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ザアァァァンッ……。
ザッパアァァァン……。
「……」
「……」
大海原を行く甲板の上には、満天の星空が広がっていた。
マダムとアニタはもうクタクタだとぼやいてさっさと船室にこもってしまい、甲板にいるのはリネットとファリアスふたりだけ。
「……」
「……」
ザアァァァァン……。ザァァァ……。
ザッパアアァァァン……!
たくさん言うべきことがある気がするのに、そのどれも違う気がして言葉として出てこない。
けれど隣から聞こえるファリアスの息遣いと波音がなんとも心地よくて、不思議と心は穏やかだった。
「……なぁ、リネット?」
ふいにファリアスに名前を呼ばれ、夜空を見上げたまま返事をする。
「なんですか? ファリアス様」
「君が無事で、本当に良かった……。もし君になにかあったら、私は家族からも屋敷の者たちからも、君の相談者たちからも袋叩きにあっていただろうからな」
「ふふっ! まさかギリアム様たちやココナちゃんまで心配して集まってくれるとは思いませんでした。それにこうしてデルゲンさんも船まで出してくれて……」
これまでの経緯をあらためて聞き、リネットはどれほど自分が周囲に愛され大切にされていたのかをしみじみと思い知った。
「私……ようやくわかりました。私が本当に求めていたものは、とっくに手の中にあったんだって。私……自分はちっとも残念な人間なんかじゃないって、今はそう思える気がするんです」
以前は、自分には足りないものばかりだと思えて自分にしょげ返っていた。
けれど今は違う。なんだかとても満ち足りていた。
「自分のいた場所から遠く切り離されて、ようやくそのことに気づけました。すごく大変な目にはあったけど……、でもレイナルドたちに出会えてよかった……。とても大切なことに気づけたから……」
「案外自分の足元も、自分の姿も自分では見えないものだからな……。皆誰かに自分を投影して、やっと大切なものに気づくんだろうな。私も日々気づかされてばかりだ」
起きてしまったことも、過去も決してやり直しはきかない。
でもその上に新しいものを積み上げていくことはできる。もっと自分が望む幸せを。結局はその繰り返しだ。
ファリアスが空を見上げたまま、続けた。
「ラスコトールのように、大切なものを見失わなければいいさ。失敗してもその度に言葉を尽くして行動して、大切なものと向き合い続ければいい。何もかもはきっと手には入らないだろうが、少なくともそこから得るものは何かある」
「そうかもしれませんね……」
ラスコトールはついに愛がなんたるかを知ることもできないまま、死んでいった。たくさんの人を不幸にして。
でももしかしたら、ラスコトールの目の前にだってちゃんとあったのかもしれない。自分の闇とちゃんと向き合って家族とまっすぐに思いを通わせ合えば、あんなに悲劇的な結末を迎えずに済んだのかもしれない。
リネットは、ラスコトールの暗く淀んだ意識世界を思い出しそっと目を閉じた。
きっとラスコトールは、今は自分が手にかけた姉の棺の横で眠りについているのだろう。あの暗く淀んだ、何の光も届かない水底で――。それはきっと穏やかな眠りではないだろう。でもそれがラスコトールの選んだ結果だ。
「せめて……レイナルドが幸せに生きてくれたらいい。レイナルドも……ユリシアも……。マダムやアニタも……、もちろんファリアス様も……。出会った人たちが皆幸せでいてくれたらいい……。どんな時も光を見失わずに、まっすぐ人生を歩んでいけたらいいな……」
そんな願いが口からぽろりとこぼれ落ちた。
頭上に瞬く数え切れない星たちを見上げながら、リネットは願った。
どうか自分も皆も、道を間違えずにこの先の人生を歩めるように。
たとえ暗闇にのみ込まれそうになっても、きっと道しるべとなる光を見つけられるように。
そして魔力の代わりに自分に与えられたこの一風変わった力を、そんな誰かのために使っていけるように、と。
「あぁ……、そうだな。私もそうありたいと願っている。もちろん君の人生だ。君がいつも光を見失わずに進んでいけるように、心から祈っている……。リネット」
「はい……」
その時だった。ふと視線の先で何かが流れていった気がして、リネットは目を瞬いた。そしてまた――。
「ファリアス様っ。あれっ!! あそこを見てくださいっ。星が……!」
濃紺の夜空に、すうっと一筋の光が流れて海へと落ちていった。それはひとつまたひとつと数を増やして、次々と空に光の筋を作っていく。
気がつけば、夜の空一面に星が弧を描いて次々と数え切れないほど流れ落ちていた。
「こ……これは……!!」
突如頭上ではじまった濃紺の布地に金の糸で刺繍を施したような荘厳で美しい光景に、リネットとファリアスは言葉を失い呆気にとられていると。
「おおっ!! おふたりともっ、もうお気づきでしたか! これはこの時期ほんの一晩か二晩しか見られない、流星群なんですよっ。実に見事でしょう!」
デルゲンが快活な声とともに、ひょっこりと顔をのぞかせた。
「流星群??」
「あぁ! 実は私も航海の間に一度きりしか見たことがないんだが、数十年に一度こうして一斉にこの方角にたくさんの流れ星が降るんだそうだ。船乗りを長年やっていても、運がよくないと見れないらしい」
「数十年に一度!? それはまたなんともすごい偶然に居合わせたものだな……」
騒ぎを聞きつけたマダムとアニタも船室から飛び出してきて、甲板の上は大騒ぎになった。
皆が空を見上げ、ただその美しさにうっとりと見惚れる。
「まぁぁぁぁぁっ!! 素敵ねぇっ。流れ星なんて、久しぶりにみたわぁっ。ほらっ、アニタ! 願い事なさいなっ」
「はぁ!? そんな子どもみたいなことしないよ! ったくあたしをいくつだと思ってるのよ……」
「でも本当にきれい……! まさかこんなすごいものが見れるなんて……」
「あぁ……。これは見事だな……」
気がつけば歓声を聞きつけた皆が、子どものように目を輝かせ突然にはじまった夜空からの贈り物にうっとりと見惚れていた。




