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「すごいな……」
「本当……。なんだか怖いくらいにきれい……。人間なんてすごくちっぽけで、何の力も持っていないみたいな……」
天上から降り注ぐ星たちに、リネットの心が大きく震えていた。
瞬く星たちに手を伸ばしても決して手が届くことはない。けれどこうして光は届くのだ。誰の頭上にも、こんなに離れた海の上のちっぽけな人間にも。
人はとても弱くて小さくて何の力もなくて、ひとりでは何もできない。けれど心が潰れそうな時も迷った時も、いつだってこうして光で照らしてくれる。
それは儚くて遠くて、なんて怖いんだろう。でもとても優しくて、強い。
リネットはちらと隣で夜空を見上げるファリアスを見やった。
「……ファリアス様」
「……ん? なんだ、リネット」
「皆……私、ファリアス様をずっと信じていたんです。あの約束通り、きっと助けにきてくれるって」
「あぁ……。ちゃんと約束したからな。助けが必要な時は、どんな場所へだってきっと行くと――」
その瞬間、リネットは何かに背中を押されるような気持ちを感じた。
それは、星たちがくれた力だったのかもしれない。
口から自然に言葉がこぼれ出た。
「その時私、わかったんです。……私は、ファリアス様が好きなんだって。魔力なしの私ごこんな気持ちになるなんて、自分でも驚きですけど。でも私、ファリアス様に恋をしています……! とびっきり素敵な恋を」
いつか相談に訪れた、バルデッド夫人が言ってくれた言葉を思い出した。
『きっとあなたもいつか、素敵な愛を知る時がくるわ。きっとね……。だからその時は恐れずに、しっかりと心の声を聞いて愛をきちんとつかまえるのよ。大丈夫、あなたならきっと誰よりも幸せになれるわ。……そのことをどうか決して忘れないでね』と。
その言葉を、しみじみと噛み締めた。
誰かを愛するというのは、なんて豊かなことなんだろう。心がぽかぽかとあたたかくて、ほんの少し寂しくて。全身に感じたことのない力がみなぎっていく。どんなことだって乗り越えられそうな力が。
「あ、別にいいんです。ファリアス様が私をどう思っていても。なんといっても私はもともと雇われのバクなんですし……。でも……」
でも、この恋を大事にしたい。叶わないからと心から追い出したりしたくない。幸せも切なさも痛みすらぎゅっと抱きしめて、宝物にしたい。
そんなことを思った。
「私を見つけてくれて、本当にありがとうございました。ファリアス様の専属バクにしてくれて。未熟な私を秘書にしてくれて、相棒にまでしてくれて……。おかげでたくさんのことを知れました!」
ふとファリアスを見やれば、ファリアスがこちらを驚いた顔でじっと見つめていた。口をあんぐりと開いて。
「あ……いや、その……」
「……? どうかしましたか? ファリアス様」
口をパクパクとさせ落ち着かない様子で目を泳がせるファリアスに、リネットは首を傾げた。
「あ、……だから、だな。つまり……」
「あ、返事は別にいりませんよ? ファリアス様とはこれから先もずっと相棒でいたいと思っているので!」
「は……?? 相……棒……??」
「はいっ! だってこの先もバクの森で相談所のお仕事をしたいですし、それにはやっぱり相棒って立場がいいかなって!!」
元気よくそう答えれば、ファリアスの眉がへにょりと下がった。
「……」
「もしかして……だめ、ですか? 相棒はもう……いりませんか? 特別な感情を持っている人間がそばにいると、仕事がやりにくい……とか??」
ファリアスがぶんぶんと頭を振った。
「そんなわけ……! 私はただ心底驚いて、だったら一歩踏み込んだ関係へと進むのもありなのか、と思ったのに、君がおかしなことを言うから……!」
「一歩……踏み込んだ? なんですか、それ??」
実のところ、リネットは何も考えてはいなかった。
これまでただの一度だって、自分が誰かに恋をするなんて想像もしていなかったのだ。
よってファリアスのいうところの、一歩踏み込んだ関係というのがどんな関係を指すのかもさっぱりピンとこない。
ガクリ……と気が抜けたように肩を落とし、ファリアスは難しい顔で頭を抱え込んだ。
「これはどうしたもんか……」だの、「いや、だが気持ちを持ってくれているのは確かなんだし、ゆっくり進めていけば……」などと、ぶつぶつつぶやいていたけれど。
そんなファリアスを不思議そうに見つめながら、リネットはもう一度空を見上げた。
流星群も、そろそろ終わりに近づいているらしい。濃紺の空を流れ落ちる星たちの数が少しずつ減っていき、今はぽつり、ぽつりと流れるだけだ。
(あぁ……。大変な目にはあったけど、本当によかった。バイランドに行かなかったら、レイナルドたちにも会えなかったしこんな大切な気持ちにも気付けないままだったかもしれないもの……。それにこの星たちだって……!)
リネットは目をそっと閉じ、あらためて願った。
きっと人はとても弱くて、簡単に闇にのまれてしまう。
歪んだ家族の中で育ったラスコトールのように。差し伸ばされたラスコトールの手をつい取って、言われるまま悪事に手を染めてしまったベイラのように。
だからこそ、皆がこの先の人生を幸せに進めますように。
光とともにあれますように、と――。
ザザアアァァァン……。
ザアアアァァァン……。
波音が夜の海に響く。まるで呼吸するように、繰り返し繰り返し。
空には星が流れ、いつしかデルゲンや船長が上機嫌でマダムたちと酒を片手に騒ぎはじめていた。
それぞれの思いを噛みしめるリネットとファリアスの頭上で、一際輝く流れ星がすぅっと光を描いて空を流れていった。
満天の星に見守られるように船は走る。大切な人たちの待つ国へ。
滑るように、けれどまっすぐに――。




