Quiet Query
『日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト2025』への投稿作品です。
その図書館には、奇妙なうわさがあった。
「おいしいね、このカステラ」
「ありがとうございます。わたしの手作りなんですよ」
ウェンは温めたティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。
ウェンは二十九歳を迎えたばかり。黒髪を短く整え、白い長袖シャツの上に紺色のベストを重ねている。
「熱いので気をつけて」
淹れたての紅茶を出すと、少女はカステラを頬張りながら頷いた。
王立図書館の執務室は、さほど広くはない。
管理人であるウェンのデスクと、少女が使っている来客用のテーブル。それに給湯室が併設されているだけだ。
「食べ終わったら蔵書選定者の説明をしますね」
「ふぁい」
向かいに座りながら、視界の中に少女に関するデータを呼び出す。
ウェンは生まれつき目が悪かったため、乳児のときに義眼手術をおこなっていた。おかげで、意識をするだけで必要な情報を閲覧することができる。
少女の名前はフィオ。十七歳。
第三王立高等学校の二年生で、家族構成は両親と本人のみ。
父親は公務員で戸籍管理課の主任。母親は食品会社のマーケティング部の課長。
本人はもちろん、家族にも特定の思想をうかがわせる言動は確認できず、特定の団体との付き合いもなし。
そういった人物を推薦してくれるよう学校に通達しているので当然だが、じつに平均的な家庭だった。
フィオは亜麻色の髪を肩まで伸ばし、学校帰りなので朱色のブレザーと白黒のチェック柄のスカートという制服姿だ。
「ふう。おいしかったです」
「それはよかった」
ウェンはにこりと微笑んでから、「それでは」と蔵書選定者についての説明を始めた。
王国の法律が登録されたデータベース、通称「ルールブック」を参照し、その中から王立図書館について記載された箇所を呼び出す。
「まず、蔵書選定者には男性、女性、若者の枠があり、あなたは若者枠として採用されました」
「女性じゃなくて?」
「若者枠は二十歳未満。他のふたつは三十歳以上が条件です」
続けて、次の内容を読み上げていく。
蔵書選定者の任期は三年。ただし若者枠に限り、一年の任期とする。
次代の蔵書選定者は現蔵書選定者の推挙によって選出される。ただし若者枠に限り、王立学校による推薦とする。
蔵書選定者は悪意ある書籍を排除するように努める。
蔵書選定者の立場を私的な目的で利用しない。
少女は、ふんふんと頷きながら聞いている。説明中に眠たくなる若者が多いので、すこし意外だった。
「以上です。質問はありますか?」
「実際にやってみないとなんともです」
「ですよね。あと一時間で選定会議が始まるので、それまでリラックスしてお過ごしください。おかわりを淹れましょうか?」
「お願いします!」
元気に返事をしながら、フィオはカップを差し出した。
給湯室でおかわりを淹れながら少女に尋ねる。
「ところで、どうして蔵書選定者に応募されたんですか?」
「あたし成績ヤバいんですよ。なんでもいいからボランティアすると進学に有利、って先生に言われて」
「そうですか」
もともとは、移民船時代に若い世代の意見を取り入れるために作られた若者枠だが、いまの学生にとってみれば内申点稼ぎにすぎない。
この少女も同じか、と寂しく思っていると、フィオが「あと」と言葉を続けた。
「王立図書館の人たちは、王国を裏で牛耳ってるってうわさを聞いたから」
ぎょっとしてフィオを見やると、少女は無邪気な笑顔でこう言った。
「あたしにもワンチャンあるかなって」
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王立図書館は、王政庁区画内にある二階建ての小さな施設だ。
さきほどまでウェンとフィオがいた執務室の隣は、王国内のどこからでもアクセスできる書籍データベースのサーバールームとなっている。
