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『愛するレイナルドへ
ここに書いてあることは、あなたにとってとても辛いことかもしれません。でもこの手紙をあなたが読んでいるということは、もう私はあなたのそばにはいないということ。となれば真実を伝えるより他ありません。
ラスコトールは、私と息子であるあなたのことをただの所有物として一生飼い殺しにしようとしています。それに歯向かえばきっとあなたも殺される。きっと私のように――。だからせめて愛するあなただけでも、あの男の支配から逃がしたかった。救ってあげたかった。そして当たり前の平穏な人生を歩んでほしかった。
あの人は心の歪んだ悪魔なのです。支配欲にとらわれた恐ろしい男なのです。あなたには何の非もありません。もし私があなたを助けられず、まだあの男の支配下にいるのならどうか逃げて。そしてどうか幸せに生きて。
せめてあなただけでも、平凡でもいいからまっすぐであたたかな普通の愛の中で生きてほしい。どうか……どうか私の分まで幸せに――。
レイナルド、私の息子。あなたを心から愛しています』
読み終わり、リネットはしばし呆然とした。ここに書かれていることが事実ならば、以前ラスコトールが自分にいった言葉の意味も理解できる。ラスコトールは欲しいものは絶対に手に入れるし誰にも奪わせないと言っていた。そしてこれまでずっとそうして生きてきたのだと――。
「これって……、レイナルドのお母さんがあなたに宛てて書いた……遺書、よね……?」
その問いかけに、レイナルドはこくりとうなずいた。
「あぁ……。と言ってもその手紙の存在に気がついたのは、あの事故からしばらくたってからだったけどな。その手紙を読んでやっとわかったよ……。あの日なぜ母がこの屋敷から逃げ出すようにあの列車に飛び乗ったのか……。なぜあんなにも道中ずっと震えていたのかも……」
あの列車事故の日、ラスコトールは急な仕事でこの国を離れていた。その隙に母親はレイナルドの手を引き屋敷を飛び出し、あの列車に乗り込んだ。
「母は明らかに焦っていた。ラスコトールの追跡を恐れていたんだろう。でも当時の俺はそんなこと知るわけもなくて、ただ母とふたりきりで外出できることが嬉しかった。でも、列車がしばらく進んだ時……」
母親の指輪が強く光った。それを見た瞬間、母親の顔に絶望の色が浮かんだのだという。おそらくそれは、ラスコトールが妻の居場所を常に感知するための魔力を込めたもの。支配するための拘束具だったのだろう。母親はそれを見た瞬間、何かを悟ったようにレイナルドに告げたのだった。『今すぐひとりで逃げなさい! このままじゃあなたもあの男に殺される……!』と。
「だが直後、あの事故が起きた……。突然列車が轟音とともに大きく揺れて……気がついたら母はひしゃげた車体に体を挟まれて身動きが取れなくなっていた。そして……あとはお前が夢で見た通り……母はそのまま……」
レイナルドの声が震えた。
「俺の母親は……、あいつに殺された……。俺をラスコトールの支配からなんとか助け出そうとして、事故に見せかけて殺されたんだよ……」
この屋敷は、ラスコトールの命令だけが意味を持つ絶対君主の城だった。ラスコトールが欲しているのは、あたたかい家族の愛でも平穏でもない。亡くなったレイナルドの母つまり自分の妻と息子を自分の所有物として支配するだけだった。もしそこから逃げ出そうとでもすれば、命など容赦なく奪い取る――そんな恐ろしい男なのだと。
それ以来レイナルドは脱出の機会を得るために必死にリハビリに励み、薬が効いている振りを演じながら悪夢に苛まれながら生きてきたのだった。
「そんな……、そんなことって……。むごすぎる……。なんてひどいことを……」
あまりに悲しく残酷な真実に、怒りと悲しみとでリネットの体が震えた。と同時に、自分の保身のためにレイナルドの苦しみを癒やしてこなかった自分を、ひどく後悔した。苦しんでいることは、バクである自分が一番わかっていたはずなのに――。
「私……私……ごめんなさい……。私なら、あなたを少しは楽にしてあげられたのに……なのに私……」
