1
翌朝、リネットは会うなりレイナルドにとあるものを手渡された。
「おい、リネット。これ、もしかしてお前の持ち物か? 昨夜屋敷のロックを緩めてまわってる時に、廊下に落ちてたのを拾ったんだが……」
そう言ってレイナルドが差し出したのは、小さな髪飾りだった。
「いえ……? そんなもの私持ってませんけど……。でもなんかこれ……バクの形に似てません?」
「だろ? だからてっきりお前のものなのかと思ったんだが……。まさかこんな子どもっぽいもの、ベイラやユリシアが使うはずないしな」
確かにこんなかわいらしいデザインのものをあのふたりが使うとは考えにくいし、この屋敷の内部に部外者が入り込むことも考えられない。そもそもこんなもっちりふわふわな白黒の生き物は自然界には実在しない。ということは――。
「まさか……そんな。いや……、でももしそうだったら……!」
その可能性に、リネットの心が大きく浮き立った。
(これって、前にファリアス様がカインと一緒に開発中だって言ってた新作グッズによく似てる……。ということはまさかこれは……)
リネットはそれをぎゅっと握りしめ、声を弾ませた。
「これはもしかしたら、とんでもない朗報かもしれませんっ! 待ちに待った打開策かもっ!!」
「は……? 打開策?? なんだそりゃ」
「だってこれは、ファリアス様がカインと一緒にデザインしたものに違いないですもんっ!!」
「……は? ファリアス?? 誰だよ、それ……」
なぜか急におもしろくなさそうな表情を浮かべたレイナルドとは対照的に、リネットの心は弾んでいた。きっとこれは自分を助けにきたファリアスが忍び込ませたものに違いない。どうやってロックをかいくぐって屋敷の中に忍び込ませたのかはわからないけれど、それ以外に考えられない。
「もしかしたら……ファリアス様が近くにいるのかも。私を助けにきてくれたのかも……」
いつかのファリアスの言葉がよみがえる。
『もしどうしても困ったことや助けが必要になった時は、いつだってどこにいたって私がかけつける。必ず君のもとへ飛んでいって、君を助けると約束する』というあの言葉が――。
「きっとそうです……! ファリアス様が……あの約束を……あの約束を守って、私を助けにきてくれたんですよっ。レイナルド様っ!!」
「そのファリアスってやつ、何者なんだ……?」
「へ……? ええと、ファリアス様はユイール社の御曹司で……私はファリアス様の相棒なんですっ!」
「相棒……??」
「はいっ! ……ってなんでそんなに怖い顔してるの? レイナルド」
「……ちっ! なんでもない……」
どうもレイナルドはご機嫌斜めらしい。けれど今はそれどころではない。なんといってももしファリアスやマダムたちが自分を助けにはるばるバイランドまできてくれたのなら、それはとんでもない朗報だ。しかもマダムがいるということは、シュテルツ家の力もバックにあるということ。その上アニタというベイラに匹敵する魔力も味方につけられたということなのだから。
「ようしっ! となればさっそく……!」
リネットは今にも踊りだしそうな胸の鼓動をなんとか抑えつつ、髪飾りに向かって語りかけた。
「もしもし……、もしもし? ……ファリアス様、聞こえますか? こちら、リネット。ファリアス様! 私です……! リネットです‼」
祈るような気持ちでじっと耳を澄ませた。けれど髪飾りからは何の音も聞こえない。
「こちらリネットです! ファリアス様っ? マダム? アニタ? ……いるの? 誰か……誰かそこにいる?」
自分の想像が当たっているならば、きっとこれはマダムが作った通信魔具に違いない。以前に似たものをマダムから見せられたことがあったから。
どうかただの勘違いではありませんように、と祈るような気持ちでリネットは語りかけた。
「もしもし……! 誰かそこにいるの? マダム? アニタ? ファリアス様……! お願い……、助けて……! 私はここにいますっ‼ ファリアス様っ‼」
けれどやっぱり何も反応はない。もしや助けにきてくれたと思ったのは、ただの勘違い――そうあってほしいと願うあまりの思い込みなのだろうか。
(ううん……! でもそんなはずないっ。間違いなくこれはバクをモチーフにしてあるし、同じデザインのものを見たもの。きっとこの向こうにいる……。マダムたちが……、それにファリアスがきっといるはず……!!)
ファリアスの名前を呼びかけるたび、リネットの胸はぎゅっとなった。
この屋敷に連れてこられてから、まだ思い切り泣いてもいないのだ。ファリアスに会うまでは泣くのは我慢しよう、そう決めていたから。けれどそろそろ限界だった。髪飾りの向こうにもしかしたらファリアスがいるかもしれない、そう思うだけで締めつけられるような、今すぐ叫び出したいようなたまらない気持ちになっていた。
リネットは胸をぎゅっと手で押さえ、もう一度震える声で繰り返した。
「……っふ……。ファリアス様……。私は……ここです……! 助けて……私を……助けてくださいっ……! 帰りたいの……。私……皆のところへ……ファリアス様のところへ帰りたいんです……!!」
張り詰めていた気持ちが途切れ、ついにリネットの視界がじわりとにじみはじめた時だった。
「……ット? リネットかっ⁉ リネット! 私だっ。ファリアスだっ! 聞こえるか、リネット! ……ん? おかしいな。今リネットの声がした気がしたんだが……。リネット、そこにいるのかっ?」
「……っ!!」
その瞬間、ついにリネットの目からポロリと雫がこぼれ落ちた。
「……アス……様……。わ……わた……私……ここ……に……」
やっとのことで小さなか細い声をなんとか振り絞ったら、一瞬魔具の向こうではっと息をのむ音が聞こえた。そして――。
「……リネット、か? そこに……いるのか。リネット……!」
「うぅっ……! ……はい! ……リネット、ここ……、に、いまぁ……す! う……、うわぁぁぁんっ‼ ファリアス……様ぁ……」
その瞬間、ついにこらえていた涙が決壊した。
ずっとずっと我慢していたのだ。大切なものから突然切り離されて、たったひとり見知らぬ国の牢獄のような屋敷に閉じ込められて。不安と恐怖と寂しさで壊れそうな心を必死に奮い立たせ、頑張ってきたのだ。けれどもう――。
「ファリアス……様ぁぁぁっ!! こわかったよぉ〜っ。気がついたら海の上で……ひとりで……、もう誰にも二度と会えないかと……!! 会いたかったぁぁぁっ!! ファリアス様ぁぁぁぁっ!!」
塗り込められていた心の箍が外れ、リネットはわんわんとまるで子どものようにしゃくり上げていたのだった。




