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Breathtaking view

 返し馬も終わり、輪乗りに入る。薄い雲ではあるが、薄い曇り空に風が吹く。冷凍庫のように冷たい風だ。レースまで残り僅か。パドックでは井川さんから


『亡くなった祖父の夢を叶えて頂いた三田(さんだ)さんに全てお任せします』


 って大泣きしながら言われたなあ。お祖父さんもG1に立った事さえなかったから、大きい想いだと言うのがずっしりと伝わってきた。ここは色んなものを背負うと改めて感じる。


『幸次くんの覚悟は知っている。まだ一緒にいたいから、へっぽこ調教師だけどちゃんと仕上げたんだ……。信じてるよ』


 いつも胃が痛そうな顔している狩野さんは穏やかな表情だった。言ってなかったけどやっぱり知ってたんだな。サウくんの状態はすこぶるいい。狩野さんが頑張ったってのがわかる。これに応えられなかったら男じゃない。騎手なんてやめるべき。やる事は決まっているから思い切り行こう。僕は心に決めた。


 盛大なファンファーレが寒空に鳴り響く。歓声と拍手で盛り上がる。サウくんがビビらないか心配で、目線を下げる。なんか、落ち着いてる。理由はわからないけど、安心できた。


 枠入りが始まる。他の馬が次々と深緑色のゲートに入る。僕たちは八枠十六番。最後に入る。この八枠十六番は一番外。有馬記念の行われる中山競馬場芝二千五百メートルでは"死の枠"。今まで勝った馬は一頭もいない。二着が一頭だけで他は全て三着以下。どんな有力馬もこの枠に飲まれ負ける。圧倒的に不利な枠。


 ただ、僕は一切そう思ってない。怖がりなサウくんが他の馬に絡まれる心配がないし、他の馬はスタートが遅い。スピード抜群のサウくんなら簡単に先頭を取れるから不利はない。だからここの枠がどうしても欲しかった。公開抽選で引いた時は思わずガッツポーズをして周りを心配させた。コイツ頭がイカれたと周りは思った事だろう。


 他の馬の枠入りが終わり、サウくんの枠入り。今日は落ち着いているからスムーズだ。ゲートが開く瞬間は緊張する。出遅れは絶対に許されない。全てが終わってしまう。重心を前に置く。開くのを今か今かと待って。


 がこぉん!


 開いた! 遅れた感じはしない。全力で手綱を押しまくる。サウくんはそれに応えてグングン前に行く。少し後ろを向くが誰もついてこない。どんどん離れて大逃げの形になってる。予想通り。内ラチに寄せ、先頭を走る。ここからは僕の腕次第だ。


 一周目の正面スタンドに差し掛かると、名物の大きな歓声が襲う。サウくんの心配をしているが大丈夫。これが本当にサウくんかと疑いたくなるくらい落ち着いている。後ろをもう一度見るが誰もついてこない。


 かなり馬身差がある。千メートルは大体六十秒よりちゃっと速いくらい。周りは少し早いと感じているだろう。だって、サウくんは芝の二千メートルがベストの馬。明らかに適性より長い距離。だからこんなペースならすぐにバテると踏んでいるはず。


 そこが隙。コーナーに入ったら、少しずつ落とす。手綱の動きを小さくして、サウくんに伝える。サウくんも分かっているようで少しずつ落ちてきている。後ろを向くがついてこない。むしろ差が広がる。こっち以上に落としている。三コーナー回っていよいよ終盤。サウくんの蹄鉄音以外聞こえない。誰もいない一人旅状態。スタンドの歓声がどよめきに変わってくる。ここだ。ここが仕掛け所だ!


「サウくん! ゴー! ゴー!!」


 声でサウくんのエンジンが点火する。信じて手綱を押す。今までにないくらい大きく。風を切り裂く音が大きくなる。最終直線に入るとどよめきが歓声に変わる。耳に響く。勝てる。勝てるんだ!


