インサイド・デザイア
親愛なる、フォロワーの皆様。
そして、匿名情報の時代を生きる、全ての人々にこの物語を捧げます。
[えー、オフ会ー?? なんかあんまり気乗りしないー(*´д`*)]
そう返信を済ませると、僕はスマホをベッドに放って椅子の背もたれに寄りかかった。
ため息を1つ。
「……参ったな…………」
最初の一言で、違和感を抱いた人も少なくないだろう。
僕は、千葉県の片田舎に住む現役バリバリの男子高校生だ。学校では「空気みたいだけどたまにはっちゃけて壊れる人」という、何だかよくわからないキャラで通っている。顔は中の上レベルにとどまってるし、勉強も趣味もスポーツもそこそこ、好きなのは絵を描くことだけ。自分で言うのもなんだけど、地味だ。
その僕が、ツイッターに向かうときだけは
[その日私都合悪いから、パスしようかなっ♪~( ̄ε ̄)]
な訳で。
早い話が、女子高生のフリをしているんだ。
オフ会なんて、とんでもない。行ったら最後、自分の性別は完璧にバレる。男子高校生がJKのフリしてツイッターやってたなんて発覚したら、どうなることだろう。そう思うと、泣く泣く断るしかないんだ。
[いーじゃんー! 日曜日くらい遊べばー(笑)]
ほとんど瞬間的に返ってきたその応えを、僕は虚ろな目で眺める。断る理由、断る理由……。
[でも、試験前だし……]
[試験前に勉強すんの!? 偉っ! あたしは全然しないなーwwwww]
自慢しちゃダメでしょ、それ。
[私いちおう勉強は頑張る事にしてるから]
……送信ボタンを押す手が少し、震える。
ほんとにこれ、女の子の会話っぽく見えてるのだろうか。不自然じゃないかな。少し不安な気持ちを抱きながら、結局僕はそうリプした。
◆ ◆ ◆
相手は、7歳年上の社会人。僕みたいに性別を偽っているのでなければ、間違いなく本物の女性だ。垢の名前は、「黒崎奏」という。
かくいう僕の名前は「紺屋歩絵」。口に出すのは、ちょっと恥ずかしい。
浦安市に住んでいる彼女が、千葉県に住んでいるツイッターの絵描き仲間でのオフ会を思い付いたのは昨日の事だ。落書き程度ではあっても絵を描いていたお陰で彼女と随分仲のよかった僕は、彼女のツイートを見る限りどうやら真っ先に誘われたようだった。
そしてもう一人、真っ先に誘われてる人がいる。
四街道市に住んでいるんだったかな、彼の名前は「旗野大介」さんだ。
れっきとした、男子高校生。しかも学年は同じ。おまけに僕が「女」だから、会話も自然と恋人同士のようになってくる。僕は、複雑な心境だけれど。
[歩絵、オフ会行く?]
DMが来た。
[悩み中……あんまり行きたいとは思わないかもヽ(´ー`)ノ]
[俺もかな正直。。。待ち合わせんの船橋だろ?野田に住んでる歩絵なら近くて便利かもしれないけど]
[セブンイレブンw]
いけない、話題が逸れる。
[野田だってちっとも近くないよー。確かに乗り換えは少ないけど(ドヤ]
[ドヤ顔やめろしwww]
他愛のない会話が、だらだらと続く。ツイッターを初めてようやっと半年、この雰囲気にも馴れてきた自分がいる。
[……でも、いっつも黒崎さんの誘い断ってばっかりなんだよな]
大介が、そう返してくる。
いいじゃんか、お前は。性別を偽ってる僕に比べれば。
内心毒づいた、僕がいた。
──楽しいかな。
今。
ふと、そんな思いが脳裏ならぬ画面を過る。
性別を偽ってることを隠してまで、あの人たちと仲良くする意味。
ないんじゃない?
初めから、偽る必要なんかなかったんじゃない?
時々、悩むんだ。
[やっぱり、行こーかな?]
