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ラスコトールの息子は、レイナルドという名の二十才の青年だった。幼い頃に母親と外出中に列車事故に遭遇し、母親の命と両足の自由を失ったのだ。以来屋敷から一歩も出ることなく自室のベッドでほぼ寝たきりの生活を送っている。
そのレイナルドを長年苦しめ続けている悪夢――、それは列車事故の記憶だった。
もうもうと立ち込める灰色の煙に覆われた世界。その煙の向こうにチラチラと時折赤い炎が揺れる。何かが焦げるような匂いと煙の中で、小さなレイナルドが叫ぶのだ。
『お母様っ⁉ お母様っ……! 早く……早く逃げなくちゃっ。火がすぐそこまできているんですっ! 早く起きてっ‼』と。
『……て。レイ……ナルド……。……から、どう、か……早く……。……ってちょうだ、い……』
ごうごうと燃え盛る火と轟音の中、震える母親の手の先がレイナルドに伸びる。けれど赤々と燃える列車の中で、母親は夢を見る度に事切れていくのだ。
そんな恐ろしく心が軋むような悪夢を、レイナルドは事故の後から繰り返し繰り返し見続けていたのだった。
繰り返し母親が目の前で死んでいく夢を見続ける苦しみは、どれほどのものだろう。それだけ考えれば、ラスコトールが息子の苦しみをなんとか取り除いてやりたいと願うのは至極当然ではある。
でも――。
(だからって、私がレイナルドと結婚して一生かたわらで夢を食べ続けるなんて……いくらなんでも無理に決まってる。そりゃあかわいそうだとは思うし、どうにかしてあげたいけど……。でも……)
いくらお人好しでもできることとできないことがある。好きでもない会ったこともない人と、夢を食べるために結婚するなんて――。
それに気になっていることがあった。結婚なんてできないと突っぱねたリネットにラスコトールはこう言ったのだ。
『夢々お忘れなきように……。あなたはすでに私の完全なる管理下にあるし、私は欲しいものは絶対に失いたくない人間なのですよ……。それが私の信条であり、これまでもずっとそうして生きてきたのですから』と。
(ラスコトールはあの列車事故で妻と息子の両足を失ってるのに、どうしてあんなこと……? どんなに願っても叶わないことがあるってことは、ラスコトールが一番よく知ってるはずなのに。ほしいものを絶対に手に入れるって……? これまでもずっとそうしてきたって、一体どういう意味なんだろう……)
その言葉を口にした時のラスコトールの目には、どこか狂気めいた色が浮かんでいた。もしあの言葉が文字通りの意味だとしたら、それは――。
夜中ぐるぐるとそんなことを考えていたら、いつの間にか朝を迎えていた。
「リネット様、レイナルド様のお部屋へ行くお時間です。ご用意を」
時間ぴったりに迎えにきたベイラとともに、レイナルドの部屋へと向かう。部屋の中ではレイナルドの専属メイドであるユリシアが、いつものようにどこか冷ややかな態度で待ち構えていた。
「では、リネット様。夢食いをお願いいたします。……終わりましたらお呼びください。それでは」
レイナルドの夢を食べている間は、ユリアナが部屋を出ていきリネットとレイナルドのふたりきりになる。レイナルドはただ無言で何の反応もなく、ベッドの上に横たわっているだけだけど――。
「……では、失礼いたします。レイナルド様」
リネットは半ばあきらめの気持ちで、レイナルドの夢の中へと入り夢を食べはじめたのだった。
リネットがこの屋敷にきてもう三日が過ぎていた。
その間リネットがしたことと言ったら、朝ベイラが自室に持ってきた食事をとり、身支度を整えたらレイナルドの部屋へ行き夢を食べる。そしてまた昼食を自室でとり、午後はレイナルドの身の回りの世話をレイナルド付きの専属メイド、ユリシアとともにする。それから夜までレイナルドの部屋で特に会話もなく過ごすか、自室で読みたくもない本をパラパラとめくる――。そんなところだった。
なにしろリネットが動いていいのは、自室とレイナルドの部屋のあるこの階だけ。一応は図書室と遊戯室とは名ばかりのガランとした部屋があるものの、屋敷の外に出るところか窓を開けることすら許されていないのだ。
もっきゅもっきゅといつものように胸が痛くなるような夢を食べながら、リネットは嘆息した。
(あーぁ……。このままレイナルドと会話もなく、ただ夢を食べて同じことの繰り返しで死んでいくのかな……。せっかく夢食いの力だって進化して自分だけの道を歩いていけると思ってたのに……)
これまで頑張って積み重ねてきたものが何もかもガラガラと崩れ落ち、跡形もなく消えていく――。そんな気分だった。
(でもきっとそのうち逃げ出すチャンスはある……。そのためにも、レイナルドには悪いけど夢を食べるだけで、癒やしの力は発動しないようにしなきゃ……。レイナルドだってラスコトールと同じく、私の敵かもしれないんだから……!)
まともに会話もしていない以上、レイナルドを信用するわけにはいかない。となれば、夢食いの本当の力をレイナルドに知られるのは得策ではない。ラスコトールだって、リネットの力はただ夢を食べるだけの単純な力だと思っているみたいだし――。
そして夢をすべて食べ終わり、現実へと戻ったリネットはいつものように型通りの挨拶をして部屋を後にしようとしたその時――。
「……おい、そこのバク」
驚いたことに、レイナルドが鋭い目でこちらをのぞき込んでいた。
「……はい?」
はじめてまともに呼びかけられ、リネットは間抜けな声を上げた。
「ええと、なんですか? ……レイナルド様」
するとレイナルドは苛立ったようにこちらを見つめ、おかしな提案を口にしたのだった。
「……お前、明日朝一番に俺の部屋にこい。明日からすべての食事もここで俺と一緒にとるんだ。これは命令だ」
「……え? なぜです?」
「いいからこい。きたら理由を教えてやる。ベイラに引き止められたら、その時は俺がそう命じたと言うんだ。俺の命令には逆らえないと言って強引に振り切ればいい。……いいな?」
「ええええ……、でも……」
まったくもって意味がわからない。そもそもこれまで一度もまともに挨拶すらしてこなかったレイナルドが、なぜ急に口を聞く気になったのか。しかもなぜいきなり命令口調でわけのわからないことを命じるのか。どうにもモヤモヤする。
けれどレイナルドのその有無を言わさぬ強い口調になんだか奇妙なものを感じて、リネットは不審に思いながらも小さくうなずいたのだった。




