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「リネットちゃぁぁぁんっ!! おっひさ〜! ようやくリネットちゃんの近くにきたわよ〜」
その声にリネットはぱぁぁぁ、と満面の笑みを浮かべた。
「その声は、マダム!! きゃあぁぁぁっ! 嬉しいっ、やっとマダムの声が聞けましたっ!! 助けにきてくれてありがとうございますっ。それに色々と調べてくれたみたいでっ!! おかげさまでなんとか光が見えてきたみたいですっ」
歓喜の声を上げはしゃぐリネットとマダムの様子に、レイナルドがなんとも言えない渋い顔を浮かべていた。なんとなくだが、それと同じ顔をきっとファリアスもしているに違いないという気がする。
「あぁ、そうそう! でラスコトールのことなんだけどねっ。実はとっておきの秘密兵器があるの! これを使えばベイラとラスコトールのふたりをいっぺんにまとめて足止めできるはずよぉ!!」
「ふたりを……足止め?? なんだ、その秘密兵器というのは?」
ファリアスの問いかけにマダムはふふん、と得意げに鼻を鳴らすと。
「これよ! これがシュテルツ家特製の強力な魔力封じアイテムでしょ。で、こっちは私が作り出したとっておきの美容薬よ!!」
「おい……、ちょっと待て! 魔力封じはともかくとして、なんだ。その美容薬ってのは! そんなものがラスコトールを追い出すのに何の役に立つと……」
言いかけたファリアスを、マダムが黙らせた。
どうやらその美容薬というのは、少々荒療治的な効能を持つ薬であるらしい。
「ふふふふっ。実はこの薬はね、美容として使う分にはとっても魅力を引き出す優れものなんだけど使い方によってはとっても困った副作用が出ちゃうのよ〜。これをラスコトールに盛ればきっと小一時間は身動きが取れなくなるんじゃないかしら?」
なぜだかとっても嬉しそうなマダムの様子に、一同はあえて突っ込むことなく苦笑するに留めた。まぁつまり、世の中にはあえて知らないほうがいいこともあるということだ。
「えーとじゃあその美容薬とシュテルツ家特製の魔力封じを使えば、ラスコトールをこの屋敷から長時間引き離せるってことですか? でもよっぽどの用事じゃなければ、ラスコトールは屋敷を出もしないんじゃ? 普段の仕事だって基本的には屋敷の中で済ませることが多いみたいだし」
とはいってもほとんどラスコトールと屋敷内で顔を合わせることはない。それはレイナルドも同じだった。親子だというのに会話どころか顔も見にこない関係なのに支配はしたい、というのは相当に歪んでいる証拠だろう。
「それは私に任せてくれ。昔ユイール社はべリビア製菓と仕事のやり取りをしたこともあるし、ギリアムの孫だと言えばおそらくラスコトールも無視はできないだろうからな」
「えっ!? そうなんですか。ギリアム様も昔ラスコトールに会ったことがあるんですね……。さすがは天下のユイール社ですねぇ」
はるばる海を超えてお隣の国の大会社とも付き合いがあるなんて、あらためてものすごい会社の御曹司の秘書になったものだと驚きを隠せないリネットである。
「じゃあ話は決まりね! ファリアス坊っちゃんはラスコトールを仕事と称して呼び出して、しばらく足止めをする。同時にベイラも結婚式のあれやこれやで屋敷を出ざるを得ない状況に追い込んで、ひとり屋敷に残ったユリシアは妹の病状がどうのこうのと偽の情報で呼び出して、結果屋敷は空っぽ! これでいいかしら?」
「はいっ!! うぅ〜っ! いよいよ……いよいよここから出られるんですね……。もう一生このお屋敷から出られないと落ち込んでましたけど、やっと皆のもとに戻れるんですね! 私!」
リネットの心は浮き立っていた。もちろんまだ計画段階に過ぎないのだし、うまくいくかどうかだってわからない。不測の事態が起きることだってなくはないのだし。
けれど心強い味方がこんなにたくさんそばについていてくれるのだ。そのことがリネットを奮い立たせていた。
「私っ、無事にここから脱出できるまではもう絶対に泣きませんっ! ねっ、レイナルド! 頑張ろうねっ!!」
運命共同体であるレイナルドをにっこりと笑顔を浮かべ見やった。
「……あぁ。そうだな! これを逃したらきっともうチャンスは巡ってこない……。母の無念を晴らすためにも、母が遺した願いを叶えるためにもしっかりしないとな! やるぞっ、リネット! ファリアスもえーと、マダムも……それからアニタだったか? とにかく皆、よろしく頼むっ!!」
「あぁ、任せろ。必ず助ける」
「まっかせといて〜!! アニタとふたりでちゃっちゃとロックもベイラも片付けちゃうから安心してちょうだいっ!」
通信魔具の向こうから聞こえる頼もしい声に、リネットはレイナルドを顔を見合わせ明るい声で笑ったのだった。
けれどリネットは、心の中でもうひとつ決めていたことがあった。
ベイラもラスコトールにいいように利用され大切なものを奪われた被害者だと知った今、このままにはしておけない。だったらどうにかしてベイラをラスコトールの手の内から救い出す手段はないだろうか、と。
もちろんこれまでに冒した罪は消せない。けれどもし真実を知ればきっと、ベイラだってラスコトールが自分にとって恩人などではないと目が覚めるに違いない。そのためには、真実をベイラに突きつけるしかないのだけれど――。
(でも少なくとも今のベイラに何を言ったってきっと信じない……。何か決定的な証拠でもあれば……でも薬をラスコトールに渡した医者も殺されちゃってるし、当時の病院だってもうない……。それに私にできることなんて、せいぜい夢の中に入り込んで過去の記憶を読み取るくらいしか……)
リネットはひとり、そんなことをぐるぐると頭の中で考え続けていた。
それからしばらくして、ベイラは屋敷を空けることが多くなった。理由はもちろん、結婚式の準備に追われてである。
レイナルドが予想した通り、べリビア製菓の跡継ぎの結婚ともなれば、さすがにラスコトールも体裁を整える必要があると観念したらしい。渋々実に凝りに凝った婚礼衣装を仕立てるためにベイラを借り出し、記念写真のための撮影技師を屋敷にごく短時間入れることを承諾した。
そしてレイナルドは屋敷内の監視が甘くなった隙を見計らい、せっせと一階に通じる階段に張り巡らされたロックを緩めるべく励んだ。そしてようやくロックの解除まであと一歩というところまで迫った頃――。
時を同じくして、ファリアスはラスコトールにとある商談を持ちかけたのだった。ギリアムからの丁寧な手紙も添えて。
さすがにそこまでされては断りきれなかったのだろう。ファリアスが指定した港近くの場所で顔合わせをすることが決まったのだった。
脱走計画実行の日は、着々と近づいていた――。




