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かつて天才だった僕たちの覚悟

「ビッグサーバー1着ぅっ! 秋古馬三冠達成と共にターフを去ります。さらば! ビックサーバーっ!」




 はっ、と目が覚める。嫌な夢だったと思いながら時計を見ると午前一時。そろそろ、準備をしないといけない。ホースマンの朝はとても早い。それに今日は僕にとってとても大きなレースが行われる。――有馬記念だ。


 日本のホースマンの注目と夢が一番集まるのは東京優駿、通称日本ダービーならば、競馬ファンも含めた国民の注目と願いが一番集まるのは間違いなく有馬記念だ。数回乗った事があるが、ダービー以上の歓声と狂気を含んだ熱気に圧倒される。


 だから、一度も三着以内に入った事がないんだと思う。そこに負けているから。


 ……そもそも僕は一度もG1レースで勝ったことがない。デビュー二十一年目で、九十九回乗って二着が一回と三着が三回だけ。その二着もデビュー二年目の話で、三着も三年前の話。最近乗せてもらう機会は増えたけど五着以内にも入れていない。


 今の僕はその程度の騎手だけど、今年の、今日の有馬記念には全てを賭けたい。サウくんと一緒に栄光を掴みたい。


 グッと拳を握り締めて力を入れる。震えていない。覚悟はちゃんと入っている。よしっ。


 起き上がって、今日の調教とレースの準備を始めた。





 僕が騎手を目指したのは幼い頃に見たレジェンド神樹(じんいつき)さんの影響だ。テレビで見た国民的スターホース、フラッグキャップの引退レース。そこでの神さんの騎乗は幼いながらも覚えている。冷静に仕掛け所を見極め、追い縋る後続を振り切り有終の美を飾らせた。上手い下手は当時はわからなかったけど、歓声に応える左腕でのガッツポーズに脳を焼かれた。


「ぼく、お馬さんにのりたい」


 そう言った時に、競馬が大好きだったお祖父ちゃんがにっこりして喜んでいたのを今でも覚えている。


 その日から乗馬クラブを探して、出来る日は毎日練習をした。競馬関係者のいない家柄だったけど、自分は周りよりも明らかに才能があった。どんどん上手くなって、競馬学校も合格出来た。


 僕は幸運な事に体重が増えにくい体質だったから体重管理も苦労せずに済んだ。精神面であまり苦労しなかったから技術を伸ばしやすく、入学後はさらに上達した。結果、競馬学校史上最高の成績で卒業出来た。


 デビュー年はその前評判と所属厩舎の調教師さん、いわゆる師匠が熱心に多くの騎乗機会を持ってきてくれた。僕も全力で応えようと頑張ったら九十七勝をあげられた。これは当時の最多勝記録で神さんの記録を大幅に更新。


幸次(こうじ)君。君に抜かれてよかったよ。次は君の時代が来るはず。僕も負けられないねぇ」


 記録を更新した日に、神さんから笑顔で声を掛けられた事は頭に焼き付いていて、支えになっている。神さんの期待に応えなきゃ。そう思いトレーニングに励んだ。


 ただ、この栄光は長く続かなかった。年明けも前年のようにいい馬を回してもらった。だけどあまり勝てなかった。色々試しけど、どれも上手くいかないで悩んだ。そんな時に取材を受け、その中で記者の方がこう言う質問をしてきた。


「神さんの馬に乗ったら今より勝てる自信はありますか?」


 なぜこの質問が来たのかがわからなかったけど、僕はこう答えた。


「勝てるかは分かりませんが、神さんが乗るような馬を任せられて負けたら申し訳ないので、全部勝てるくらいの気持ちで乗ると思います」


 そしたら一週間後の記事にはこう書かれていた。


 "三田のビックマウス!!『(じん)の馬に乗れば全部勝てる!』"


 タイトルもそうだけど、中身も全く違うことを書かれていた。僕は周りに違うと言ったけど、神さんや同期、ベテランの騎手以外は信じてくれなかった。神さんに至っては、『あいつがそんな事を言うわけがない』と噂を流す人を一喝してくれていた。それでも僕は信用を失った。後々知ったのは、競馬村出身じゃない僕の活躍が妬ましかったから、嫌がらせで記事を書かれて、周りがそれを信じてしまったらしい。