指が、スマホの画面の上を舞う。
[大丈夫なのかよ、試験]
[うん、大丈夫! 何とかするwwwwwwwwww]
ふうっ。
僕は、長い息を吐き出した。
──そうだ、これでいいんだよ。オフ会に誘ってもらえる機会なんて、そうそうないかもだし。偽の性別で通ってるユーザーさんだって、ツイッターには五万といる。別に僕一人が特別でも何でもない。ちょっと、恥ずかしい思いをするだけだ。
固めた決意が融解する前に、黒崎さんにリプする。
[私、やっぱり行きますー! 場所教えてください!]
黒崎さんのアイコンの少女が、ちょっと笑いかけてきたような気がした。
[おk! 歩絵っち野田だよね! 東武野田線で船橋まで来たら、南口のフェイスっていうビルの一階のカフェに来てくれる?o(^o^)o]
[分かりましたー!w]
……僕はまた独り、ため息をついた。
「w」って、軽いな。
そう、思った。
◆ ◆ ◆
とは言え、後悔ってのは必ずやって来るもので。
どんよりとした気分で、僕は日曜日を迎えた。家を離れたくない、電車に乗りたくない、この駅を過ぎたくない、あの駅を過ぎたくない。あれこれ悩んでいるうちに東武野田線の電車は下総の野原を駆け抜け、船橋市内に入ってしまった。
もう、腹を括ろう。
窓越しに広がる青空を見上げ、僕は拳を握った。
大袈裟だなんて笑わないでほしい。これが今の、僕の限界なんだ。
船橋駅についた。県下でも指折りのターミナルには、日曜日の今日も沢山の人々が往来している。通行人全てに見られている気がして、僕は足早に駅ビルを抜けた。目指すフェイスというビルは、デッキを挟んで駅舎の反対側にある。
高くて目立つその建物が、オーバーにも今は魔窟に見えた。
どん。
誰かに、ぶつかった。
「……あ、ごめんなさいっ……!」
反射的に僕は謝っ
──いや、違う。今のは相手の、
「大丈夫ですかっ? 怪我とか……」
ぶつかってきた、高校生くらいの女の子のセリフだった。
「あ、ああ僕こそごめんなさい……大丈夫です別に怪我なんかしてませんから」
大声で返しながら、自分を呪う。おい、何テンパってんだ自分……。相手が女の子だからって。
「とっとにかく、大丈夫なんでっ!」
言い捨てながら、僕は目のやり場を探した。目的地の看板が、背後に見えた。
あれか。
僕はさっさと歩き出す。照れ混じりの早歩きなのは……内緒だ。
……彼女もついてきた。
「あ、あれ? あなたも?」
驚いて聞き返すと、彼女は頷く。「あのカフェですよね? 私も、あそこです」
なんだ、目的地一緒だったのかよ。何だか危機感にも似た安心感が押し寄せてきたが、
僕は顔を引き締める。
ここが正念場だぞ、自分!
見事に客の少ないカフェだった。
時間帯も時間帯なのだろうけれど、駅前一等地のカフェが日曜日の朝にこれってどうなのよ?って思ったくらいだ。つまり何が言いたいかというと、
僕は瞬時に見つかったのである。
「あ、おーい!こっちこっちー!」
おしゃれな格好のお姉さんが、手を振っている。その口調で分かった。あれが、黒崎さんか。
綺麗な人……。
「なにそんなとこで突っ立ってんのよー! 二人とも、こっち来なよ!」
二人とも?