「図書館」を冠する施設ではあるが、地球時代のように利用者がやってくるわけではなく、書籍データベースを管理する実務機関の名称にすぎない。
そして王立図書館にはもうひとつ、重要な役割があった。
「王国を裏で牛耳るですって?」
「そいつはいいな!」
ムラティとナカタは、同時に笑い声をあげた。
王立図書館の二階は会議室になっている。そこにはウェンとフィオ。それに女性枠選定者のムラティと、男性枠選定者のナカタの四人が円卓を囲んで座っていた。
それぞれの前にはカステラと紅茶が出されており、思い思いに楽しんでいる。
「じゃあ、うそなんですか?」
「本当だったらいいんだけど」
ムラティがくすくすと笑い声をあげる。
ムラティは美容業界向けコンサルタント企業のオーナーだ。
歳は三十五歳で、ウェーブがかった髪を腰まで伸ばしている。耳には輪っか状になった銀のイヤリングをつけており、青色のブラウスに黒いロングスカートという服装だった。
「おれたちは、ただの読書好きの集まりだ。いい本を広めたいだけだよ」
ナカタは五十八歳。がっしりとした体型を紺色のスーツで包んでいる。居住ドームの外で鉱石の採掘をしている会社の役員で、低く、はっきりとよく通る声の持ち主だ。
「それでは、今月の選定会議を開始します」
ウェンが宣言をし、王立図書館の蔵書選定会議が始まった。
「アメジスト社の『惑星を創る』」
フィオ以外の二人には、概要と本文データを提供してある。
出版社名と書名を読み上げるとナカタが意見を述べた。
「なかなかよかったぞ。資源の活用方法について、未来像と一緒に紹介されていた」
「採用でよろしいですか?」
ナカタとムラティが頷く。
どうしていいかわからずにキョロキョロしているフィオには、ムラティが「王国内で読まれる本にふさわしいと思う?」とフォローを入れていた。
「ふさわしいと思います」
「では採用します」
ウェンは手元にある端末を操作し、今月の新刊として『惑星を創る』を登録した。これで誰でも購入できる状態になった。
これが王立図書館の最大の役割だ。
知見のある代表者によって、王国内で読まれるべき本かどうかを選定していく。
まだ百年程度の歴史しかない王国の統治は盤石とはいえない。不都合な思想や情報が出回るのを防ぐため、まだ千人規模だった移民船時代におこなわれていた情報統制の手法が、そのまま継続されているのだ。
その情報統制の機関が王立図書館であり、統制機能として採用されているのが蔵書選定者たちだった。
出版社の数自体が少ないので、選定が申請される本もそう多くはない。一時間ほどで最後の本となった。
「最後です。辺境史編纂倶楽部の『我が町』」
「また性懲りもなく申請してるのか」
「諦めの悪い」
フィオが説明を求めるように、こちらを見る。
「前線ドームにいる人たちの声をまとめた本です」
「ドームの端っこで、たむろしてる連中の愚痴だな」
「却下。品の悪い人たちの本なんて、王国にふさわしくないわ」
ムラティの意見に、当然だとナカタが頷く。
「フィオさんはどうしますか?」
ウェンが聞くと、フィオは「はい」と手をあげた。
「あたしも、選定候補の本って読めますか?」
「あなたのアカウントに権限は付与してあります。非公開の書籍データベースにも入れますよ」
「で、どうするの?」
ムラティが苛立ちを含んだ声をあげ、フィオに判断を迫った。
「あ。却下で」
気軽な調子でフィオが答えて『我が町』の販売は却下された。
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通話を切ると、ウェンはすっかり冷めた紅茶をひと口飲んだ。
相手は辺境史編纂倶楽部の編集者だった。なぜ選定されないのかとクレームがあったのだ。
嘘偽りのない人々の声をまとめた本であって、それによって王政庁を批判しているわけではない。販売が認められない理由がわからない、と。
まったくそのとおりだとは思うが、蔵書選定者ではないウェンには、ただ謝ることしかできない。
義眼に現在時刻を呼び出す。もうすこしで夜時間になるところだった。
