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「リネット。明後日の夜は空いているか?」

「はい? 夜……ですか? まぁ……特に何もないですけど……」

「なら一緒にきてくれ。もちろん時間外手当はちゃんと出す。ごちそう付きだぞ」

「……ごちそう??」


 ファリアスの秘書兼専属バクとなって、早いものでひと月が過ぎた。

 リネットに与えられた仕事は、簡単な事務仕事全般と週三日の夢食いである。夢食いが日課となったことで、リネットの自室も移動になった。ファリアスの寝室と扉一枚隔てた続き部屋、つまり未来の奥方用の部屋に。

 もちろん反対はした。たかがにわか秘書兼バクがそんな部屋を使うわけにはいかないと、猛反発はした。けれど――。


『ちょっと待ってくださいっ! たかが使用人ごときがこんな部屋使えませんよっ。それに一応私も年頃の娘なんですし、隣にファリアス様が寝ていたらとても安眠なんてできませんっ‼』

『ん? 何か問題でも? 扉一枚でつながっているとなれば君も移動が楽だろう? 実に合理的だと思うが』

『でもここって、ファリアス様の未来の奥様の部屋ですよねっ? つまりは鍵一本で互いの部屋を自由に行き来できるってことで……‼』


 いくら色っぽい感情など互いに皆無とは言え、こんなに美麗な男性と隣合わせの部屋で毎日寝起きするなど言語道断、とても安眠できない――、なんて思っていたのだけれど。人は慣れる生き物だった。今では穏やかな寝顔を見守る気持ちは母のよう。夢を食べ終えた後は、続き部屋のふかふかのベッドで朝までぐっすりである。


 そして新しい仕事にもすっかり慣れた。ファリアスも餌付けの効果か、すっかり警戒心を解いてくれたようで今では塩対応どころか時々ぶんぶんしっぽを振っているのが見える気さえする慣れっぷりである。よって時間外労働くらいは、特に異論はないのだけれど。


「もしかしてそれ……例のパーティに同行しろっていう話じゃ……?」

 

 嫌な予感に思わず眉間にシワを寄せながらそう問いかければ、ファリアスが口の端ににやりと笑みを浮かべた。


「まぁ、君は私の隣でただにこやかに笑っていればいい。一応関係先の顔と名前くらいは、今後のために覚えておいてもらえると助かるからな」

「……はい。わかりました……」


 決して自分は秘書がつとまるような人間じゃないし、そもそも専属バクに過ぎないのだけど――なんていう言葉をぐっとのみ込んで、リネットは渋々うなずいたのだった。

 そしていよいよパーティ当日、リネットは慣れない洒落た格好をしてファリアスの隣に立っていた。とはいっても、どんなに着飾ろうとバクはバクなのだけれど。


 キラキラと輝くシャンデリアと軽やかな調べを奏でる音楽の中、リネットはファリアスの半歩後ろでひたすらに笑みを浮かべていた。


「まぁ、今日はずいぶんとかわいらしい方をお連れですこと。もしかして社長になられる他にもおめでたいニュースが聞けるのかしら?」


 シャラリ、と光を反射する大きな宝石をきらめかせた婦人の目がちらと自分に注がれた。すかさず外向きの笑みを浮かべたファリアスがそれをさらりとかわす。


「残念ながら彼女は私の秘書です。皆様のご期待に添えるようなニュースは当分お聞かせできそうにありませんよ」

「まぁ、それは残念なこと。でもほっとされる女性は多いでしょうねぇ。あなたの妻の座を狙っている方はたくさんいらっしゃるもの。ふふふっ」


 すると今度は、かたわらにいた紳士がどこか媚びた笑みを浮かべファリアスに声をかけた。


「トラン地方の例の宿泊施設が完成するのは、来年の秋頃だったか。いやぁ、楽しみだ。まさかユイール社が良質な温泉を掘り当てる運まで持っているとは思わなんだ! きっと皆こぞって宿泊したがるに違いない」

「でしたらぜひ今後ともご助力をお願いいたします。あなたほどの力ある方がお力添えくだされば、きっと他の皆様もあとに続いてくださるに違いありませんから」

「はっはっはっはっ! まったく抜け目のないところはギリアム会長とホランド社長にそっくりだな。ぜひそうさせてもらうよ!」


 このパーティは、ユイール社が今度トラン地方に建設を予定している温泉宿泊施設への資金援助と宣伝を兼ねたものだった。そのため、もうかれこれ一時間以上も休みなく挨拶に追われていた。


(ううっ……。そろそろ顔の筋肉がつりそう……。なんでファリアス様はずっと変わらずにこやかに笑ってられるの!?)


