた一撃が、ギリギリ逸らすので手一杯なまでに威力を高めていた。
傷の影響じゃない。俺ではなく、男側の変化によるものだ。
「ははは! 血が滾る! 高揚する! 全力で戦うことの、なんと心地の良いことか!」
好敵手として俺を認めたからだろうか。明らかに男の槍は鋭さ重さ共に先程までよりも上がっていた。いや、これは感情でどうこうなるレベルを超えている。もっと別の力が働いているとしか思えない身体能力の上昇だった。
そしてそれは目に見える形で現れていく。
「人との関わりを自ら断ち、山中奥深くにてただ槍の業のみを突き詰めた六十年! こんな法悦は知らなかった! おお、身体が軽い! 身体が軽いぞ!」
「なっ!?」
戦いながら男の身体が変化していく。皺が刻まれた肌が瑞々しさと取り戻し、筋肉が張りを強めていく。
「嘘だろ!? 若返ってる!?」
「然り。我は真理に辿り着いた。はははっ! 老いさらばえる前に戦いを、とはなんと愚かな考えだったのだ!」
人間である以上はどれだけレベルを上げても避けきれない『老化』と言う名の状態異常。能力値にマイナス補正のかかるその状態異常は、しかし彼ないし彼女らにはあてはまらない。
「それは人間の理! 人間を超えた我にはあてはまらぬ! 老いなど知らぬ! 寿命など知らぬ! ステータスによる縛りなど――我は知らぬわ!」
一撃を繰り出すごとに全盛期の身体へと近付きながら、本来人にとって最重要であるステータスを笑い飛ばして男の槍は加速していく。
「そうだ。我はようやく気が付いた。槍士スキルがAランクからSランクに変わったことなど、そんなものは数値的な変化に過ぎなかったのだ。人を超えるということはそういうことではない! それだけに収まらぬ! はははっ! 爽快だ! まるで生まれたときよりずっと縛られていたものから解放されたようだ!」
このとき外見以上に、男の中でどんな変化が起きていたのかはわからない。だが恐らくは、俺の想像もできない劇的な変化が起きていたのだろう。男の瞳から理性が消え失せていき、代わりに狂気の熱を帯びていく。
俺はこのとき初めて、人が本当の意味で超越する瞬間というのも目の当たりにしたのだった。
「もっとだ! もっと我は強くなる! そのためならば――人間を辞めることに恐れなどない!」
「っ!?」
突き出された槍を受け流すのと同時に、突然あらぬ方向から放たれた槍の一撃に、俺は次の瞬間剣を三度砕き折られた。
あり得ないはずの攻撃の正体はすぐにわかった。
ゆるゆると両手に握った槍を戻しながら、男は両手で頭の上で槍をグルグルと回転させていた。
二本に増えた槍。そして――
「腕が四本!?」
男の腕の数が四本へと増えていた。肩の付け根部分が不自然に盛り上がり、そこからもう一本ずつ右手と左手が生えている。その異形の腕が握る槍は、まるで臓器で作り上げたかのような赤黒い槍だった。
「我は槍。敵を貫き滅ぼす無双の槍であり、すべてに矛先を突き立てる無限の槍である」
名乗りを上げるようにそう謳いながら、四本の腕、二振りの槍をもって攻め立ててくる男。俺は最後の剣を手にとって迎え撃つ。
だが業の冴えはそのままに、倍に増えた敵の攻撃を前に瞬く間に追い詰められていく。
「ケーニッヒ」
そのとき甘く囁くようなフローレンス皇女の声がした。
直後、山合いからケーニッヒによる再びの援護射撃が放たれる。このままでは俺の敗北は必死と判断したのか、俺を巻き込むことを躊躇しない天を覆うほど矢が流星のように流れ落ちてくる。
「邪魔だ」
先程までは効果のあった矢による攻撃は、しかし今の男にはなんの効果もなかった。
男は俺に二振りの槍を向けたまま、さらに新たな腕と槍を作り出し、それをもってケーニッヒの矢を撃ち落としていく。
「愚か者め。死ぬがよい」
それどころか右腕がもう一本生みだされ、握った槍をケーニッヒの潜む山めがけて投擲する。ケーニッヒの矢よりも速く槍は空中を切り裂き、山の斜面に着弾して山肌を深くえぐった。
さらに際限なく赤黒い槍を肉体から取り出しては、連続で投げ入れていく。ケーニッヒも槍で矢による連射の真似事をされるとは思っていなかっただろう。まさかの反撃に、援護射撃はすぐに止んでしまった。
そしてケーニッヒを追い散らす間も、男による俺への攻撃が休まることはなかった。俺を見つつケーニッヒに対処するため、その顔に本来の目とは別に複眼が現れ、ぎょろぎょろと周囲を見回している。
……なんだこれは?
