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3. これが淫魔の生きる道

 気が乗らなかったが、腹は減っていた。ユウトは両親について焼肉屋へと向かった。個人経営の、気の利いたメニューや珍しい種類のある焼肉店だ。


「なんか食べたいものあるか?」

「うーん、肉の種類とか良くわかんないから父さんに任せていい?」

 ユウトはあまり外食をしない。母の料理が美味しかったからである。外食をしても、母より美味しいご飯が出てくることは稀だったのだ。


「任せとけ! これは母さんも大好きだから、きっとお前も好きだぞ」

 そう言って父は、カルビ、牛タン、上ハラミ……等と手慣れた注文をしている。


 届いた肉は、普通に美味しかった。すごく美味しいというわけではなく、母の作った料理には及ばない……と思っていた。

 しかし、終盤に運ばれてきたホルモンのようなものは全然味が違った。

 口にはいると暴力的な旨味のようなものが広がり、脳に急速な幸福感が広がっていく。この数年、母の料理以外で感じたことのない満足感だ。

 漫画で読んだ至るとは、こういうことなのだろうか、とユウトは思った。


「なにこれ、すごい美味いんだけど……」

「ハハハ、お前の味の好みは母さんと変わらないなあ!」

「そうね、これすごい美味しいのよね……わざわざこういうのを探してきてくれるのよね、お父さん」

 普段はめったに食事を摂るところを見ない母も、この肉はもりもりと食べている。それを見て父は満足気にしていた。


 次々と見たことのないホルモンが運ばれてきてそのどれもが美味かった。

 母も、ユウトも夢中になって食事を摂った。


「父さん、こんな美味しい焼き肉ありがとう。最後の四つが一番美味しかったんだけど、何ていう肉なの? スーパーであんまり見ない気がするんだけど」

「ああ、あれか。ホーデンとタマとサオだな。あとキンカン。やっぱ精をつけるのにはああいうホルモンがいいんだよ」

 ん? 精をつける?

 昨日までなら気にしなかっただろう不穏な言葉にユウトは訝しんだ。


「それってどこの内臓なの?」

「ホーデンは豚の睾丸、タマは牛の睾丸、サオは牛のちんちん、キンカンは鶏の睾丸だよ」

「…………そ、そっかあ……」


 ユウトはそこで自分のキャパシティをオーバーしていることを実感してそれ以上考えることを止めた。

 そして、帰宅するために父と母とともに道を歩きだした。


 家の近くには杉の並木道があり、そこはふんだんに花粉が舞う場所で花粉症の人から市に伐採の陳情が上がっている道だ。しかし、百年以上の歴史を持つ立派な道なので教育委員会が反対し、市議会で議論が二分されているという噂である。


 春一番の強い風が、ブワッと杉並木を揺らし、黒いユウトのセーターが粉まみれになるほどの花粉を一行に叩きつける。

「うへっ!」

 花粉が鼻に直撃したのか、ぶぇっくしょい!と父はダイナミックにくしゃみをしていた。しかしユウトは違う物を感じていた。

「父さん、母さん、ちょっと待って」

 帰宅する二人を制止しユウトはスマホのライトを付けてこわごわと杉に近づいていく。

 ユウトが深呼吸すると、香しいとしか言えない、脳が痺れるようなスパイシーで蠱惑的な匂いがする。

 背伸びしてようやく手の届いた枝の先を手にとって、手のひらに花粉を取って舐めてみた。


「こ、これは……」

 口の中に広がる脳を直撃する味。


「これ、母さんが弁当作ってくれる時にかけてくれるのりたまっぽい味がするんだけど…………」

 黄色くて、のりが入ってて、ユウトは母が作ってくれるのりたまの入った弁当が大好きだった。あれはのりたまではなく、スギ花粉ご飯だった……?


「そうなの、あれはスギ花粉入りののりたまよ」

「え、でも花粉って…………」

「花粉はね、植物にとっての精子なのよ。だから人間にとってのワカメやきゅうり程度にはサキュバスの栄養になるのよ」

 母は真面目な顔で呟いていた。

 ユウトはさらに脳の中が真っ白になっていくのを感じていく。


「あなた、ユウトはもう、第二次性徴が始まってしまったのよ」

「つまり、大人ってことか?」

「そうね、大人のサキュバスになってきた、ってことね……」


 子どもの成長を優しく見守る親の顔を二人はしていた。


「もしかして、家の飯って全部これ入ってる……?」

「ええ、そう。ユウトが食べる分には全部入ってるわ。この時期に佐久蓮さくはす家の持ち山で、一斉に収穫しているの。このハッピーパウダーを。今年は収穫が多いらしくて、山の恵をできるだけかき集めているわ」


「さっき言い忘れたけど、日本を選んだのはね、杉があるからなのよ。スギ花粉があれば、最悪それを貯めておけば一年は生き延びられるから……もちろん、人間のものが最上なのだけれど、生きるためには何だってしないといけない、そんな時代もあったのよ……」


