さらばケモナー
「と。ということで僕達二人は転生してしまったわけだが」
高校生の友坂彰は服についた、土埃を軽く両手で払って、隣で泥塗れの顔を必死で拭う、医達千に話しかけた。彰と千は親友で同級生だ。
千は自分の置かれた境遇にいたく不満なご様子で、しかめっ面で、彰に視線をやる。適応力、順応力、果ては諦めの良さでは、彰の方が大いに優れているようである。
眉をしかめ、やや仏頂面の千は彰を、少し問い咎めるように口を開く。
「お前のせいだかんな! 彰。お前が柵のないビルの屋上で、押し合いなんてするから!」
「転落死しちゃった」
「軽く言うな! ド阿呆!」
一しきり、千から罵声を浴びたのち彰は、一通り状況を把握しようとする。彼は目の前に広がる、薄らと緑色に染まる草原を見渡して、口元に手をやる。空はどこまでも澄みきり、その瑞々しい空気は、彰と千の鼻孔を心地よくくすぐる。
「これは俗にいう『異世界』という奴ではないかい? 聞いたところによると、異世界に転生した人間には、ハーレム作ったり、最強伝説作ったりして、果ては魔王を打倒したり出来る特権があるはずなんだが。だがしかし!」
さすが相性抜群、以心伝心の彰と千。千がその言葉を合いの手で受け継ぐ。
「何も気配がないな。一切。それらしきものが。人けもほとんどないし。奴隷市場とか村人Aとか出てくる気配もない」
「そう。それに、何やら、契約して、時に手助けしてくれる神様らしきものにも、僕達は会わなかった」
いい加減、この漠然として、無目的な感覚のあるシチュエーションに、千は痺れを切らしたのか、両手を広げて天を仰ぐ。
「彰! どうすりゃいいんだ! 俺達は! 食料もなけりゃ、水もない。この世界の通貨ももちろん持ち合わせてない! このままじゃ餓死で二度目の転生決定だぞ!」
「二度目があればね」
「冷静に言うなし!」
彰の平然とした受け答えに千は、地団駄を踏んで苛立つ。感情を精一杯、思いっきり露わにして、その短く刈った髪をクシャクシャにする千とは対照的に、彰は遠方に目を送る。
するとそこには、頭部は蛇であり、身体は龍の姿をした「蛇竜」とでも言うべき、おぞましい化け物、モンスターが、少女に今にも襲い掛かろうとしているのが見えた。
「こ、これは!」
そう口にして、一先ずは淡々と事実を受け入れていく彰よりも、闘争心旺盛、血気盛んな千の方が激しく反応する。
「おおおいぃいいぃ! あの少女はもしかすると案の定、体よく、どこかのお姫様か、女王様かもしれないぞ! 彼女を助ければ、あわよくば!」
ややフライング気味の解釈をする千よりも、やはり彰は冷静だ。今にも蛇竜に襲われようとしている少女の容貌を、しっかりと確かめる。
「どこかの王女様。にしては彼女、頭にケモノ耳がついてるぞ。おまけに臀部には尻尾らしきものがついてるし」
「んなの関係ねぇよ! とにかくあの娘はどこかしかの国の王女様、プリンセスに違いない! 彼女を助ければ俺達の旅路、冒険が始まること請け合い! それにウハウハな報酬も期待出来候!」
短絡的に、前のめりに気分を高揚させる千とは裏腹に、長いサラリとした髪の毛を掻き上げる彰が、千に尋ねる。
「で、どうするよ?」
「『で』って何が。助けるに決まってんだろうよ! あの娘を」
「そう言えば千。お前ケモナーでもあったからな」
「うるさいな! こんな時に俺の趣味嗜好、性癖なんて関係なし!」
騒ぎ立てる千を見て、彰は今一度確認するように、両手を広げて、千に問う。
「助けるのは、というか助けたいのは山々だし、大いに結構だけど、どうやって『あいつ』を倒す? あの巨大な蛇とも龍ともつかない化け物さんを」
「そりゃ、一気呵成で素手で! ってわけにはいかないな。と。そうだ!」
そう言うが早いが、千は閃いたのか、自分の手にしていたバッグから、掌大の大きさのナイフを二つ取り出す。
「このナイフで何とかやってみよう! 目指すはハーレ、いや俺つえええ! の最強伝説!」
「そうそう。千。お前、サバイバル生活に憧れてたから、ナイフを持ち歩いてたんだったな」
「そう! その通り! さぁやるぞ!? やらないのか!? やるんだな!? 彰」
「もちろんやるつもりだが! 甚だ心もとないな」
そう口にすれど、彰もモタモタする男でもない。彰と千は二人して、ナイフを手に握ると、蛇竜に近づき、足を伸ばしていく。猫耳、尻尾の少女と言えば、臆して動けないというほどでもないが、体のバランスを失っている。彰と千の二人は蛇竜に立ち向かうべくして、ナイフを大きく振り上げる。
だがしかし、その次の瞬間、身を守るのが限界、何も抵抗出来ないと思っていた猫耳、尻尾の少女が何やら呪文を唱え始める。
「マンジュシャガ、マンジュシャガ、曼荼羅決済、分割NO、NO一括払い。お支払いはいつもニコニコ現金で!」
『何だ!?』
そう口にして、顔を見合わせる、彰と千を置き去りにして、猫耳少女を呪文を唱え終えたらしい。掌に巨大な光の波動を作りだすと、蛇竜目掛けて放射した。
ズババババッ! ズバーン!
