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すべてを聞き終えたリネットとレイナルドはあまりの衝撃にしばし沈黙し、ようやく声を振り絞った。
「そんな……そんなひどいことが……。いくら自分の欲を満たすためだからって、あまりにひど過ぎる……。助けてやると言って魔力を使って人殺しまでさせておいて、その裏で母親を手にかけたなんて……」
ファリアスによれば、ラスコトールが病身の母親を抱え悲嘆に暮れていた年若いベイラに近づき、この先一生自分に忠実に仕えると約束するのなら母親が死までの時間を苦しまず穏やかに過ごせるよう手を尽くそうと提案したらしい。ベイラはそれに涙して忠誠を誓い、母親は屋敷から離れた立派な病院で最期の時を過ごすことになったのだった。
ベイラはその日からラスコトールの忠実な駒になった。言われるままにレイナルドの母親を魔力を駆使して監視下に置き、とうとう列車事故に見せかけて殺したのだ。普通ならば何かおかしいとあやぶむだろう。けれど母親を救ってくれたという恩義を感じていたベイラの目には、ラスコトールの命令は絶対だった。その曇った心には、事の善悪などすでにわからなくなっていたのだろう。
そんなある日ラスコトールはベイラの母親を見舞うふりをして病院を訪れ、命を奪ったのだ。さも長い病に苦しみつつも最期は穏やかな死を迎えたと見せかけて――。ベイラはそれを信じた。ラスコトールが助けてくれたおかげで病気に苦しむこともなく、穏やかな最期を迎えられたのだと信じて疑わなかった。
その真相を今も知らないまま、ベイラはラスコトールの忠実な駒として仕え続けていたのだった。
「ベイラの母親を手にかけたのは間違いなくラスコトール自身だ。簡単には殺しとわからないような薬を、そこの医者を多額の金で買収して用意させたらしい。だがその医者もまもなく謎の事故で死んでいる……。おそらくはラスコトールが口封じをしたんだろうな……」
「それってつまり……、立証する手立てはもう残っていないってことですか?」
「あぁ……。何しろ今から十年近くも前のことだし、その病院ももう潰れてしまって当時を知る関係者を探し当てるだけでも相当に苦労したからな……。おそらくは罪を立証するのは難しいだろう。決定的な証拠でも出てくれば別だが……」
「そんな……」
あまりに救いのない話に、リネットは深くうなだれた。ベイラに罪がないとは言わない。そんなことは絶対に言えない。けれどベイラもまたラスコトールに利用された被害者のひとりだったのだ。自分たちを同じく、歪みきった支配欲に翻弄された――。
レイナルドが低くうめいた。
「ベイラも、俺もお前も……その医者も……! 皆あの男のいいように転がされて……どこまで腐りきってるんだ。あいつはっ!! あんな男と同じ血がこの体に流れていると思うと……反吐が出そうだ! くそっ!!」
強く握りしめたレイナルドの拳がわなわなと震えていた。リネットはそんなレイナルドにかける言葉もない。自分の父親のせいでまわりの人間が次々と不幸になっていくのだから。その心中はどんなにか辛く苦しいだろう。
「……だからこそ、終わらせるんだ。何もかも……。このままあの男をのさばらせておくわけにはいかないからな……。だからレイナルド、お前にとっては実の父親を破滅させる結果になるかもしれないが覚悟してくれ」
レイナルドの抱える苦しみを慮るようなファリアスの苦しげな言葉に、レイナルドは。
「あぁ……。とうにその覚悟はできている。俺の母親が殺されたあの日から、とっくにな……。ファリアス、よろしく頼む……。お前たちの助力がなければこの悪夢はどうしたって終わらせられないんだ。リネットをここから自由にしてやるためにも……どうか……」
そうは言いながらもきっと複雑な感情が吹き荒れているのだろう。レイナルドの声は少し震えていた。それにファリアスは「わかっている。絶対にお前もリネットもそこから助け出す。だから一緒に戦おう……」と答えたのだった。
こうして強力な味方を内外に得たリネットは、その日から密に交信を重ねこれからの脱出計画について話し合った。
