01 パトリシア・ハースト(緋菜視点)
誘拐は犯罪です!
とくに未成年者の誘拐は重い罪に問われます。
この話はあくまでもラブシシュエーションの一つであり、犯罪を助長するものではありません。
「オマエは誰だ?」
あたしは車の中でナイフを突き付けられて、言葉に詰まった。
けれど、この男は今にもナイフをあたしの首に突き立ててきそうだ。
ゴクリと音がするほど大きく唾を飲み込んだあたしは震える声で名乗った。
「じ、成島緋菜」
「成島?成島検事の身内か?」
検事?ああ、お義兄さんの事?
ヤダ!お義兄さん絡みなの?
コクコクと頷いたあたしに、その男はニヤリと笑った。
「ま、いいか。最初の予定とは違ったが・・・悪いがオマエには人質になって貰うからな」
そう言ったその男は、あたしの両手と両脚を縛り、口を塞いで、あたしを後部座席に転がした。
車は得体の知れない暴漢の運転によって走り出す。
どうしてこんな事になっちゃったの?
あたしはお姉ちゃんの車で、お姉ちゃんと甥っ子の蒼史を待っていただけなのに!
お義兄さんの所為?
やっぱり、あたしはあの人が嫌いだわ。
暫く車を走らせていたその男は、舗装されていない道に入ると車を乗り換えた。
計画的犯行ってこと?
目隠しを追加されたあたしは、どこをどう走っているのか判らない。
車が再び止まった場所で、あたしは足の拘束を解かれて「降りろ」と言われ、腕を引き摺られる様にして歩かされた。
足の下には砂利の感覚。
目隠しをされて手を拘束されていては逃げ出す事も出来ない。
第一、この男はナイフを持っているし。
大人しく従っていると、建物の中に入った。
「座れ」
突き飛ばされる様に腰を下ろしたのはソファーらしきものの上。
再び足を拘束されたけれど、目隠しと口を塞いでいたものは外して貰えた。
あたしは少しホッとして、相手を見た。
思っていたよりも・・・若い。
長い髪は肩まで届いているし、服装は上下ともベタな黒、顔は当然ながら怖くてキツイ。
犯罪者の顔だわ。
「オマエ、成島検事の妹か?嫁さんじゃないよな?」
ジロジロあたしを見ていた男の言葉にあたしはカッとなった。
この男はお姉ちゃんを攫うつもりだったの?
冗談じゃないわ!
それにあたしがあんな人と結婚している訳が無いでしょう!
「義理の妹よ!成島和晴はあたしの姉の旦那さんよ!」
あたしとは本来、赤の他人なんですからね。
あたしが鼻息も荒くそう告げると、その男は鼻先で笑った。
「安心しろ、オマエはアイツの嫁さんには見えないから。そんなガキじゃな」
失礼ね!あたしはもう18になるのよ!
と、この男に言ってみた所で始まらないのは判っている。
「こんな事をしてどうするつもりなの?」
この男はお姉ちゃんを攫ってお義兄さんを脅すつもりだったの?
お義兄さんは、この男にどんな恨みを買ったのかしら?
まさか、殺すつもり・・・とかじゃないわよね?
あたしは縛り上げられた時に身体を探られて携帯や財布を取り上げられて、乗り捨てられた車に置かれたままだ。
連れ込まれた場所は廃屋の様で、床には土と埃とゴミが散乱している。
あたしが座っているソファーがある事自体奇跡の様なもの。
座っていると服が汚れそうなシロモノだけど。
窓は高く、外はあまり見えない。
電気も通って無いんじゃないかしら?
夜になったらどうするつもりだろう?
日が暮れればかなり冷え込む時期なのに。
「俺はただアイツが困る顔が見たかっただけさ。殺したりはしないから安心しろ」
そうは言われても
「誘拐は重罪よ」
既にこの男は立派な犯罪者だわ。
あたしの言葉にその男は鼻先で笑っただけで、何も言い返さない。
罰を受ける覚悟が出来ていると言う事かしら?
男はあたしから離れた壁に凭れて立ったまま動かない。
「ねえ」
あたしは沈黙が気づまりでその男に話しかけた。
「お義兄さんはあなたに何をしたの?」
俯いていたその男は顔を上げてあたしを見た。
「なにも」
その表情は、今までの怒ったり、怖い顔をしたり、皮肉気に笑ったりといったものではなく、感情の抜け落ちた様なものだった。
あたしはちょっと驚いた。
「なにも・・・って」
ならどうしてこんな事を?
「アイツは俺の両親を殺した男の事件の担当だった、それだけだ」
それだけって・・・なら、どうして?
この男が事件の被害者の家族であるなら、普通は犯人の弁護士を恨むものじゃないの?
どうして検事を恨むの?
あたしの疑問は次の言葉によって解決された。
「検察の求刑は『業務上過失致死』だった。『危険運転致死傷罪』が適用されなかったんだ」
それって・・・
「飲酒運転だったの?」
交通事故でご両親を亡くしたのなら、この人も気の毒な立場なのかしら?
「いや、抗ヒスタミン薬を飲んでいただけだ」
薬?薬を飲んでいても『危険運転致死傷罪』になるの?
抗ヒスタミン薬って?
聞いた事がある様な気がするけど。
「風邪薬のコトだ」
あたしが首を傾げたので説明を追加してくれた。
そう言えば風邪薬には、飲んだら車を運転してはいけないと書いてあるものがあった様な。
「オマエは変なヤツだな。俺が怖くないのか?」
最初にナイフを突きつけられた時以外、脅えた様子を見せずに問い続けるあたしを不思議に思ったのか、その男はあたしに近づいてナイフを取り出した。
あたしはナイフを見てちょっと驚いたけれど、その後の男の行動にはもっと驚いた。
なんと、あたしの手と足を拘束していた縄を切ったのだ。
そして、あたしの腕を掴んで立ち上がらせた。
「出て行け。オマエにはもう用はない」
え?え?ど、どうして?
「こんなガキを人質にするとは失敗した。さっさと帰れ」
そう言って、その男はあたしが座っていたソファーに腰を下ろした。
そして目を閉じた。
突然解放されたあたしは戸惑って、立ったまま動けないで居たが、それを感じた男が目を開けてあたしを睨みつける。
「何をしている?俺の気が変わらないうちにさっさと行かないか」
その声は不機嫌そうに低かったけれど、あたしはアレ?っと思った。
息が・・・呼吸が苦しそう?
あたしは意を決して、その男の額に手を当てた。
「なに・・・」
「あなた、熱いわよ!熱があるの?」
驚いて、思わず大きな声を出してしまったあたしの耳に、ヘリコプターの音が聞こえた。
次回は岡村視点の話になります。