目の前で一人の人間が加速度的に人間ではなくなっていく様を見て、俺は恐怖しか覚えなかった。
一体なにが起こっているのかが理解できない。この戦いを見ている他の人も同様だった。あちこちから恐怖に駆られたつんざくような悲鳴があがる。
「くそっ! こいつは一体なんなんだ!?」
「ライ・オルガス様。動揺することはありません」
それでも必死になって戦う俺の耳に、再びフローレンス皇女の声が届いた。
「『大導師』様から聞いたことがあります。スキルの熟練度を一〇〇〇まで上げ、ステータス上でランクの変化を起こしただけの人間は、超越した気になっているだけのただの人間であり、これこそが本当の超越であると」
「本当の超越? こんなものがか!?」
「ええ、そうです。『大導師』様曰く、超越とはこれ即ち人間のモンスター化のことである、と」
「人間の、モンスター化……?」
「厳密には違うのかも知れません。けれど、起こった変化を説明するのにこれ以上にふさわしい言葉はありません」
それは信じがたい言葉だった。けれど目の前の男を見れば、否定できない事実であった。たしかに男の今の姿は、人間によく似たモンスターと呼んだ方が正しい姿である。
「本来、人間という生き物はステータス画面の中にある強さしか持ち得ません。けれど、真なる超越者はステータスの枠組みを超えた力を獲得します。スキルの恩恵によって自らの肉体を成長させるのではなく、スキルそのものを進化させ、自分の肉体ごと変貌させる」
「おお、もっと。もっと力を。槍を。槍を操る腕を。強くなるために!」
男はいよいよ最後に残っていた人間としたの要素すら手放そうとしていた。
俺への攻撃を取りやめ、天へと手を伸ばすように掲げる。その腕は無限に増殖していき、身体のあらゆる場所から生え始め、ついには新たに生えた腕からすら別の腕が生えていく。
そしてその手には半ば腕と融合するように、鼓動する肉の槍が握られていた。
腕、そして槍、それが歪に組み合わさった今の姿は、さながら山に根を下ろす大樹のようだった。生命を感じさせる葉の茂った大樹ではなく、死を連想させる枯れた大樹である。
フローレンス皇女もこの異形の姿をどこからか見ているのか、ほぅ、と感心するようなつぶやきをもらした。
「その姿は願いや信仰が形になったもの。彼の場合、それは槍士スキルなのでしょう。無数の槍を生みだし、そしてそれを操るための無数の腕。それが彼が槍士スキルに本当に求めていたものなのでしょう」
「これが……超越者なのか?」
「ええ、そうです。別に彼が特別などではありません。今、超越者として名を轟かされている者すべてが経験してきた超越化の正しき姿です」
そう言われて思い出すのは、かつて戦った人喰いの姿。彼もまた得体の知れない、星を信仰する食欲の怪物へと変貌してみせた。その能力もまた、人間離れしたものだった。人を超え、人を辞め、モンスターの側に立っていた。
理解を超えて納得する。超越者とはこういうもの。モンスターのごとき異形の姿と力を得た人在らざる怪物なのだ。
なら聖女として超越化したシスティナも?
そして俺ももし超越しているのなら……。
「さあ、ライ・オルガス様。どうしますか?」
ひとつの可能性が頭を過ぎるが、フローレンス皇女の声で我を取り戻す。
「わたしの見立てでは、そう遠くないうちに彼は『大導師』様や『大剣聖』様と同じ領域へと上り詰めるでしょう。そうなれば、今のあなたでは敵わないかも知れません。それでも、戦いますか?」
「もちろんだ」
剣を構える。相手がどんな姿になろうとも、勝ち目が薄くとも、倒すと決めたことは変わらない。
俺は諦めない。強い相手だからこそ挑むのだ。
「そうですか。先程の苦言を撤回しましょう。あなたは勇ましく、雄々しく、とても素敵な――殿方ですわ」
ぞくりと背筋が震えた。それはいよいよ動き出した槍の超越者の圧を感じ取ったからか。それとも……。
「ではそんなあなた様にせめてもの助言を。いずれ本当の超越者たちの仲間入りをするその怪物は、けれど今はまだ辿り着いていない。それどころか新しい力に酔いに酔って自分を見失っている。倒すのならば、今が唯一の好機です」
フローレンス皇女の言葉は正しく思えた。同時に、ふと疑問に思う。
なぜ彼女はこうも冷静なのだろうか?
一体どれだけの距離が空いたどんな場所からこの戦いを見守っているかは、容易に振り向けない今わからないが、俺ですら恐怖を覚えるこの人外の狂気を前にして、なぜ彼女だけは他の人たちのように恐慌に駆られることなく平然としているのか? まして、解説する余裕すらあるのだろうか?
たとえ一国の皇女だとしても……そんなことがまだ幼さを残す少女に可能なのだろうか?
「さあ、どうかこの胸を焦がす熱き戦いを。あなた様の本当の力を、どうかこのわたしに見せてくださいましね」
その疑問を深く考える暇もなく、俺は槍の超越者と決着をつけるべく最後の戦いを始めるのだった。