そろそろ帰ろうとデスクから立ち上がると、執務室のドアをノックする音が聞こえ、フィオが顔を覗かせた。
「まだ残っていたんですか?」
驚くウェンに、フィオは「夢中になっちゃってさ」と、手に持った端末を示してみせた。
選定会議後、フィオは会議室に残っていいかとウェンに尋ねた。次回のために勉強したいからと。
まさか、まだいるとは思わなかった。
「いい本なのに選ばれないんだね」
フィオは、ウェンが帰り支度をする様子を見ながら言った。
『我が町』のことか、非公開データベースの中の傾向のことかはわからないが、いずれにしてもウェンの返事は同じだ。
「選定者たちの決定ですから」
一緒に王立図書館の外に出て、電子キーで施錠をする。
フィオの情報を呼び出して住所を確認。途中まで同じ方向のようだ。
「送ります」
王政庁区画には、統治をおこなうための施設が集まっている。まだ明かりのついている建物も、ちらほらとあった。
居住ドームの天井は非透過素材で作られているので星は見えない。うっすらとした照明があるだけだ。
横を歩くフィオに初日はどうだったか聞いてみようかと思っていると、「ウェンさんは、どうして管理人になったの?」と先に質問されてしまった。
「近くで蔵書選定者になるチャンスを待ちたかったんです。来年でようやく三十歳になる。ナカタさんの任期はあと一年なので、推挙してもらう約束になっています」
「王国を牛耳りたい?」
「まさか」
軽く笑いながら、どこまで話したものか迷い、正直に答えることにした。
「この目は生まれてすぐに義眼になりました。裕福でない家庭だったにもかかわらず、両親はわたしのために頑張ってくれた」
「義眼、高いもんね」
「ええ。とても感謝しています」
この少女は、なぜ義眼手術の価格帯を知っているのだろうと、すこし不思議に思った。
「でも、わたしは電子処理された世界しか知らないんです。夜、ベッドの中で目を瞑ると、心の奥底からささやき声が尋ねる。すべてウソなのではないか……って」
「それは大変だなって思うけど」
フィオが軽く首をかしげた。
「選定者になると、いいことあるの?」
ウェンが足を止める。フィオは何歩か進んでからウェンの方を振り向いた。
その表情は昼時間のときの彼女と打って変わって、すべてを見透かしているかのような、そんな雰囲気を感じさせた。
その魔力に惹き寄せられるように、ウェンは、ずっと心に秘めていた想いを口にした。
「あの図書館には、奇妙なうわさがありましてね」
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休日のカステラ作りは、ウェンの数少ない趣味のうちのひとつだ。
生地を混ぜる触覚、ミキサーを使う聴覚、だんだん甘くなる嗅覚、そして味覚。
さまざまな感覚を刺激してくれるカステラ作りは、視覚に現実感を得られないウェンに、世界のたしからしさを感じさせてくれた。
完成した生地を金型に流し込もうとしたところで、通信端末から着信音が鳴る。
「おう。ナカタだ」
ナカタから連絡が来るのは初めてのことだ。なんの用だろうと思いながら挨拶をすると、相手は一方的に用件を話しだした。
「おまえを選定者に推挙するっていう話。あれ無理そうだ。知人から熱烈に要望されててな。そいつに譲ることにした」
「は?」
頭が真っ白になる。
「まあ、また三年後に頑張れ。じゃあな」
「約束と違います!」
叫んだときには、すでに通話は終了していた。
ウェンは、すぐに着替えて独身者用アパートから飛び出した。
速足で歩きながらナカタの情報を呼び出す。ウェンが住んでいるのは三番ドーム。ナカタの自宅は六番ドーム、会社は七番ドームにあった。
ナカタはよく、休みの日でも会社にいると自慢げに話していたので目指す先は七番ドームだ。
モノレールに乗って二十分。歩いて五分のところに、ナカタが役員を務める採掘会社がある。
入口から受付カウンターに駆け寄ると、整った身なりの女性が「どういった御用件でしょうか?」と怯えた表情で尋ねた。
「ナカタ……常務をお願いします」
