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 それからしばらくして、トランの計画もいよいよ本格始動し多忙を極めていたある日のこと。


「では、トランの現地視察に行ってくる。留守を頼んだぞ。リネット」

「はい! お任せくださいっ。いってらっしゃいませ!」


 屋敷を出ていくファリアスの背中を見送り、リネットはほぅ……と息をついた。

 あのパーティの夜以来、カインの調べは一向に進んでいない。なにしろ仕事が忙しすぎてとてもカインの件まで手が回らないのだ。仕事量が増えるにつれ、まずはファリアスが少しでも心身を休められるよう悪夢をコントロールすることの方が優先になっていた。


 おかげで少々体の疲れを感じはじめていたリネットが、凝り固まった肩をコキコキとほぐしながら中へと戻ろうとしたその時だった。


「大変ですっ! リネットさんっ。お客様が……! ファリアス様のお祖父様――、ギリアム様が秘書に会わせろとっ……!」

「へっ!? 秘書……って、それって私? な……なんでギリアム様が私に?」


 珍しく取り乱した様子で駆け込んできたゴドーの言葉に、リネットの顔からさーっと血の気が引いた。

 ユイール社の会長であるギリアムが秘書の自分になぜ、とびくつきながら慌てて応接室へと向かってみれば、その先で待ち受けていたのは思いもよらない展開だった。


「ええっ? 私にユイール家の家族の関係を修復する手伝いをしてほしい…!?」


 ギリアムの驚くべき申し出に、思わず紅茶にむせ返った。ゲホゲホと咳き込むリネットにギリアムはハンカチを差し出し、続けた。


「実はユイール家はなんというか……、有り体に言えば関係が破綻しているのだ。私と息子であるホランドの関係然り、ホランドとその妻であるローナとの夫婦関係も。そしてファリアスと息子夫婦の親子関係もまた同じく……」 


 ギリアムの用件は、驚くべきものだった。なんと秘書である自分に冷え切ったユイール家の家族関係をどうにか取り持ってはくれないか、というもので――。


「実は先日のパーティで、君とファリアスが随分楽しげに話をしていたと噂に聞いてね。あの子は会話も満足にない家庭で育ったせいか、他者に心を開かないところがある。そんなファリアスが心を許している君ならばもしや力になってもらえるのでは、と思ってここへ……」

「心を……!? ファリアス様が……私に??」


 確かに出会った当初に比べれば心を開いてくれている――というか、慣れてくれたという気もしなくはない。けれどこれが普通になった今となってはよくわからない。


(でもそう言えばあの時も言ってたっけ……。関わり方がわからないって……。あの時のファリアス様、ちょっとだけ寂しそうだったな……)


「で、でも……私はただの秘書ですし、そんなことにまで首を突っ込むのはさすがにファリアス様も嫌がるんじゃ……」


 けれどホランドは引かなかった。どうか話だけでも聞いてくれ、答えはそれからにしてほしいと言って。そして、ユイール家が抱える問題と過去についてぽつりぽつりと語りだしたのだった。


 ユイール家からあたたかな光が消えたのは、ギリアムの妻が病で亡くなってからだった。朗らかであたたかな性質だった妻を亡くし、ギリアムは失意の中ひとり息子のホランドとどう関わればいいのかわからなくなった。そのためまだ幼かったホランドの世話を使用人や教師に任せ、ギリアムは仕事に逃げたのだという。


 愛する妻を亡くした悲しみから逃げるために、仕事に打ち込んだ結果会社はどんどん大きくなった。息子に大きくなった会社を継がせることができるくらいには。けれど――。


「気づけばホランドとの間には深い溝ができてしまって、ろくに言葉も交わすことのない親子になっていた。それはあの子が大人になってからも変わらず……。ならばせめてもの償いに最良の縁談を、と考えたのだが……」


 短い結婚生活ではあったが、ギリアムは妻を心から愛していた。だからこそせめてホランドに良き伴侶をと考えたのだったが、ギリアムが良かれと勧めた婚約者には実は他に男がいた。婚約が結ばれてからもその男と婚約者は密通し続け、結婚後も愛人として関係を続けようと企んでいたらしい。


「さすがにあの子には言えなかった……。相手が男と通じていて結婚後も愛人として密通しようとしていた、など……。だからすぐに他の令嬢との縁談を用意したのだ」


 結局ギリアムはホランドに真相を話すことなく、こちらの縁談の方が利があるからとローナという女性との婚約を結び直した。前の婚約破棄からほんの数カ月後という異例の早さで。