物凄い轟音、地響きを立てる、うねりのような音を立てて、少女の放った波動は、蛇竜を一撃で撃退してしまった。驚き、呆れ果てるのは当然、彰と千の方。二人はしっかりと構えたはずのナイフを、ダラリと降ろすと、少女が駆け寄ってくるのを目にする。
猫耳、尻尾ありの少女は礼儀正しく、慌ただしい様子でお辞儀をして、二人に感謝の言葉を伝える。
「どこのどなたか存じませんが、助けていただいてありがとうございました! お二方の援護がなければ私は、自分を奮い立たせることもなく……!」
「いや、僕らは何もしてないんだが」
そう言ってある意味、キョトンとする彰を置き去りに、千は早速というか、「我意を得たり」といった様子で猫耳の女の子、猫耳少女に話しかける。
「ねぇねぇ。君、どこかの国の王女様か何か? だとしたらその国は猫耳っ子で溢れてる、とか? 当然俺達にも報酬あるよね? 何かハーレムでも築く機会、チャンスをと!」
そう一気に畳みかけられて、猫耳少女は困り気味だ。モフモフとした尻尾を少し手で触りながら応える。
「たしかに私はケモノ人の国『ようこそケモナーさん』の国の王女、プリンセスです。だけど私にはお二方にしてあげられることありません。というより数少ないと思われます」
「でしょうねぇ」
淡々と彰は応じる。だがそれに納得出来ず、煮え切らないのは千の方だ。千はまたしても地団駄を踏み、猫耳少女に、言い方は悪いが、詰め寄ってみせる。
「でもさぁ。俺達二人が君を助けたのは確かなんだし、何がしかのお礼はあって、然るべきかと!」
「お礼、お礼。そうですね。はい! あります! 私は『ようこそケモナーさん』の王女でありながら、「偉大」と呼称されるほどの魔法使いでもあるのです! 私に出来ることと言えば、お二人をこの異世界から元の世界へ戻すくらいしか……」
「だぁー! つまんないな! 『ようこそケモナーさん』なんて名前の国なら、ケモナーを歓待、持て成すくらいのことは出来るでしょうに!」
「焦るな。千」
余りの千の取り乱し振りに、彰がちょいと釘を刺す。それで千も少しは冷静になったのか、じっくりと猫耳少女、いや、今や彰と千の間で、「猫耳姫」にランクアップした彼女の回答を待つことにする。猫耳姫は自分の名を「クリアント」だと、自己紹介すると考え、考え、やはりというより、仕方なくか妥協案を出してくる。
「えっと、実はですね。私達の国『ようこそケモナーさん』では、異種間の、あの、何て言えばいいのかっ、交わり。いえ、はっきり言いますね! 姦淫は許されていないのです。だから、あの、お二人のお名前は……」
「千です!」
「彰です」
「そうですか。千さんと彰さんのご要望に、お応え出来るものは何もないかと。せめて出来るとすれば宿を用意し、整え、この世界の通貨を、僅かながらもお渡しすることくらいかと」
と。ここまで話が進み、いつも冷静な彰が肝心なことをクリアントに訊く。
「ところでクリアント様。一国の主ともあろう方が、こんな危険とも言える草原地帯で、一人っきり何をなさってたんです?」
その質問に大切なことを思い出したのか、クリアントは右拳で左掌を軽くポンッと叩く。
「ああ、そうでした! 忘れてましたわ。ありがとうございます。彰さん。私はですね。貿易交渉のために戦隊に守られつつ、隣国アリゾナンテへ向かっていたところでしたの。ですが!」
『が?』
彰と千は声を揃える。それとタイミングを合わせるように、クリアントは、笑顔で相槌を打つ。
「ですが! 戦隊は無法者集団『貧民窟』の方々にメッタメッタにやられてしまいまして。こうして、一人逃亡をはかっていたということです」
「なるほど。で、その貧民窟の連中はどこにいらっしゃるんです? もしかするとまだ近辺にいるとか?」
するとクリアントは健気で、無邪気、屈託のない笑顔を浮かべて、彰と千の後方を指さす。
「ほら、あちらの方にいらっしゃいますわ。今にも私達に襲い掛かろうとして」