「お約束はございますか?」
「いえ」
「では対応いたしかねます」
「連絡だけでもいいので。王立図書館のウェンと申します」
王立図書館管理人という身分証が効いたのか、女性は手元の端末を操作して内線をかけた。すぐに「なんだ?」と応答する声が聞こえる。
「ウェン様という方が受付にいらっしゃっています」
「うるさいやつだな。警備を呼んで追い払え」
それだけ告げて通話を切ったらしい。女性が困惑の表情でこちらを見てくる。
「……ご迷惑をおかけしました」
ウェンは一礼すると、その場を離れた。
帰路の記憶は曖昧で、現実感がなく、まるでいつまでも醒めない夢の中を歩いているようだった。
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なにかの音で目を覚ました。
ナカタの会社から帰ってきてベッドの上に横になると、もう起き上がることができなかった。
なにもせず、なにも食べないまま、何日経過したのだろうか。
フィオが口にした、王立図書館の者たちが王国を裏で牛耳っているという、あのうわさ。言葉どおりの真実ではないものの、間違いともいえない面があった。
蔵書選定者は書籍の販売可否を決定することができる。移民船時代から最近まで、役割と意義を理解した選定者たちによって正しい判断が重ねられてきた。
それが、ナカタが現れてから在り方が変わってしまった。
ナカタの会社に都合の悪い書籍は販売を却下し、都合の良い書籍は許可を出す。おそらく、裏では金銭のやり取りも発生しているに違いない。
そんなナカタが、先代の選定者たちに圧力をかけて推挙させたのがムラティで、彼女は選民思想が強く、ウェンが眉をひそめるような内容の書籍を喜んで選んでいた。
つまり、王立図書館の蔵書選定者という立場を利用すれば、王国内の世論や価値観を間接的にコントロールすることができてしまう。
千人規模だった移民船時代であれば人々の目に留まっただろうが、十万人規模のコミュニティになると気づかれにくい。
制度と時代の不一致。
ナカタは、そこに目をつけたのだった。
そんなナカタが推挙する次の蔵書選定者も、その立場を悪用するだろう。そして、やはり権益を共有する者の中でバトンを渡していくに違いない。
ウェンが蔵書選定者になる未来はやってこない。
あの日、その事実を理解したのだった。
またなにかの音がした。
それがアパートの呼び鈴だと気づくと同時に、ガチャリとドアが開く音がした。
「ウェンさん? 生きてる? うわ、なんか腐ってるよ、この部屋」
入ってきたのは制服姿のフィオだ。
ベッドから体を起こそうとしたが、まるで関節が錆びたように緩慢な動きしかできなかった。
「かぎ……」
寝すぎなのか血糖不足なのか、ぼんやりとして、うまく言葉が出てこない。
「鍵? かかってなかったけど。それより、ウェンさん! 仕事休んでなにやってんの! 何度か図書館に行ったんだよ!」
「それは……すみません」
よほどひどい顔をしていたのか、フィオは怒気を引っ込めると小さく息を吐いた。
「で、なにがあったの?」
ウェンは働かない頭で、蔵書選定者の腐敗と、ナカタに約束を反故にされたことを説明した。
「本を出すことを諦めた出版社もあります。いまのルールでは、だれも止めることができない」
「ほんと?」
フィオの反応に、ウェンは顔をあげた。
「諦めてそれでおしまいってこと?」
その無邪気な物言いに腹が立った。
「あなたにはわからないでしょう」
「だって、ウェンさん、なにもしてないじゃん」
「な……んですって?」
「蔵書選定者が悪用されてるのを知ってたのに、どこにも訴えなかったんでしょ? 選定者になりたいって言いながら順番を待ってただけだし。世界に現実感がない? そりゃそうだよ。考えない。手足を動かさない。なにも聞かない。両親がくれた、その眼だって閉じてたんだから」
十七歳の少女の言葉になにも言えなくなる。
フィオは黙ってしまったウェンに、勝ち気な笑みを向けた。
「ま、寝込んじゃったっていうのは悪くないかな。選定者になれないってことは腐敗も止められないってことだし、それに耐えられなかったんだよね」