 そこから依頼が減っていった。決定打になったのはその年の安田記念。最低人気の馬だけど状態が良かったのでなんとかしたいと思い必死に乗った。必死すぎたせいで馬が右鞭で左に大きく斜行する癖を忘れてしまい、後ろの馬に大迷惑をかけてしまった。あわや複数頭での落馬事故になりかけていたが、それにすら気づいていなかった。


 レースは斜行の影響を受けなかった神さんにゴール前で上手く差されて二着。迷惑をかけた上に勝てない。最悪の結果だった。降着にはならなかったが、危険騎乗と見做されて一ヶ月レースに乗れなかった。


 一ヶ月後には僕への騎乗依頼がなくなり、人も居なくなって孤立していく。そこから不幸の連鎖が始まる。師匠と仲違いして厩舎を追い出され、大好きだったお祖父ちゃんも亡くなった。マスコミからは根も葉もない事をたくさん書かれる。信じたファンからは心無い野次やカミソリの入った誹謗中傷の手紙が届いて他人が怖くなった。調教以外で家から出られなくなるまでに堕ちていった。


 その後、神さんが『あんな滅茶苦茶な事をされて辞めて欲しくない』と言って栗東の調教師に働きかけて、今の師匠の狩野さんが『優しくて才能ある子が潰れるのは放っておけない』と言って神さんのお願いに答えて、僕を厩舎に迎えてくれた。お陰でなんとか復活する事ができた。関東から関西に拠点が変わってしばらくは戸惑ったけど、今では慣れて上手くやれてる。これが僕の話。


 今日僕が有馬記念で乗るのはサウザンドナイト号。サウくんと僕が呼ぶ八歳の牡馬だ。競馬界では大ベテランの馬になる。


 デビューから三連勝で、来年のダービーどころか生涯無敗で終わる馬だと評されていた。当時、僕も別の馬で一緒のレースで走ったけど、別格と言っていいくらい強かった。少し後ろのポジションで、その日は前に居る馬がとても残りやすい馬場状態だった。それをものともせず、大外から豪快に鞭無しで差し切ってしまったのだ。その時にこの子は怪物だと思ったのを覚えている。


 だが、満を持して挑んだ牡馬三冠は皐月賞七着、ダービー十着、菊花賞十五着と悲惨な結果に終わる。その後は一度も勝ってない。去年、調教師が引退勧告をしたらしい。それを馬主の井川さんが拒否してうちの厩舎に来たのだ。


 厩舎に来てからは狩野さんが、僕に一任すると言ってしばらくはお世話から調教まで面倒を全て見た。接して分かったのは、サウ君はとんでもないレベルで臆病だと言う事。『サウくん怖くないよー』って言ってそっと近づいてみるところから始めた。一ヶ月後にやっと怯えずに僕に顔を寄せてくれた時はとても嬉しくて撫でたのを覚えている。


 それでやっと調教が始まる。そこで二つ気づいた。まず性格的に逃げしか出来ない。前乗ってた騎手は逃げが嫌いで差しに拘ってしまったのと、あの時に後ろから凄い脚使ったから見落とされたのだろう。そして、鞭がとても苦手で怯えて脚が止まると言う事だ。


 逃げは簡単にできる。スタートダッシュが早いから。ただ鞭は相当悩んだ。鞭はスパートの合図と方向指示の役割がある。視界に入れるだけの見せ鞭さえ使えないから、別の手段を使わないといけない。これが中々思いつかなかった。二ヶ月悩んだけど、十年前の三冠馬の騎手が舌を鳴らして合図をした事に着想を得て、ゴーの声で合図をする事にし、方向は手鞭で伝える事に。半年かけてそれをちゃんと覚えてくれた。


 そこからは今まで勝てなかったのが嘘みたいに、連戦連勝で今日の有馬記念に挑む。サウくんもG1はまだ勝っていない。僕はサウくんと一緒に歓喜を迎えたい。頑張ればいつでもやり直せるって示したい。なんとしてでも勝ちたいんだ。チャンスはこれが最後。負けたらおそらく永遠に来ない。そんな気がする。だから、負けたら引退しよう。覚悟を決めていた。

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