まさか。
こんな状況でまさかも何もないけど、僕は思わず振り向いた。
当たり前だ、そこにはさっきの女の子しかいない。
絶句した。こんな可愛い子、僕のフォロワーにはいなかったはずなのに。「桜華」さん? 「まこ」さん? いやいや違う。二人は確か社会人のはず……。
とにかく、僕は顔を伏せ気味に席に向かって歩き出した。
意外だった。
ここまで来てしまうと、もう緊張も無くなっちゃうんだ。
みんなを騙していた事への背徳心は、消えないけど。
「……ども」
優しく笑いかける黒崎さんを前に、僕はぼそっと言った。
言ってから、猛烈に自分を殴りたくなった。
バカ! 僕のバカ! 第一印象悪くしてどーすんd──
「ようこそ、紺屋歩絵さん♪」
凍りついた。
液体窒素でも完全には固まらない人間の身体は、しかし他人の言葉では固まる。
崩れぬ黒崎さんの笑みを前に、凍りついてなければ僕は今にも崩れ落ちそうだった。
知ってたのか。
僕が、嘘をついてたこと。
演じていただけだったこと──
「それに、旗野大介さん♪」
首だけ冷凍が溶けた。
振り返った。
「……んで、それを…………」
あの女の子は、消え入りそうな声でそう言った。
「んーだって、二人ともツイートしてる時の会話になんか違和感感じてたもんー」
黒崎さんの隣の人が、笑ってその問いに応えた。「あ、私が桜華ー! よろしくねー」
「そーそー、なんかちょっと無理にしゃべってる感があったからねー。あ、俺海女猫でーす」
横の男の人が、また笑う。何も言えないでいる僕らに、最後に黒崎さんは微笑んだ。
「ま、安心したよ! 思ったよりずーっと、二人ともいい顔してて!」
……これが画面上なら、最後に「w」がつくんだろうな。
「……すみませんでした」
席についてまず、僕は掠れた声で謝った。
正直、ドキドキしていた。だってすぐ横に、女の子――大介さんが座っているから。
今なら、あの日のDMの意味が分かる。彼女も性別を隠していたのだから、来るのを嫌がって当然だろう。
「なんで謝るの?」きょとんとして聞き返してくる、黒崎さん。
「そ、その……みなさんを騙してたこと……」
黒崎さんは鼻で笑った。「なんだ、それであんなに緊張してたの? そんな事してる人、そこら中にいるじゃん。別に謝る必要も、弁解する必要もないよ」
「俺だってほら、名前が「海女」じゃん? 最初は勘違いする奴が多くってさあ」
海女猫さんの笑みが、眩しい。「いっそ、女に転向しようとも思ったよ。歩絵さんみたいにさ」
僕は、何も言えなくなった。
「大介さんも、そんな感じだったの?」一頻り笑ったあと、海女猫さんは僕の隣の子にも語りかける。「最初は勘違いだったとか……」
「……いえ」
大介さんの声は、俯いていたせいかくぐもってよく聞こえなかった。「……最初は、ほんのちょっと試してみようかなって……。女子高生が男の演技したら、どのくらいまで出来るのかなって……最初のきっかけは、そんなものだったんです」
そっか、と呟いた桜華さんは、僕に向き直る。「歩絵さんはー?」
……僕は、どうだったんだろう。
なんで、こんなことを始めたんだろう。
確か、
「……僕、学校ではすごい地味なんです」
乾ききった口が、動く。
「キャラも立ってないし、友達も少ないし」
微かに、横の子が頷くのが感じられた。
「……いつも、みんなの顔色をうかがってる自分が、時々すごく嫌になるんです。どっかで、思いっきりはっちゃけたかった。でも、素の自分を受け入れてもらえるなんて思えなかったんですよ……」
声が、震えた。
「……だから、いっそ匿名だってことを利用して性別を偽ってやろうと思ったんです。女子高生って名乗ってたほうがフォロワーも増えると思ったし、人気だって出るし。実際、初めて見れば目論見通りでした。みなさんみたいな、オフ会に誘ってくれるような友達もできました。……でも、でも……」
結局、それは僕がみんなを、信じられなかったって事だ。
思い込んでいたんだ。
「……私も」
振り向いた拍子に、何かが零れた。
「私も、みんなにあんまり好かれなくって……」
大介さんは堪えてもいなかった。その赤らんだ頬には、すでに涙の通り道が何本もできている。
「……だから、新しい自分を始めたくて、新しい居場所を作りたくってっ……!!」
あふれ出る何かを必死に腕で拭いながら、僕は自分の膝を見つめ続けた。
同じ気持ちを抱えていたのだと、やっと気が付いた。
僕たちは、寂しかったんだ。
でも、現実の自分の世界じゃ、泣きたくても、泣けないんだ……。
「……ふふ」
黒崎さんは、そんな僕らを見て、笑った。
