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そうしてひとしきり泣いた後、リネットはファリアスと久しぶりに語らった。
「じゃあやっぱりマダムとアニタもこの国へきてくれているんですねっ! やったっ! それなら百人力ですっ。よかったぁ……」
通信魔具の向こうから聞こえてきたファリアスの言葉に、リネットは心の底から安堵した。
「君の行方がわからなくなってすぐラスコトールの仕業だとわかって、デルゲンの知り合いだという船長の船でバイランドへきたんだ。君が無事で本当によかった……。まったく生きた心地がしなかったぞ。まったくこのバクめ」
「ふふっ! 私もまたこうしてファリアス様とお話できて嬉しいです。あの時の約束、ちゃんと守ってくれましたね!」
「当たり前だ。言っただろう、必ず約束は守ると」
魔具の向こうから聞こえてくる声が、どこか甘い。その甘さに頬を緩めにまにまとしていると、隣のレイナルドから大きな咳払いの音が聞こえてきた。
「あ、そうだ! ファリアス様、紹介しますねっ。レイナルドはラスコトールの息子で、私と一緒にラスコトールとこの屋敷から脱出する同士なんですっ。レイナルド、向こうにいるのが私の相棒のファリアス様です! ユイール社っていう大きな会社の御曹司で、私はファリアス様の秘書兼専属バク……じゃなかった。ええと、相棒なんです」
「秘書兼……専属バク?? なんだ、そりゃ? まぁいい。ちょっと代わってくれ」
なぜか先ほどから仏頂面のレイナルドが、ファリアスに向かって語りかけた。
「……ごほんっ! もしもし……あー、俺はレイナルド。リネットからも話があったが、俺もここから逃げるつもりでいる。お前たちには迷惑をかけるが、リネットを無事に逃がすためにも手を貸してもらいたい」
一瞬の間をおいて、ファリアスが言葉を返した。
「あぁ。べリビア家の内情や過去についてはこちらでもすでに調べを進めている。例の列車事故がおそらくはベイラという魔力持ちのメイドによるものだということも、な」
「……そうか。ならば話は早い。俺たちは自分たちの自室がある階からは出られないようになっていて、常にベイラとユリシアという名のメイドふたりに監視されている。一応俺が時々は一階に下りるためのロックは緩めて回っているが、正直この階から出られるだけじゃ逃げ出すのは難しい。だから……」
「わかっている。屋敷の外からロックは解除する手筈を整えてある。こちらにはアニタというとんでもない魔力持ちがいるからな。ベイラとはいい勝負だろう」
「ふん……。伊達に大会社の御曹司をやっているわけでもなさそうだな」
どこか敵意をにじませたその言葉に、一瞬魔具の向こうでファリアスが沈黙した。
「あ……あの、ファリアス様?」
なぜだろう。ふたりの間に火花が散っているような気がするのは。
リネットはなぜか張り詰めた空気に割って入った。
「えーと、それでマダムたちの調べはどの辺りまで進んでるんですか? きっとマダムのことだから、ラスコトールのこれまでの悪事なんかも洗いざらい調べ上げてそうですけど」
リネットの言葉にファリアスは何事もなかったかのように続けた。
「あぁ。色々とわかったことがある。だがまずは互いに共通認識をここで確認しておこう。ひとまず君たちが安全に屋敷を出るためにはラスコトールはもちろん、ベイラとユリシアをその屋敷から一時的に引き離す必要がある。そのために、まずはユリシアを偽の情報で屋敷の外におびき出すつもりでいるんだが……。山の上に療養院があるだろう? あそこに、ユリシアの妹が入院しているようだからな」
「あっ、それなら昨日ユリシアが月に二度半休の日に、そこに通い詰めてるって突き止めたばかりですっ。レイナルドに中からロックを緩めてもらうためにも、どうしたって監視の目を減らさなきゃと思って……」
リネットが興奮気味に告げれば、ファリアスが小さく笑った。
「そうか! それを忍び込ませられたのは君のおかげだったのか。昨日外出したユリシアの荷物にそっとそのピンを忍ばせておいたおかげで、こうして交信ができるようになったんだからな。ずっとメイドに近づく機会をうかがっていたんだ!」
「えっ!? じゃあ昨日私が口紅をユリシアに頼んだのが功を奏したんですねっ。よかった! 運は私たちに味方してくれてるみたいですねっ」
リネットが事の顛末をファリアスに語って聞かせれば、ファリアスもまさかの偶然に驚いた様子だった。
「そうか……。こうして君と話ができたのも、君が町に行くよう仕向けてくれたおかげというわけか。くくっ! さすがは私の相棒だ。頼りになるな」
「へへへへっ!」
ほめられてつい舞い上がった自分をレイナルドが冷めた目で見ているのに気がつき、慌ててリネットは表情を引き締めた。
「でもユリシアの妹さんってそんなに悪いんですか? あの療養所って長く病気を患っている人たちが入院してるってレイナルドに聞いたけど……。他に家族はいないんですか?」
別にユリシアにこれといっていい感情を抱いているわけではないが、病気の妹がいると聞くと少々気にはなる。するとファリアスは。
「両親は早くに亡くして妹とふたりで身を寄せ合うように暮らしていたらしいんだが、ある日妹がそう簡単には治らない病気だとわかって途方に暮れていた時に、ベイラに声をかけられたらしいんだ。ラスコトールの屋敷でメイドとして自分の手伝いをするのなら、妹の面倒を自分がみてやると。それで働き出したんだ。その屋敷からならいつでも会いにいけるからな」
ファリアスによれば、ベイラのその申し出のおかげで高額な入院費を払うことができ延命できているらしい。ユリシアひとりの力ではきっととうに死んでいただろう妹を助けてくれた恩を感じて、あれほどまでにベイラに心酔しているのだった。
「ベイラがユリシアを……。ふぅん……。案外ベイラにも優しいところがあるんですね……」
ベイラがこの屋敷にきたのはレイナルドの母親が亡くなったあの事故の半年ほど前のこと。ラスコトールがベイラを雇ったのはおそらくその魔力を利用したいがためだろうが、ユリシアにはこれといった力はない。となればきっとベイラがユリシア姉妹に同情を寄せたのを理由に、ラスコトールに口利きをしたのに違いない。
「そのことなんだが……。実はベイラも家族を早くに亡くしているんだよ。父親はベイラが生まれる前に死に、その屋敷にくるまではたったひとりの家族である母親とふたり暮らしだったらしい」
「ベイラも母親が病気だったんですか!?」
思わぬ符号に、リネットはレイナルドと顔を見合わせた。
となると病気の家族を抱え苦労しているであろうユリシアに、ベイラが共感して助けの手を差し伸べたということなのだろうか。
ファリアスは続けた。
「だが、その母親が死に至る病にかかり寝たきりになったんだそうだ。が当時ベイラはまだ十七歳になったばかりで、治療費どころか生活もやっとの有り様だったらしい。当然病がどんどん悪化していくのをただ見ているしかできない状況だった。そこに現れたのがラスコトールだったんだ……」
「……ラスコトールが!?」
そしてファリアスは、ベイラとラスコトールが出会ったその経緯ととある疑惑について話してくれたのだった。もしかしたらこの脱出劇の大きな突破口になるかもしれない、けれどあまりにも衝撃的な疑惑を。
その話に、リネットとレイナルドは言葉を失った。ファリアスからもたらされたそれはにわかには信じがたく、残酷なものだったから――。