 まるで、戦争体験を話すおばあちゃんのような語り口だが、実際はスギ花粉を増やそうとする花粉症患者に対する文字通りの悪魔である。


「もちろん、花粉が一杯出る品種を選んで栽培するように、サキュバスのみんなでロビイングしたり、枕したりと頑張った成果でもあるのよ」


 母の労働者が団結して自由を勝ち取った風の話を聞いて、ユウトは花粉症患者と厚生労働省に謝れ、と強く思った。口には出さなかったが。


 しかし確かに、思い返すと春はいつも体調が良かった。

 皆がくしゃみ、鼻水、涙目に苦しむ中、春だけは体調が良く、腹も減らず、花は美しく温かい良い季節だと思っていた。


 まさか、自分の母を始めとする同族達の陰謀が、スギ花粉を生み出していたとは……。

 暗い気持ちでユウトは家にたどり着いた。


 帰宅すると深刻な顔のユウトを囲んで家族会議らしきものが開催された。

「あのさ、父方の爺ちゃんと婆ちゃんは人間なんだよね?」

「もちろん」


「母方の祖父母っているの?」

「いるわよ、おばあちゃん。銀座でホステスやってるわ。一年に億稼いでるわよ。それで私が専業主婦してるの。あなたが生まれるまでは私もしてたわ」


「は? おばあちゃんってどう考えても後期高齢者でしょ!?」

「身分証も戸籍も、だいたいお金でなんとかなるのよ。佐久蓮の家はね、サキュバスの皆が共同で使う戸籍なの。だから、あなたには会ったことのないお姉ちゃんや叔母さん、従兄弟もいるわ。今人間界にいるのは五人くらいかしらね……」


「…………」


「そういえば、ユウト。進学先男子校だろ。良かったな!」

 父の無邪気な顔に、ユウトは絶望の顔を返した。


 そう。ユウトは男子校に進学するのだ。なぜなら、女子にモテないなら、男子校にいるほうがモテない理由が付けられて気楽だと思っていたからであり……それは今は絶望でしか無く……。


 進学先の男子校には、生徒も男子しかいないが、教師も男子しかいない。学校としてはやや進学校くらいのランクであるから、誰も反対しなかった。結果、合格してもう入学手続きも終わっている。

 逃げ道はなかった。



「もし学校のお友達、要らなくて寄ってきて困るなら持ってきてくれたらお母さんが食べたげるからね!」

 そんな、ファミレスで食べきれなかった食事をテイクアウトするみたいな感覚で言われても困る。


 佐久蓮ユウトは迫りくる新しい高校生活を思い、暗い気持ちになった。

 せめて、男子校じゃなくて、その近くにある最近共学になった元女子校の男子比率が異様に少ない学校を選んでおくべきだった、そう思ったが後の祭りだった。


 花粉入りの紅茶を飲んで、ユウトは人生の先行きの暗さを思い何も言わずに落ち込み続けていた。


 それから数年。

 佐久蓮ユウトは地獄の男子高校生活を乗り切り北海道の大学に進学し、そこで就職した。誰もいない場所でやり直したかったのだ。


 ユウトを追って吉田山先輩は北海道の病院に研修医に入り、山田は北海道の野球チームにドラフト一位で入団し億単位の年俸を得ている。

 塾のバイト先生の東野は北海道の半導体研究の会社に入り、トップの研究成果を出している。


 北海道でも佐久蓮ファンクラブは続いており、焼肉を奢ってもらえるということでユウトはそこに顔を出すようになったが、徐々にメンバーが増えている気がして怖い。三人から始まったファンクラブは、今やもう十五人に増えており、入会希望者も増すばかりだと言う。


 でもタダ焼き肉の誘惑には逆らえなかった。成人男性なので。

 特に何もしないのだがユウトが食べているのを見ているだけで、皆頭でもおかしくなったかのように幸せそうな顔をしているので、まあいいのだろう。


 母によれば、エリートサキュバスともなると性行為をしなくとも近くにいるだけで相手に幸福感を与えて自分の虜にすることが出来るらしい。

 もしかするとそれなのかもしれないが、自分としては実感がない。


 有名人ばかりが集まる謎のクラブということで潜入取材まであったが、その潜入した記者もユウトのファンクラブに加入してしまい、結局記事は世に出なかった。


 北海道に来てからの食生活は、実家にいるときより充実していた。

 春に実家から送られてくるハッピーパウダーを頼りに、春はニシンが海を白く染め上げる群来と白子……つまり、精子たっぷりの海水、精巣入りのニシン、秋は鮭の白子、冬はタラの白子……北海道ではタチという、それをシーズン中ずっとスーパーで買い漁って冷凍している。

 また、猟師につてを作って、鹿やクマの睾丸なんかも買い取って業務用冷凍庫で冷凍し、夏はそれを食べて生きている。

 実家にいたときよりも遥かに楽に栄養を取ることが出来た。


 そんな男一人の生活が続いていたが、ついにユウトにも彼女が出来た。

「ユーくん♡」

「レンちゃん♡」

 レンちゃんというその子は、長くつややかな黒髪に、スレンダーな体を持った、ユウトにはもったいないくらいの美少女だった。

 彼女を連れて街に出ると、常にレンちゃんに声がかけられる。

(こんな美少女と付き合えるなんて幸せだな……)

 ユウトは北海道に来てよかった、としみじみ感じている。


「あのさ、レンちゃん、うちの両親に会ってくれない?」

「いいよ♡」


 久々に帰省したユウトとその彼女を見た母は困惑した。

(どうしよう、あのレンちゃんて子、どう見ても男の娘だわ……)

 しかし、やっと出来た彼女と喜んでいて、言い出せなかった。



 佐久蓮ユウトの苦悩は、まだ始まったばかりなのである。

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