それでも、笑った。
「SNS始める人って、そういうきっかけがすごく多いんだよね。別に二人が特別でもなんでもないし、自己嫌悪に陥りたくなるのもわかるよ。でも、ひとつ覚えておいてほしいな」
そこまで言うと、黒崎さんは少し笑みを和らげた。
「自分に、周りに正直に生きる必要なんて、ないんだよ。周りに合わせる努力だって必要だけど、新しい世界に飛び込む勇気だって大事なものだから。性別も年齢も何もかも隠して友達を作れるのが、現代人の特権なんだから」
「そーそー」と、海女猫さん。「オトナになってみると、人付き合いの大変さを実感させられる。君たちはまだ高校生なんだろー? 今はまだ、失敗とか経験を重ねて、上手い人付き合いの方法を見つける時期さ。何だってやってみればいいんだよ。たかだか性別偽ってたくらいで、大人は腹を立てたりしないさ」
「むしろ羨ましいくらいよねー。SNSなんて私たちの頃にはあんまり種類も機能もなかったしー。子供のころに出会ってれば、人生もっといい方向に変わってたかもねー」
桜華さんの呑気なセリフに、横で大介さんがクスッと笑う。
「ま、気楽にいこうよ。まだ第一回だし、みんな千葉県民ならいつだって集まれるもん。本音で話せるメンバーだってことも、分かってくれたでしょ? ここは現実の世界じゃなくてツイッターの世界の延長なんだから、言いたいこと言い合おう。ねっ!」
黒崎さんは、そう言って僕らの肩を叩いた。
なんだろう、この温かな気持ち。
長旅の帰り、坂の上に自分の家の屋根を見つけた時のような。
叩いてから、はっとしたように黒崎さんは言った。
「そーだ、確かツイッター上だと二人して恋人みたいな会話してたよねー」
えっっ!?あっっ……。
僕はあわを食ったように大介さんを再び振り向いた。見事に目と目があった。
「そっ……そういえば……」
「来る時も一緒だったしなー」海女猫さんがニヤニヤ笑いながら割り込んでくる。
「あ、あれはただの偶然で……」
「いやー偶然だって運命のうちって言うし。さっきの聞いてる限りだと、二人とも彼氏彼女いないんでしょ?だったら――」
僕たちは二人そろって、トマトのように染まった顔を下に向ける。
向けながら、僕は思い出した。この子の横顔が、実は少し気になっていたことを。
「ねー、あと4人来れるって―!」
桜華さんの強烈な横槍。「これは二人の歓迎パーチー兼からかい大会できるねー」
「ちょっ……!」
「あ、それナイスアイディア!ちょっとケーキ頼んでくるわ―、プレートに「婚約おめww」って書いてもらって」
「黒崎さんっ!!!」
僕たちは、笑ってた。
もう、泣いてたのが分からないくらいだった。
◆ ◆ ◆
あれから、半年がたつ。
あれから、黒崎さんは会社で昇進した。
あれから、海女猫さんはTOEICで満点を取って見せた。
あれから、桜華さんは自作漫画の奨励賞を受けた。
あれから、僕と大介さんは付き合っている。
それも、リアルの話だ。
あの日、同じ心の苦しみを分かち合ってから、いろいろとお互いに相談するようになった。
日に日に募っていく想いにも、気づいていた。
とりあえず、二人で会ってみない?ってダメ元で誘いをかけたのが、一か月前。
あれ以来、僕たちは普段はツイッター上で、たまにあのカフェで待ち合わせて、二人を楽しんでいる。そこに流れる時間を創ってくれたのは、紛れもなくツイッター。そして、あの時心の支えになってくれた、友達だ。
僕は変わった。みんなの目線を気にしないように努めるようになった。結果的にそれは僕のアイデンティティを見つける手助けになった。得意な絵をみんなの前で描くようになってから、いつしか僕の周りには人が集まるようになった。
気楽に考えるだけで、こんなに変わるもんなんだ。
今なら、僕は胸を張って言える。
「性別なんか偽ったっていい」って。
そんなのどうだっていい、って。
大事なのは、僕自身の「人間」なのだから。
この物語は、著者蒼旗悠のTwitterアカウント(悠香垢)5000ツイート記念作品として書かれたものです。
構想段階から書き上がりまでに要した時間は僅かに四時間。荒削りですが、読めるレベルには何とか修正しました(笑)
主人公を男にしたのには、特に意味はありません。執筆当時連載中であった「DistancE-KANA」が女主人公であったため、ダブらせたくなかったのもあります。もっとも、中の人は男なので蒼旗悠香もやってることは同じですが←
感想お待ちしています!
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