 そう思った刹那。左側に馬体が見える。神さんのビッグサーバー号だ。この馬は今日で引退。勝てば秋の中長距離のG1レース三つを全て勝つ秋古馬三冠を達成する。二頭しか達成できていない大記録に、神さんも気合いが入っていると聞いている。出し抜いたと思っていたけど、神さんも馬も気付いてたみたいだ。このペースのトリックに。でも、負けられない。僕たちだって勝ちたい。サウくんと一緒に勝ちたい!


 必死に手綱を押すが馬体が迫ってくる。負けたくない…負けたくないっ。抵抗虚しく馬体が並ぶ。ビッグサーバーとの末脚勝負では分が悪すぎる。ここまでか……


 ……違う。まだだ。あの時も僕が諦めたから負けた。押せなかったから負けた。またするのか? あの時も馬は答えたのに、またお前が諦めて負けるのか?


 したくない。サウくんの為にも絶対にしない。サウくん頑張ってるのに僕が諦めてたまるか!


「サウくん! ガンバレ! ガンバレ!」


 声を張り上げる。もう一度サウくんが盛り返す。サウくんが前に抜け出す。勝てる! 勝つ! 勝つんだ!


「いける! サウくん! サウくんっ! ガンバレ! いける! いける! サウくん!!!!」


 声が枯れるくらい声を出した。千切れそうなくらい押して、最後は極限まで腕を伸ばす。そのタイミングでゴール板を過ぎる。レースは終わった。


 写真判定と電光掲示板には出ている。一着二着は表示されていない。ただ、乗っていた騎手全員は分かっている。僕とサウくんが一着だという事を。でも、実感がなぜか湧かない。平場や他の重賞を勝った時と同じような気分でしかない。勝ったらもっとドカンと感情が爆発すると思ってたけど、こんなもんなのか? ターフを見渡しながら僕は拍子抜けしていた。


「幸次君、おめでとう」


 息を切らしながら、神さんがこちらに来た。負けて悔しいはずなのに、スッキリとした表情だ。それと当時に恐怖心が出てきた。みんなビッグサーバーの秋古馬三冠見たかったのに、勝って良かったのか。レジェンドコンビの最後を邪魔してしまったのではないかと。声が出なかった。


「なにそんなビビってんの? 勝ったのは幸次君だから、もっと喜びなよ」


「す、すいません。実感も湧かないし、引退の花道邪魔したんじゃないかと思って……」


 思わず本音が出てしまった。そしたら、神さんが馬を寄せて僕の耳元に近づいていた。


「幸次君は優しいからね。僕を気にしてるからだと思うけど、それだったらやめて欲しい。主役は勝ったサウザンドナイト君だ。勝てなかったのは残念だけど、いい勝負だったから、ビッグも強かったてみんな分かってくれる。最後がいいレースになったから良かったよ。だから、胸張って、スタンドのお客さんに応えてくれ。それは主役にしか出来ないんだからさ」


 そう言うと、頼んだよーと言って颯爽と先にスタンドの方へ僕たちを残して戻って行った。サウくんはまだ元気そうだけど、ゆっくりと緑のターフから帰る事にした。


「ありがとう、サウくん」


 ウイニングランでサウくんにそう声を掛ける。何かが返ってくるわけじゃない。でも、嬉しそうだ。勝ってしまったと思ったけど、勝ったのはサウくんだ。僕もしっかりしないと。でも、どんな反応されるかな……まだちょっと怖かった。


 カラフルで熱気がムンムン漂うスタンドが近づくと、音がどんどん大きく響いてくる。怖いけど行かないと終わらない。意を決して向かう。ただ、そこは僕が思う以上に優しく素晴らしい世界だった。


「おめでとう!」


「ありがとう三田!」


「俺ももう一回頑張れる! ありがとう!」


 普段はきつい野次しかないのに、ありがとうの声がいっぱい。感謝と喜びの声しかない。中には泣きながら僕にありがとうって言ってくれてる人もいる。


「サ・ン・ダ! サ・ン・ダ! サ・ン・ダ! サ・ン・ダ! サ・ン・ダ! サ・ン・ダ!」


 どこからともなく、小さいながら自分へのコールが聞こえてきた。神さんのコールはよく聞くけど、僕のは初めてだ。そしたら、それがどんどん大きくなってきた。押し寄せる波のように。どんどんと大きく、僕を包むように手拍子もついて。僕とサウくんを祝福してくれている。