 とはいえそれはあくまで取ってつけたような仕事用の笑顔に過ぎないのだが。さすがに表情筋がそろそろ限界か……と思われたその時。


「……おや? 君はオットーの娘さんじゃないか? あのオットーの。ふん……、やはりそうだ。まさかあのオットーの娘がユイール社の御曹司の秘書をしているとはな……」


 でっぷりと腹の突き出た感じの悪い笑みを浮かべた男に不意に話しかけられ、リネットは思わず頬をひくつかせた。


「ファリアス殿、なぜあなたがこんな者を連れ歩いているのですかな? 商売仲間に騙されて借金まみれになった男の娘と一緒にいるなど、せっかくの運を落としますぞ」


 男はちらとリネットに視線を移し、続けた。


「お父上は元気かね? 借金を抱えて逃げた友人などさっさと見捨ててしまえばよかったものを、お人好しとは損な性分だな。そのために会社まで畳んで家族にまで苦労をかけるなど、いい笑い者だ。そんな者の娘がファリアス殿の秘書をしているなど、ユイールの名に傷をつけるも同然とは思わんのかね? まったく……」


 どうやらこの男は、オットー家の借金事情や事の経緯をよく知っているらしい。けれど身も知らない人間に、父の思いや大事な家族を馬鹿にされるいわれなどない。

 リネットは腹の底から沸き上がる怒りをなんとか押しとどめ、男をまっすぐに見据えた。


「……確かにあなたのおっしゃる通り父はお人好しですが、私たち家族にとっては尊敬に値する父親です。それに私の家の事情とファリアス様には何の関係もありません」


 まさか言い返されるとは思ってもみなかったのだろう。男はひくり、と口元を歪ませると。


「なっ……⁉ お、お前のような者がそばにいてはユイール社にまでケチがつきかねんのだぞっ!? それなのにお前は、そんな生意気な口を……」


 男の言葉をさえぎったのは、ファリアスだった。


「私の秘書に何か問題でも……? 彼女は実に真面目で有能な、私の大切な秘書だ。それに私が誰を秘書に置こうと貴殿には関係のないことだろう? これ以上私の秘書を侮辱するようなら……」

「いや……その……、私はただ、ユイール社の未来のためにもいらぬ火の粉は遠ざけておく方がいいかと……! ま、まぁいいっ。失礼……!」


 どんどん凍りつく場の空気を察したのか、男は悔しそうに吐き捨てると慌てて立ち去っていった。


「すみません。大事なお客様に向かってあんな口を……」

「いや、だが本当なのか? 君の父親が友人の借金を返済するために会社まで畳んだというのは……」


 こうなってはすべてを打ち明けるより仕方がない。リネットは借金を抱えることになった事情をファリアスに洗いざらい打ち明けたのだった。


「なるほど。それは確かにお人好しには違いないな。それで君は私のところで働くことにしたのか……」


 リネットは首をすくめ、小さく笑った。


「ノーマ家は全員筋金入りのお人好しですからねっ。だから借金返済に追われる毎日だって、皆へっちゃらなんです!」

「そうか……。でもまぁ、君がお人好しを発動してくれたおかげで私もやっと眠れるようになったんだ。君がお人好しであることに感謝しないとな」

「へへっ! そう言っていただけると嬉しいです」


 嬉しさに頬を染めはにかめば、ファリアスがなぜかふと表情を曇らせた。


「ん? どうかしましたか? ファリアス様」

「いや……ただ君たち家族はとても仲がいいんだなと思ってな。そんな苦労をしていてもギスギスすることなく幸せそうで……。正直私には、家族というものの価値がよくわからないんだ。なんというか……どう関わっていいかわからないというか」

「関わり方が……わからない?」


(そう言えば、ファリアス様が家族について話しているの聞いたことないな……。もしかしてあまりうまくいっていないのかも……? せっかく同じ会社にお祖父様もお父さんもいるのに……)


 そう言えば、ファリアスは使用人たちをまるで家族のように扱っている気もする。それが本当の家族とはうまく接することができない代わりなのだとしたら、ちょっと寂しい気もする。


「そんなあたたかい家庭で育ったんだ。君はいつか幸せな結婚をしてあたたかい家庭を持つんだろうな……」


 その言葉に、リネットは苦笑して首を大きく横に振った。


「それは絶対ないですよ! だって私、魔力なしですもん。誰も魔力なしの私と結婚なんてしたがりませんよ! 子どもまで魔力なしだったらかわいそうですし!」

「かわいそう……?」

「はい。だから私は一生ひとりで強くたくましく、仕事をバリバリして生きていくつもりなんです! ほら、あのマダムロザリーみたいに!」


 わざと明るくカラリとそう告げれば、なぜかファリアスの顔が一気に曇った。


「なんでそこでマダムロザリーの名前が出てくるんだ……。よりにもよってあんなやつ……。いや、まぁいい。と、とにかく! 君はそんなに卑屈になる必要などない。魔力なしだからといって、誰も君を望まないなどありえない。……私はそう思う」


 そのなんともファリアスらしくないなぐさめの言葉に、リネットは一瞬目をぱちくりとさせ小さく笑った。けれどその言葉はじわりと心の中に残って、リネットの頬をしばらくの間赤く染めたのだった。


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