二人が振り向くと、貧民窟団の団長と思しき、ガタイの大きな、それでいて屈強な男が、荒れくれもの達を率いて、こちらに向かってくるのが見える。それを、おいそれと目に留めたクリアントは、微笑ましげに二人に告げる。
「ねっ。だから獣人と愛の交わりをだなんて、ある意味、不健康なことは考えず、私の魔法で現実世界へ戻られた方がいいかと」
「だがしかし、クリアント姫様。あなたはどうするんです? あの頑強な男達を相手に一人で闘えますか?」
「えぇ。それは充分に。先程もご覧になったように私一人だけなら、身を守るための魔力、魔術力は充分に兼ね備えておりますわ。むしろ心配なのはお二方の身の危険。と、いうことで!」
その言葉でクリアントの言外の意味を汲み取ったのか、彰は、いささか納得の行かない様子の千を宥めて、説得する。
「というわけで、千。短かったが、ここで異世界での僕達の冒険も終わり。現実世界での楽しい学園生活が待ってるぞ、と」
そう言われて収まらないが、同意せざるを得ない千は、一つため息をつく。
「折角異世界に転生したんだったら、『いい思い』の一つや二つは経験したかったなぁ」
「まぁ、そう言うな。現実世界に生きて帰れて、なおかつ体も無傷なんて、こんなに嬉しいことはないぞ」
「それもそうだな。じゃあそこそこに頑張るか。目指せリア充」
その決意、前向きな言葉をしっかりと汲み取った彰は、クリアントに、現実世界に帰してくれるように、頼み込む。貧民窟の軍勢は今にも、三人のもとへ到達しようとしている。クリアントは、彰と千の両手を握ると、何やらまた呪文を唱える。
「マンジュシャガ、マンジュシャガ、曼荼羅、まんだらけ、お家にいらない本やCDがおありになったらぜひ当店へ。全国区展開のTSUTAYAには向かわぬよう! では!」
そうクリアントが呪文を唱え終えた瞬間、彰と千を大きな光が包み込む。ひと時の官能、心地よさが二人を襲う。そして気が付くと、彰と千の二人は、千の自宅の、千の自室に戻っていた。千は額の汗を、右手の甲で拭う。
「ふぅー。これでやっとというか、ようやくにして、現実世界に帰還と相成りましたか」
「そうだな」
相も変わらず淡々とした様子の彰を前に、さすがの千は苛立たしさ爆発だ。左掌を胸元に翳す。
「あのなぁ。彰。もうちっと感情表現しろよ。曲がりなりにも、曲がりなりにもだよ? 一度は木っ端みじんに死んじゃった俺達二人が、無傷で現実に戻れたんだ。もっと派手に喜ぼうぜ!」
すると彰は何を思ったのか、もとい何を目にして察したのか、千の背後を指さす。
「それより千。後ろ」
「後ろ? 後ろに何があるんだよ?」
そう言って、千が訝しげに視線を後ろに送ると、そこには山のような「ケモナー愛着本」を抱えた、千の母親が立っていた。戦々恐々、畏怖した面持ちの千は、みるみる内に動揺する。
「げ! げげん! 母ちゃん! それにその本は! わ、わ、わ、私の!」
「千ー。あんた学校に着ていく服がないとか言って、親からお金をせびっては、こんな本買ってたんだね。道理で服装にバリエーションが少なかったわけだ。いいかい? 今夜はみっちりとあんたを説教させてもらうよ」
「ひ、ひえぇえええーー! それだけはご勘弁を! 数々のフェチ、エロティシズム、ここに謝罪いたしまする!」
その様相を黙々と見つめていた彰に、千はたまらず、思わず、救い、助けを求める。
「な、なぁ! 彰! こういう時、お前だったらどうする!? どうしたらこの窮地を乗り切れる!?」
「そうだな。とりあえずは『ケモナー決別宣言』でもするかなぁ」
口元に手をあてがい、助け船を出した彰に、千は乗り込んだ。千は次いで大声でこう叫ぶのだった。
「これから私医達千は『ケモナー』と決別致します! 来たれノーマルな性癖!」
「言うことはそれだけかい? 千。とりあえずは折檻だよ!」
「ひぇええぇええ! それだけはお許しを!」
と、いうことで友坂彰と医達千の極短い、短い、異世界冒険譚は終わりを告げたのだった。最後、千のかような雄叫びを残して。
「さらば! さらば! ケモナーよ!!!」