気がついたら目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
「なんでお前が泣くんだよ……!? お前は何も悪くない。むしろ俺が夢を見続けているばかりにこんなことに巻き込んで、悪いと思ってる……。ごめん。だから泣くな……。薬なら俺がこれから取り除いてやるから安心しろ。屋敷に張り巡らされているロックだって、俺が目を盗んで少しずつ緩めていってる。そのうちきっと逃げ出すチャンスはくる。だから……もう泣くな。リネット」
レイナルドは皆が寝静まった深夜、その不自由な足でベイラのかけたロックをわずかずつ緩めて回っているらしい。それができるくらいの魔力は自分にもあるから、と告げたのだった。
けれどリネットはひたすらに自分の浅はかさを悔いていた。もっと自分からレイナルドに接触を試みていれば、もう少し早くレイナルドの苦しみを取り除いてあげられたかもしれない。あの悪夢に漂う悲しみと辛さ、後悔の念を楽にしてあげられたかもしれないのだ。
「ふ……うぅ……。で……でも……、私……自分が情けなくて……。だって私本当はもっとできることがあったんだもの。レイナルド様が見ているあの悪夢……、レイナルド様の苦しみを夢食いの本当の力で癒やしてあげることだってできたのに……。ごめんなさい……、本当にごめんなさい……」
「夢食いの本当の……力?? なんだ、それ?」
リネットはレイナルドにすべてを打ち明けた。もはやレイナルドはこの屋敷で――いや、もしかしたらこの遠く離れた異国バイランドでたったひとりの味方なのだから。
レイナルドはしばし驚きの表情を浮かべて黙り込んだ。
「そっか……。お前もなかなか便利な力を持ってるんだな。にしてもまさかこんな変わった力の持ち主同士が海を隔てて偶然出会うなんて……なんだかおかしいな。くくっ!」
そう言っておかしそうに笑うレイナルドは、ごく普通のどこにでもいる青年に見えた。きっとこの姿が本当のレイナルドなのだろう。
リネットはなんだか心が晴れていくのを感じて、レイナルドに笑いかけた。
「レイナルド様! こうなったらまずは、もう一度夢を見させてくださいっ。今度こそちゃんとバクの力を本領発揮して、レイナルド様を楽にしてあげますからっ。今後のことはその後考えましょう!!」
そしてリネットはさっそく夢の中へと入り、無事レイナルドの心の中を光で満たすことに成功したのだった。
「さて、それじゃあこの屋敷から逃げ出す算段についてですけど……。魔力ロックはなんとかレイナルド様に緩めてもらうとしても、問題はあのふたりですよねぇ……。ああもぴったり張りついていられちゃ、満足に話し合いの時間だって持てないし……」
この屋敷とラスコトールの支配から逃れるには、互いの力は必要不可欠だ。魔力なしのリネットにはロックを解除するなんて到底無理な話だけれど、レイナルドがいればもしかしたらそのうちロックが外れる可能性だってある。薬だって、毎食レイナルドとレイナルドの自室でとるようにすれば誰の監視も受けずに、薬を除去することができる。
つまりリネットとレイナルドは、今や運命共同体だった。
「それならこれから毎日お前がユリシアの代わりに俺の世話をすると言い張ればいい。どうせ結婚させるつもりなんだ。毎日同じ部屋で朝から晩まで過ごすくらいいいだろ? そうすればいくらだって密談できるし、さすがに未来の妻との時間を邪魔するなとでも言えば黙るだろうし」
「……」
年頃の娘としてはなんとなくそれには抵抗を感じないでもないけれど、食事に毒が混入されていることを考えればそれが一番いいだろう。幸いもう体には拘束用の魔具はついていないし、どうしても必要な時にだけユリシアの手を借りればいい。
「私たち、絶対に逃げ出してみせましょうね……! レイナルド様。ラスコトールの魔の手からも、ベイラやユリシアたちからも……。この屋敷からも絶対に……」
今はまだ希望の光は見えないけれど、少なくともこの国でこの屋敷でひとりきりではないのだ。レイナルドという味方がいる。
リネットはようやく差し込んだわずかな希望に目を輝かせ、レイナルドを見つめた。
「あぁ……。そうだな……。やろう、リネット!」
リネットは明るい笑みを浮かべたレイナルドとぐっと手を握り合い、大きくうなずいたのだった。