「そう……なんですかね?」
「そうなんだよ」
無責任に言い切るその言葉は、さきほどまでのように不快には感じなかった。
フィオが人差し指をウェンの胸に向ける。
「ささやき声は、なんて尋ねてる?」
ウェンは自分の胸に手を当てると、すこし間を空けてから答えた。
「まだやれることはあるんじゃないか……と」
「じゃあ、シャワーを浴びてヒゲを剃ってきて。なんか腐ってるやつも捨てとくんだよ。なにあれ?」
そういえばカステラを作りかけていたのだった。
「なにか食べたほうがいいかな。下のコンビニで買ってくるけど、カステラでいい?」
「わたしは」
ウェンはベッドから降りながら答えた。
「自分が作ったものしか食べないことにしているんです」
フィオがにやりと、不敵な笑みを浮かべた。
「調子でてきたじゃん」
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ナカタとムラティが苛立った声をあげる。
「会議は月に一回のはずだろ?」
「こっちも忙しいんだけど」
王立図書館の会議室ではナカタとムラティ、それにフィオが円卓を囲んでいた。
ちらりとフィオを見ると、状況についていけない学生でも演じているのか、怯えたような表情を浮かべていた。
ウェンは選定者たちに向かって微笑みを向ける。
「選定会議は月に一回と決まっているわけではないんですよ。必要があれば、管理人が自由に決めていいことになっています」
フィオに叩き起こされた後、シャワーを浴びながらウェンなりの戦い方を考えた。
王国の法律が登録されたデータベース「ルールブック」の理解。それがウェンの武器だと結論した。
「なら、さっさとやってくれ」
「はい。申請された本は、辺境史編纂倶楽部の『我が町』です」
「ふざけてるの?」
ムラティが怒りの表情を浮かべた。
「いいえ。ですが本題は別にありまして」
攻撃を開始する。
「王立図書館の管理人として、おふたりの蔵書選定者としての資格の正当性に異議を唱えます」
ナカタとムラティの目が、すっと鋭くなった。
敵を見るようなその視線に対抗するように、義眼にルールブックを表示させる。
「聞こうか」
ナカタが短くひと言だけ口にした。
「まず、以下のルールがあります。蔵書選定者は悪意ある書籍を排除するように努める。これまでムラティさんが選定された書籍は、貧困層を攻撃する内容に偏っていますね」
「あら、そうかしら?」
「『我が町』に登場する人々についてはどう思いますか?」
「汚らわしい野蛮人」
悪びれもせずに言い放つムラティが面白かったのか、ナカタが笑い声をあげた。
「で、俺はどんな罪なんだ?」
ウェンは、冗談めかして言うナカタに視線を向ける。
「蔵書選定者の立場を私的な目的で利用しない。『我が町』の中には、鉱石採掘の現場で働く人々の声も多く登場する。その中には会社にとって都合の悪いものもある。あなたは、それを世に出したくなかった」
「ふん。それだけか?」
ウェンは「いいえ」と首を横に振った。
「ナカタさんと仲のいいふりをして、いくつかの出版社に連絡をとってみました。また袖の下を要求されるのかと、うんざりしている会社もありましたね」
録音もしているが、それは口に出さなくても伝わったようだ。
ナカタは一瞬、獰猛な表情を浮かべたが、すぐに繕ったような笑顔に戻った。
「わかった。俺は選定者を降りる。それでいいだろ?」
あっさりと言うナカタに頷いてみせる。
「そうしていただけると助かります」
「おう。で、次のやつを推挙しておくからさ。あとはそいつと仲良くやってくれよ。ムラティはどうする?」
「わたしは、まだ降りるつもりはないわ」
ムラティは自分の端末の画面を見ながら言った。どうやらルールブックを閲覧しているようだ。
「たしかに、王立図書館の管理人は選定会議を開催することができる。異議を唱えるのも好きにしたらいいけど、でも、それだけね」
ムラティは端末から目を離すと、手を組み、椅子の背もたれに体を預けた。