 綺麗だ。美しい。美しいすぎる。こんな絶景見た事ない。瞬きする事さえ惜しいと感じる。一生見られないと思ってた。騎手になって苦しかった時が長かった。辛い思い出の方が多い。でも、この声で全て救われた。報われた。騎手になって良かった……神さん、お祖父ちゃん、ありがとう……


 歪む視界と、流れる水と汗をそのままにして右手を高々と引き上げた。雲間から陽射しが差し込みコールと拍手は一段と大きくなる。サウくんは空に向かって嘶いていた。





 雪が降りしきる十二月半ばの事だった。


「三田さん! 三田さん!」


 栗東トレセン内の狩野厩舎前で記者の浦野さんが僕に声をかけてきた。彼女は僕とサウくんの有馬記念を見て、競馬関係の仕事がしたいで競馬新聞の記者になったらしい。今年で二年目だ。


「どうしたの?」


 僕がそう言うと、浦野さんはスマイルを浮かべていた。


「今週の新馬戦すっごく楽しみで。三田さんのコメントを是非聞きたくて」


 やはりその事かと思って軽く笑ってしまった。


「まあ、いつも通り。どの馬も大事だから」


「そんなわけないでしょ! だって、サウザンドブルーはあのサウザンドナイトの子ですよ! お母さんのマインブルーだって、三田さんの好騎乗で牝馬三冠達成できた名牝ですよ? しかも狩野厩舎で馬主が井川さん。ファンでさえ期待しちゃうのに、三田さんが期待しないわけないじゃないですか?」


 ニヤリとしてる。浦野さんの言う事は間違ってはない。でも、ここで嘘言ってもどうかと思うから、正直に話そう。浦野さんは嘘書かないから。


「とても期待してる。それは本当。ブルくんはサウくんとあおちゃんよりも鈍感でどっしりしてる。図太い。でも、鈍感すぎて鞭を何回も打たないと反応しないし、ガンガン押さないとエンジン掛からない。現時点であおちゃんやサウくん程のスピードはない……。能力はパパとママとは全然違うなぁ」


 苦笑いをして答える。ブルくんは本当に鈍感で調教では目立たない。やる気の有無もわからないレベルの鈍感さで出会った頃のサウくんとは別の意味で手を焼いてる。浦野さんはそれを聞いてちょっとテンションが落ちていた。


「じゃあ、まだ厳しいですかね……」


「いや、そんな事はないよ」


「え? メンタル以外いいとこないような答えでしたけど」


 頭にハテナが浮かんでそうな顔をしている。まあ、無理もないか。だからこれも正直に教えよう。


「なんとなくだけど、サウくんとあおちゃんを超える凄い馬になりそうな気がするんだ。最初はスピードの差で涙を飲む事が多いと思う。でも、感覚的に凄い馬になるって思うんだ。明確な武器はわからないけど、サウくんとあおちゃんを見た僕がそう思うから間違いない。井川さん、狩野さん、騎乗依頼ついでに見に来た神さんもそう言ってる。サウくんとあおちゃんの子だから、絶対乗り越えてくれる。僕が超えさせる。だから、期待していい。記事もいい感じに書いていいから! じゃあ、厩舎の仕事行ってくるよ!」


 僕がそう言って、厩舎の中に行くと浦野さんは嬉しそうに『ありがとうございます』と言って頭を下げていた。


 さて、そろそろサウくんにも会いに行こうか。牧場の人がサウくん僕が来ると喜んで上機嫌だって言ってたし。空いた日を見つけて北海道に行ってこよう。その前に、ブルくんと勝たないとね。手土産がなくなっちゃうから。


 まだ決めていない久しぶりの再会に胸を躍らせていた。差し込んだ光で雪は光り輝いていた。

ここまで読んでいただきありがとうございました


また読んでいただけると幸いです


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