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ラスコトールの屋敷へと急ぐ道中、ファリアスは聞き覚えのある声に振り返った。
「ちょっと……!! そこの……唐変……木っ!! 待ち……な……ったら!!」
「なんだ。リゼル、お前か……。今急いでリネットのもとに……! 邪魔をするな! ……君がユリシア……か。君までなぜこいつと一緒に走っているんだ?」
 
なぜかユリシアの姿もある。しかも随分と慌てふためいた様子で。
「さっきこの人から……ベイラ……様のお母……の話を聞いて……、それで……屋敷に急ぎ戻ろう……と。ベイラ様は……私の……大切な恩人なんです……! 妹を長年助けてきてくれた……大切な……。だから真実を伝えなければ……と!!」
どうやらユリシアは真実を知り、こうなったら無理矢理にでもベイラをラスコトールから引き離して救い出さなければと考えたらしい。それを伝えるために、こうしてマダムと一緒に屋敷へと急ぎ向かっていたのだった。
「そうか……! ベイラのためとはいえ、君がこちら側についてくれれば助かるっ。ところでリゼル、屋敷の方の首尾はどうなってる?」
その問いにマダムは、ぜいぜいと息を吐きながらにやりと笑った。
「アニタはできる子だもの。あの子に任せておけば、ベイラのかけたロックなんて朝飯前よ! だけど、そろそろベイラとラスコトールが戻ってこないとも限らない……でしょ!? だからこうして……急いで走ってきたのよ。まったく……あの山道を延々走ってきた身になってほしいわ。いくらまだ若いっていったって、さすがに堪えるのよ……」
「ふんっ。大方甘いものの……食べ過ぎで体が……重くなったんだろう!? リネットから……、よく聞いているぞっ。甘いものに目がないと」
「んまぁっ!? ほんっ……と、失礼な男ね、あんたって!! ……まぁ、いいわ! とにかく……今は急ぎましょっ。リネットちゃんが……待ってるわ!」
「あぁっ!!」
ファリアスはマダムとユリシアとともに、ラスコトールの屋敷へと急ぎ向かった。そして――。
「リネット!! 無事かっ」
名前を呼びながら屋敷の前へとかけつければ、そこには鬼のような表情でロック解除に勤しむアニタの姿があった。あれほどの魔力持ちであるアニタがこれほど苦労するくらいだ。よほど念入りにロックを重ねがけしてあるのだろう。
「ファリアス、マダム! あともうちょっとで解除できるよっ! でもなかなか最後のロックが開かなくてさ……。もう気持ち悪いくらいに何度も重ねがけしてあって、ほんっとしつこいったら!! きぃぃぃぃっ!」
苛立つアニタの姿を見たユリシアが、無言ですたすたと玄関へ歩み出ると。
カチャリ……。
「……開いたわよ、鍵」
「……はっ? あんた、誰……って、え? ええっ!? 開いたっ??」
これまでの苦労は何だったのかと呆然とするアニタをよそに、ファリアスは急ぎ屋敷の中へとかけ込んだ。
「あの子を……リネット様とレイナルド様をここから逃がしたいのでしょう? なら早くした方がいいわ。今頃もうベイラ様が屋敷に人が入り込んだのを感知しているはずだから……」
淡々とそう語るユリシアに、静かにマダムが問いかけた。
「……いいの? あなた、ベイラに怒られちゃうんじゃない? 働き口だってなくなっちゃうわよ?」
「私は……、あの人をこれ以上ラスコトールのそばに置いておくわけにはいかないんです。あの人は優しい人なんです。ずっと……私と妹を守ってきてくれたから……。今度は私があの人を守る番なんです。だから……」
振り絞るような声で告げたユリシアの肩を、マダムがぽんと叩いた。
「そ! あなたが自分でそう決めたのなら、私たちも協力するわ。正直ベイラが真実を聞いたところで信じるとは思えないけど……」
「……」
それを聞いていたアニタが口を挟んだ。
「言っておくけど、ベイラがその気ならあたし容赦しないから。黙ってやられるわけにはいかないからさ、徹底的に戦うからそのつもりでいてよね!」
「ええ……。わかっています……」
そして屋敷の中では、ファリアスが急く気持ちを抑えられず大声で叫んでいた。
「リネット! どこだ!? どこにいる? 私だっ、助けにきたぞ! リネット!!」
ファリアスが二階へと続く階段を上ろうと足をかけた瞬間。
「……ファリ……アス……様? ……ほんとに、ファリアス……様……だ……」
車椅子に乗ったレイナルドとともに姿を見せたリネットが、もともと大きな丸い目をさらに大きく見開いてファリアスをじっと見つめていた。
◇◇◇
リネットは階下で何か騒ぎが起きているのを感じ取り、車椅子を押しながら階段の方へと向かった。すでに一階へと続く階段のロックは解除できている。
「さ、行きましょう! レイナルド。いよいよ脱出よっ」
かけ声をかけ、階下へと下りていこうとしたその時だった。聞き覚えのあるその声が聞こえてきたのは――。
「……リネット、行けよ。待ちに待った王子様のお迎えだ……」
そんなレイナルドの声が聞こえた気がする。気がつけばリネットはかけ出していた。
「……っ!!」
ぽすんっ……!!
リネットの小さな体が、見た目よりも大きなファリアスの胸の中にすっぽりと収まった。
「……ファリ……様……。ファリアス……様……! 私……私……!! うわあぁぁぁぁんっ! ファリアス様ぁっ!!」
とめどなく涙が溢れ、リネットはファリアスの胸の中でただただ泣き続けた。こんなにも自分の中に悲しみと不安とがたくさん詰まっていたのかと思うくらいに、ただただ泣きじゃくった。
ファリアスのぐっと力強く抱き締める腕が、少し痛い。けれどそれすらも嬉しかった。やっと自分があるべき所に帰れた、そんな気がしていた。
「ううっ……、うっ、ぐすっ!! うぅっ……! ひっく……、うぅっ……!! ……??」
そしてしばらく泣き続け、はたと我に返った。
「……はっ!? あ……!」
はっと顔を上げれば、ひしと抱き合うリネットとファリアスを見知った顔がずらりと取り囲んでいた。どうやらいつの間にか屋敷の玄関のロックも解除され、いつでも逃げ出せる準備が整っていたらしい。
「あ……ああぁぁぁぁ……あのっ! 私……えーと……」
いつの間にか二階にいたはずのレイナルドも、マダムたちと一緒にこちらをなんとも言えない生温い表情で見つめていた。
「ごごごごご、ごめんなさいぃぃぃっ! 私ったら……ついっ!! えーと、マダムもアニタも……。え、 ユリシア!? なんでユリシアまでいるの??」
いつの間にかユリシアまでがマダムたちと違和感なく溶け込み並んでいるのを見て、リネットはぽかんと口を開いた。するとユリシアはいつもよりは幾分やわらかな表情で告げたのだった。
「……そろそろラスコトール様とベイラ様が戻られる頃です。こんなところでのんびり抱き合ってる場合じゃないと思いますが……?」と。
その発言に一同がはっと身を強張らせたその時、門の方から突然目も開けていられないほどの突風が吹き込んだのだった。
 