「あなたに、わたしたちをどうこうする権限はない」
ここまでだった。
ルールブックを読み込み、管理人という立場を活用しても、蔵書選定者をクビにするだけの権限を与えられてはいない。
贈賄疑惑をつきつけたことでナカタを離脱させることには成功したが、仲間にバトンタッチする時期を早めただけだ。開き直られてしまうと、もうできることはなにもなかった。
それでもやらずにはいられなかったのだ。いまの状態のまま、管理人を続ける気はない。ならば最後に一矢だけでも報いたかった。
そのとき、ずっと三人のやりとりを見ていたフィオが口を開いた。
「最後の一行を読み忘れてない?」
その目線は、やはりルールブックが表示された端末に落とされている。
フィオが読み上げた。
「以上の条件を鑑みて選定者としてふさわしくないと判断した場合、王立図書館の管理人は該当の蔵書選定者を除名し、あらたな蔵書選定者を選任することができる。これ大事っぽいよね?」
「なんですって?」
ムラティとナカタが慌てて端末を手に取る。
ウェンも義眼にルールブックを再表示させると、フィオが言うとおりの一文がたしかに記載されていた。
何度も読んだはずだが、こんな文章は記憶にない。
「あなたがたを……」
頭は追いついていないが、ともかく、この機会を逃すわけにはいかない。
ウェンは、ナカタとムラティに向かって宣言した。
「除名します」
「ふざけるな!」
ナカタが立ち上がり、ウェンに向かって怒号を放つ。
「こんなルールはなかったはずだ! 改ざんしただろう!」
「ルールブックを書き換えられるのは王国議会、または女王だけよ!」
ムラティも同様に立ち上がると、甲高い声をあげた。
「こんな! まるで見られているかの……ような……」
その言葉がしりすぼみになって消えていく。
三人の視線は、椅子に座ったまま微笑んでいる少女に向けられた。
「ね」
その無邪気な声に、ウェンまでゾッとした感覚に襲われた。
「まるで最高権力者に見られてたみたい」
ナカタとムラティは、絶望に押しつぶされたかのように椅子の上に沈み込んだ。
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王立図書館の地下には移民船の図書スペースが埋まっており、そこには地球から持ちこまれた本が一冊だけ現存している。
そして、地下に立ち入ることができるのは蔵書選定者のみ。
それがウェンが蔵書選定者になりたかった理由だ。
執務室に戻ってくると、フィオがカステラを頬張りながら迎えてくれた。
「どうだった?」
「なんで我々がカステラが好きなのかわかりました」
「主人公が二匹のねずみだから、宇宙船とはいえ、船に乗せるのはどうかと議論した。なんて笑い話もあるけどね」
歴史と実体をともなう情報に触れることで、自分はたしかにそこにいるのだと感じられるかもしれない。
そう思っていたのだが、そこにあるのは、ただのボロボロの絵本でしかなかった。
「ごちそうさま。あとはよろしくね。新しい蔵書選定者さん」
フィオはそう言うと、椅子から立ち上がってドアの方に向かった。
「男性枠だけ二十九歳以上とする、という改正はやりすぎでは?」
「そう思うなら、いまの時代にあったルールを考えて提案して。またカステラ食べにくるから」
手を振りながら、ドアを開けてフィオが出ていく。
と思ったら顔だけひょいとのぞかせて、こう尋ねた。
「そうだ。心の声は静かになった?」
「おかげさまで」
ウェンは親指で自分の胸を示す。
「うるさくてしかたがない」
フィオは満足げな笑みを浮かべると、今度こそドアの向こうに消えていった。
この王国の女王には、奇妙なうわさがあった。
移民船の船長。そして移民先の惑星の支配者となるべく、寿命を奪われた人造生物なのだという。
移民船時代から現在まで、女王はずっと人々の営みに寄り添ってきた。
そんなうわさだった。
「さて、ご期待に沿えるよう頑張りましょうか」
心をざわめかせて止まない我が女王様のために。
ウェンは通信端末を手に取ると、辺境史編纂倶楽部の連絡先を呼び出した。