「ユリシアをおびき出すのはなんとかなるとして、問題はラスコトールとベイラだな……。ふたり同時にある程度長い時間屋敷から引き離す必要がある。こちらには強い魔力を持ったアニタがいるとは言え、お前たちを逃がすまでの間ロックの解除にかかりきりになるだろうからな。その前にベイラに邪魔をされては敵わないからな……」
「確かにいくら俺よりもはるかに強い魔力があったとしても、ロックを解除するにはそれなりの時間がかかるだろうな……。となると何か時間を要する用件をラスコトールとベイラに押しつければ……?」
レイナルドが首をひねった。そして何かを思いついたように、はっと目を見開いた。
 
「何か名案を思いついたのっ!? レイナルド」
その様子にリネットが目を期待に輝かせ問えば、レイナルドがにやりとほくそ笑んだ。
「リネット! 俺とお前は結婚することになっている。そうだな?」
「え……?? え、ええっとまぁ……ラスコトールはそのつもり……みたいです、けど?」
にわかに通信魔具の向こうから冷気が漂ってきた気がして、リネットは顔を引きつらせた。するとレイナルドは。
「結婚と言えば婚礼衣装も必要だし、記念撮影なんかも当然するよなぁ? だったらそれを逆手に取って、ラスコトールとベイラに無理難題を押しつければいいんだ。屋敷を離れなければ用意できないような手の込んだ婚礼衣装の注文をつけるとか、式を挙げるのは無理でもせめて記念撮影くらいは思い出として残したい、とかさ」
「はい……?? 手の込んだ婚礼衣装に……記念撮影??」
するとファリアスがなんとも形容しがたい憎々しげな声をもらした。
「ん? どうかしましたか? ファリアス様。今何かおかしな声が聞こえましたけど……」
けれどその問いかけには答えず、ファリアスは大きな咳払いをひとつすると。
「確かにお前は曲がりなりにもべリビア製菓の跡取り息子だからな。となれば一応は公に結婚したことを発表しなければ不自然だ。となれば当然写真の一枚くらいは撮る必要もあるだろうな。……もっとも相手が隣の国から誘拐されてきた娘などと知れたら大変だから、リネットの身元がわからないようにベールか何かで隠し通すに決まってるが……」
「ならお前もこの案に賛成ってことでいいんだよな? ファリアス」
レイナルドのまるで挑発するかのような物言いに、またしてもファリアスがおかしなうなり声を上げた。
(何なの? さっきからこのふたり、おかしな空気を漂わせてるけど?? でもなんかこの感じ、はじめて会った頃のミルジア様を彷彿とさせるような気が……??)
リネットは首をひねりつつも、気を取り直し口を開いた。
「じゃあレイナルドがラスコトールに注文するのに手間暇がかかりそうな衣装を頼み込んで、ベイラを屋敷から追い出すことにしましょうか! ユリシアじゃあべリビア製菓の御曹司の結婚にふさわしい衣装のオーダーなんて手に余りそうだし、きっとベイラがやるしかないですもんね!」
普通ならば衣装のオーダーや採寸といった作業は屋敷にデザイナーを呼んでするものだろうが、この屋敷にラスコトールが外部の人間を入れるとは到底思えない。となればベイラが店に出向くより仕方がないだろう。写真撮影にしたって、一時撮影技師を屋敷に入れるのは仕方ないとしてもすべての用意をベイラが事前にしておけばささっと終わらせられるに違いない。
(ふふっ! きっとベイラはしばらく大忙しね。ドレスのオーダーに撮影の手配に前準備に……。ベイラが屋敷から離れた隙に、ユリシアを妹が病気だってだまして外に追いやれば屋敷は無人になるはずっ! そうなったらきっと逃げ出すことだって……!!)
いよいよ希望の光が差し込んできたとばかりに、リネットの顔も明るく輝いた。
「安心するのはまだ早いぞ、バク。問題はラスコトールだ。あいつは仕事で屋敷を空けるとは言え、そうそう長時間離れることはないからな。きっと自分の監視下に常に置いてないと不安で仕方ないんだろうが……」
「うーん……。確かにベイラとユリシアがいなくなったところでラスコトールが屋敷にいたんじゃ、なんの意味もないかぁ……。でも警戒心の強いラスコトールのことだもん。よほどのことがない限り、屋敷を長時間空けるなんて……」
通信魔具を挟み、三人はしばし頭を悩ませた。するとそこに――。