「ローナはホランドと似たところもあるし、誠実に向き合ってくれるのではないかと思ったのだ。それにローナにも年齢的に結婚を急がねばならぬ事情があって、それで強引に婚礼を進めたのだが……」


 当時ローナは、適齢期と言われる年を過ぎようとしていた。それを気にしたローナの父親が一日も早く婚礼を挙げてほしいと頼み込んできたらしい。そこでギリアムは事情をホランドに告げる間もなく、婚礼を急いだ。結果ふたりは、互いのことをほとんど知らぬまま結婚したのだった。


 ギリアムの想像通り、ふたりは物静かで口数が少なく平穏を好むという意味では似たもの夫婦だった。がゆえに関係は一向に縮まることはないまま、間もなくファリアスが生まれた。けれどファリアスが誕生したその日、ホランドは出産直後のローナに『よくやった。しっかり休んでくれ』とだけ言って、さっさと仕事に行ってしまったらしい。


「えっ!? ……それだけ? 子どもが生まれたその日に……たったの、それだけ? ……も、もしかしてファリアス様が生まれたことがあまり嬉しくなかった、とか……?」


 思わず驚きの声を上げたリネットに、ギリアムは首を横に振った。


「いや、そうではない。ファリアスという名前もホランドが何週間もかけて考え抜いたらしいし、寝ているところを起こしてはかわいそうだからとふたりが眠る部屋の前でずっと立ちつくしていたこともあったくらい、ホランドなりに家族を思ってはいたのだ」


 実際ホランドはホランドなりに、家族を大事にしてはいた。けれどローナとは関係が深まる前に子ができたせいか相変わらず会話も少なく、そんなふたりの間でファリアスはいつも困惑していたように見えたらしい。気づけばいつしかファリアスも、口数の少ない淡々とした子どもになっていた。


「そしてファリアスが王立学術院に入学して寮生活をはじめると同時に、ローナはホランドのもとを去ったのだ。今では別居して十年にもなる……。ふたりの間に何があったのかまでは知らないが……。それ以来ファリアスも屋敷に近づくこともなくなって、今では口も聞かなくなってしまった……」

 

 ギリアムはゆるゆると首を横に振り、嘆息した。


「こうなったのも、もともとは私のせいだ……。私がホランドとあたたかい親子関係を作れなかったせいで、孫のファリアスにまで寂しい思いをさせてしまった。だから私が生きているうちになんとかバラバラになってしまった関係を、ましなものにできはしないかと……。そう思ったのだよ……」

「そうだったんですか……」


 リネットはふと出会った頃のファリアスを思い出した。今思えば最初の頃の塩対応っぷりは、怯えていたようにも見えた。もしかするとファリアスは家族との関わり方さえわからず成長してきたせいで、他者にどうやって心を開いていいのかわからないのかもしれない。そのせいで誰に対してもあんな態度になってしまっているのだとしたら――。


(私に心を開いてくれているんだとしたら、それは私が強引に夢を食べてファリアス様の心の中に勝手に入っちゃったせい……。結果的にファリアス様が楽でいられるようになったのなら、それはそれだけど……)


 ギリアムは続けた。


「私もいい年だ……。こんな状態のままのあの子たちを残して死んでしまっては、いずれ妻の元へ逝った時に叱られてしまう。だから……」

「でも……私にできることなんて……」


 けれど気がつけばいつの間にかリネットの中に、ファリアスへの情のようなものが育っていた。あどけなく眠る寝顔を見続けているせいで、母親が子の幸せを祈るような気持ちが育ってしまったせいだろうか。


(なんといってもファリアス様は、ノーマ家のピンチを救ってくれた恩人だし……。ファリアス様のおかげで、前よりは夢食いの力も無駄じゃないって思えるようになったし、借金だって大分返済が進んだしディルの学費だって……)


 リネットは心の中でつらつらと力になる理由を挙げては、自分に言い聞かせていた。これは決して特別な気持ちからすることじゃない、ただの恩返しなのだと。それに自分は、町で知らぬ者はいないほどお人好しなノーマ家の長女なんだし、と。


 リネットは覚悟を決め、顔を上げた。


「わかりました! 私……やってみます。何ができるか今は全然わからないけど……、でもこうして雇っていただいたのも何かの縁ですし、ファリアス様への恩もありますし!」


 その答えにギリアムの目が大きく輝いた。


「そうか……! ありがとう。リネットさん、どうか……どうかユイール家を、ファリアスを頼みます」


 こうしてギリアムは帰っていった。何度も何度も『ファリアスを頼む』と繰り返して――。その顔はどこから見ても、孫を大切に思う優しい祖父の顔をしていた。



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